不完全航海記

大黒学

目次

第一話――王の夢と王妃の夢
第二話――竜になった女
第三話――忘れられた囚人
第四話――幽霊の恩返し
第五話――予言の王国
第六話――神々の多数決
第七話――辺境の村の秘密
第八話――後宮の美姫
第九話――幻想の楽園
第十話――旧大陸からの脱出
第十一話――現実の探求
第十二話――宿命の絆
第十三話――複製の故国
第十四話――石柱と竪穴
第十五話――法王の最終兵器
第十六話――魔法機構の叛乱
第十七話――契約の果実
第十八話――史官と国璽
第十九話――原点の再発見
第二十話――通路を作る機械
第二十一話――政略結婚の魔術
第二十二話――世界を操作するための壁
第二十三話――神と神学と神学者
第二十四話――幻の古代王朝
第二十五話――王女と求婚者

第一話――王の夢と王妃の夢

マノステモノスという国の片田舎にデヌキエスという村があり、 そこに、タユセモという名前の猟師が暮らしていた。 ある日、タユセモは、一頭の鹿を追って森の奥深くへ歩み入り、 そこに一軒の家があるのを発見した。

タユセモは、 こんなに深い森の中に棲んでいるのがどんな人なのか 見てみたいと思い、 その家の扉を叩いた。 すると、扉が開いて、そこにひとりの青年が現われた。

青年は、タユセモを家の中へ招き入れ、 自分の名前はサネウルドだと名乗った。 タユセモは、「あんたは、 こんなに深い森の中でいったい何をしているんだ?」と サネウルドに尋ねた。 するとサネウルドは、 「私はここで魔術の修行をしているのです」と答えた。

タユセモは、 「あんたの魔術とやらでどんなことができるのか、 俺に見せてくれ」と頼んだ。するとサネウルドは、「では、 私の魔術を使って、 あなたの望みを何でもかなえてあげましょう」と言った。

「俺の望みは、この国の王になることだ」とタユセモは言った。

するとサネウルドは言った。 「では、これからあなたの王宮に向かって進軍しなさい」

その言葉が終わらないうちに、タユセモは、 自分の全身に 何かとてつもなく重いものがまとわりついているのを感じた。 それは、王者が身に付けるにふさわしい、風格のある鎧と兜だった。 タユセモは、 大勢の人の話し声や馬のいななきが 家の周囲から聞こえてくることに気付いた。 家の外に出てみると、 そこには何万という数の騎士たちがひしめいていた。 彼らは、タユセモの姿を見ると、一斉にときの声をあげた。

タユセモは、 ほかの馬とは比べものにならないほど豪華な鞍が置かれた馬が 自分の前に現われたのを見て、 迷わずそれにうち跨り、全軍に対して進軍の指令を発した。

マノステモノスの王であるソゴルドソスは、 辺境の森の中から突如として現われた謎の軍勢による侵攻を、 王国の総力を結集して阻止しようとした。 しかし、王国の正規軍といえども、 タユセモの勇猛な騎士たちにとっては取るに足らない敵と言えた。 五日とたたないうちに、 マノステモノスの全土はタユセモが支配するところとなっていた。

マノステモノスの王となったタユセモは、 幾度かの外征によって、 かつてないほどにまで王国の版図を拡大した。 また彼は、その善政によって、 国民たちから偉大な王として讃えられた。

タユセモが王になってから数年ののち、彼は、 貧しい農家で生まれて育った女性を王妃として迎えた。 テネモーシアという名前のその女性は、優しくてかつ美しく、 タユセモは彼女を深く愛した。 テネモーシアは五人の子供を生み、 その子供たちは立派な王子や王女に成長した。

そんなある日、タユセモは、 森の奥で魔法の修行をしていたサネウルドのことを想い出した。 将軍の鎧を身にまとってサネウルドの家をあとにして以来、 彼の姿は一度も目にしていなかった。

魔法の力で自分を王にしてくれたサネウルドに 感謝の言葉を捧げなければならぬ、 そう考えたタユセモは、護衛の騎士もともなわず、単身、 馬を駆って森の奥深く分け入った。

二十数年の歳月にもかかわらず、サネウルドの家は、 タユセモの記憶の中の姿から何ひとつ変わっていなかった。 そして、扉を開いて現われたサネウルドもまた、 二十数年前とまったく同じ、青年の姿のままだった。

「あんたの魔法のおかげで、俺はこうして王になれた。 礼を言うぞ」とタユセモはサネウルドに言った。

「申し訳ありません」とサネウルドは言った。 「あなたは、ただ、王になった夢を見ているだけなのです。 私はまだ魔法の修行中ですので、 あなたを現実の世界で王にするほどの力は持っていないのです」

タユセモは驚いた。 自分が王になったのが夢の中のできごとだったとは、 とても信じられなかった。

サネウルドは、タユセモを奥の部屋へ案内した。 その部屋の中には質素な寝台があって、 その上で一人の男が眠っていた。 その男は、まぎれもなく、 猟師をしていたころのタユセモ自身だった。

「この夢はいったいいつまで続くのだ」とタユセモは尋ねた。

サネウルドは、 「王となったあなたが死ぬまで続きます」と答えた。

タユセモは自分の王宮に戻り、そののちも、 王国を繁栄させることに努め、 テネモーシアを愛し続けた。

そして歳月が流れ、老齢となったタユセモは、 重い病気にかかり、自分の死が近いことを悟った。

つきっきりで看病をしてくれているテネモーシアに、 タユセモは、 自分は魔法の力で王になった夢を見ているのだと告げた。

すると、「実は、私もそうなのです」とテネモーシアは言った。 「ある日、薬草を採るために森に入った私は、 道に迷ってしまったのです。 森の中で、私は、サネウルドと名乗る青年に出会いました。 サネウルドは私に、 望んでいることを何でもかなえてやろうと言いました。 私が王妃になりたいと言うと、彼は、 私を本当に王妃にしてくれたのです。 でも、わたしもきっと、あなたと同じように、 王妃になった夢を見ているだけなんでしょうね」

その言葉を聞きながら、タユセモは、静かに息を引き取った。 そして次の瞬間、タユセモは眠りから醒めた。 タユセモは、最初、 自分がいる場所はサネウルドの家の奥の部屋だろうと思っていたが、 まわりを見渡してみて、そうではないと気付いた。 そこは、王宮の中にある自分の寝室だった。 そして自分の隣では、 王妃として迎えたばかりのころの若々しいテネモーシアが 眠っていた。

タユセモは、鏡に映った自分自身を見て、自分もまた、 王妃を迎えたころの姿に戻っていることを知った。

王宮から抜け出したタユセモは、 サネウルドの家に向かって一目散に馬を走らせた。

「申し訳ありません」とサネウルドは言った。 「私は、魔法の使い方を間違ってしまったのです。その結果、 あなたは、現実の世界のどこにも存在しなくなってしまいました。 今のあなたは、テネモーシアが見ている夢の中にいるのです」

その言葉を聞いたタユセモは、 ひどく憂鬱な気分で自分の王宮に戻った。しかし、彼はしだいに、 自分が夢の中の存在にすぎないということが 気にならなくなっていった。 彼は自分の王国を繁栄させ、 そしていつまでもテネモーシアを愛し続けた。

第二話――竜になった女

モルトースクという村に住むサミラカは、とても美しい娘で、 その評判は遠くの村々にまで伝わっていた。 サミラカの評判を聞いたコモセドツという神は、 美しい人間の貴公子に化けて彼女の前に姿を現わした。

サミラカとコモセドツは互いに相手を好きになった。 コモセドツは、 自分とサラミカが暮らすための大きな御殿を作った。 そしてしばらくすると、二人のあいだに男の子が生まれた。 二人はその子供にゼクレスムいう名前を与えた。

十数年後、立派な若者に成長したゼクレスムは、 さまざまな神通力を発揮して周囲の人々を驚かせた。

そのころ、 モルトースクから何百里も離れたタムナルデという村の人々は、 妖怪が頻繁に出没して若い娘たちをさらっていくという怪異に 悩まされていた。 その話を聞いたゼクレスムは、妖怪を退治してやろうと考え、 タムナルデに向かって出発した。

旅の途中で、ゼクレスムは、 山賊どもに襲われそうになっていた娘を助けた。 その娘は、「私はノルドキアという名前で、 タムナルデに向かう旅の途中なのです」とゼクレスムに言った。 ゼクレスムが、 「俺もタムナルデに向かう途中だから一緒に旅をしよう」と言うと、 娘は、「そうしていただけるととても助かります」と言った。

ゼクレスムは、ノルドキアと一緒に旅をしているうちに、 しだいに彼女のことを愛しく思うようになっていった。 ある日、ゼクレスムは、自分の気持ちをノルドキアに打ち明けた。

ゼクレスムの言葉を聞いたノルドキアは、 「私もあなたのことが好きです」と言ったが、 その表情は曇っていた。 ゼクレスムは、 どうしてそんなに悲しい顔をしているのかと彼女に尋ねた。

「実は、 あなたが退治しようとしていた妖怪というのはこの私なのです。 神通力を持つ男が私を退治するためにタムナルデに向かって旅立った という噂を聞いた私は、 それがどんな男なのかということに興味を覚えて、 あなたに近付いたのです」

次の瞬間、ゼクレスムは、自分の身体が鉛のように重くなって、 自由に動かすことができなくなっていることに気付いた。 ノルドキアは言った。 「あなたが私を退治しようとするなら、 残念ですがあなたには死んいただくしかありません」

ゼクレスムは、必死になって妖怪の呪縛から逃れようとしたが、 手足を動かすことができないばかりか、 自慢の神通力さえも封じ込められていて、 どうすることもできなかった。

ゼクレスムは言った。 「たとえお前が妖怪だとしても、 お前のことが好きだという俺の気持ちに変わりはない。 お前を退治しようとは思わないから、 どうかこの呪縛を解いてくれ」

その言葉を聞いて、ノルドキアは心を動かされ、 ゼクレスムを呪縛から解放した。 そして彼女は彼に言った。 「それが本当なら、私の夫になってくれませんか」

ゼクレスムは、「では、喜んでお前の夫になろう」と答えた。

こうして、妖怪と神の子供とは夫婦となり、二人で協力して、 今まで以上に多くの娘たちをさらっていくようになった。

ゼクレスムの父親であるコモセドツは、 その話を聞いて激怒した。 彼は自分の姿を鷹に変えて大空に舞い上がり、 タムナルデに向かった。

タムナルデに到着したコモセドツは、 ふたたび人間の姿に戻って、 自分の息子とその妻の前に姿を現わした。 「人間の娘をさらうのは許さんぞ」とコモセドツは言った。 「人間の娘を二度とさらわないと誓え。 誓わないならば、お前たちを征伐する」

するとゼクレスムは言った。 「征伐できるものならしてみるがいい」

コモセドツは、息子とその妻を殺すために、 青白い稲妻を放った。 しかし、ゼクレスムとノルドキアは力を合わせてその攻撃を防ぎ、 そしてさらに、コモセドツに向かって反撃を開始した。

ゼクレスムとノルドキアによる攻撃は、 コモセドツの息の根を止めることまではできなかったが、 その神を人間の形をした石に変えることには成功した。 石に変えられたコモセドツは、もはや、稲妻を放つことはおろか、 身動きすることさえできなかった。

サミラカは、 最愛の夫であるコモセドツが石に変えられたという知らせを聞いて、 夫に会うためにタムナルデに向かった。

タムナルデに到着したサミラカは、 美しい貴公子の姿のまま石に変えられたコモセドツと対面した。 サミラカはコモセドツをしっかりと抱きしめて涙を流した。

コモセドツは、 自分に残されたすべての力をサミラカに与えた。 すると彼女の姿は一匹の竜に変わった。

竜になったサミラカは、 自分の息子とその妻のところへまっすぐに飛んで行き、 口から炎を吐いて二人を焼き殺した。

サミラカは、その時点ではまだ、 かつて自分が人間だったときの記憶を保っていた。 しかし、その記憶はしだいに薄れていき、彼女はやがて、 一匹の竜として暴虐の限りを尽したいという欲求のままに 行動するようになっていった。

かつてサミラカだった竜は、 十日間に渡って暴れ続け、 タムナルデとその周辺の村々を焼き尽した。 十一日目に、竜は、力が尽きて動けなくなった。 生き残った村人たちが不安そうに見守る中で、 サミラカはもとの人間の姿に戻っていった。

サミラカは、 亡霊のような足取りで石になった夫のもとへ歩いていき、 そこで息を引き取った。 村人たちは、 サミラカが二度とふたたび竜となって現われることがないように、 地の底に達するほど深い穴を掘って、そこに彼女を埋葬した。

第三話――忘れられた囚人

マヨシクルという王国の人々は、 しばしば出現するテトソガリムという妖怪を大いに恐れていた。

テトソガリムは、いつも、紳士然とした人間の姿で現われ、 こういうことをすれば莫大な利益が得られるという 儲け話をして去っていくのだった。 テトソガリムの話はけっして嘘ではなく、 彼が教えたことを忠実に実行すれば、 間違いなく莫大な利益を得ることができた。 しかし、そのようにして成功を手に入れた人間は、 それと引き替えに、 過去に起こった個人的な出来事の記憶を すべて失うことになるのだった。

マヨシクル王国の王、セキナギブカは、 テトソガリムを退治しなければならぬと考えた。 しかし、 人間の力でそのような妖怪を退治することができるとは、 とても思えなかった。 そこで王は、何かよい方法はないかと、 宰相であるドニスドルンに尋ねた。

するとドニスドルンは言った。 「われわれに協力してくれる別の妖怪にテトソガリムを退治させて、 その妖怪には何か報酬を与えてはいかがでしょう」

「それはよい考えだ」と王は言った。 「だが、われわれに協力してくれる妖怪を見つけ出すことが、 はたしてできるだろうか。 そなたには、何か心当たりでもあるのか」

「おまかせください」と宰相は答えた。 「私の部下で、妖怪と親交のある者がおりますので、 その者を通じて、協力してくれる妖怪を探してみます」

その日の午後、ドニスドルンは、 部下の一人を自分の部屋に呼び出した。 宰相はその部下に尋ねた。 「テトソガリムの退治を妖怪の誰かに依頼したいのだが、 引き受けてくれそうな妖怪はいるだろうか」

するとその部下は、 「おそらくミザコペルに頼めば引き受けてくれるでしょう」 と答えた。

「その妖怪は、 テトソガリムを退治できるほどの力を持っているのか」

「ご心配なく。 彼は言霊を自在にあやつることのできる妖怪です。 彼にとっては、テトソガリムを退治することなど、 たやすいことでしょう」

数日後、ドニスドルンの屋敷に一人の男が現われた。 その男は宰相に言った。 「俺の名はミザコペル。 今は人間の姿に化けているけれども、実は妖怪だ。 お前の部下から依頼を受けて、 話を聞きに来た」

ドニスドルンは、テトソガリムを退治してほしいのだ、 と妖怪に告げた。 するとミザコペルは、 「俺が要求するものを報酬として与えてくれるなら、 協力してやってもよい」と答えた。

「望みのものとは何か」と宰相が尋ねると、ミザコペルは、 「王宮の地下の監獄にある三十七番の独房の扉を開いて、 その中にいる者を俺に引き渡してほしい」と答えた。

「それは何者だ」とドニスドルンは尋ねた。

すると妖怪は、 「それはお前たちのほうで調べればよいことだ」と答えた。

宰相は言った。 「それでは、君が釈放を希望する囚人についてこちらで調査をして、 問題がなければ、テトソガリムの退治を君に依頼することにしよう」

ミザコペルが去ったのち、宰相は、 三十七番の独房に収監されている囚人が 何者なのかということを調べて報告せよ、 と部下の一人に命令した。

その部下は、綿密な調査ののち、 三十七番の独房の扉は、六百年前に閉ざされて以来、 一度も開かれていないということ、 そして、六百年前に収監された囚人に関する記録は、 すでに廃棄されていて存在しないということを宰相に報告した。

報告を聞いたドニスドルンは、 三十七番の独房に収監されている囚人が何者であろうと、 そいつはすでに死体になっているだろうから、 ミザコペルに引き渡しても問題は何もないだろう、と考えた。 そして宰相は、 テトソガリムの退治をミザコペルに依頼せよ、と部下に命じた。

テトソガリムは、 ごく普通の人間から記憶を奪うこともあったが、 どちらかと言えば強欲な人間を獲物にすることが多かった。 そこで、ミザコペルは、テトソガリムに自分を狙わせるために、 王国の中の一番にぎやかな街で高利貸の店を開いて、 かなりあくどいやり方で金を稼いでいった。

そうしているうちに、思ったとおり、 ミザコペルの前にテトソガリムが現われた。 テトソガリムは、一攫千金を狙った儲け話をして、 すぐに去っていった。

テトソガリムがしゃべったことは、 人間には思い付くことさえ不可能だと思えるような、 奇抜な発想による儲け話だったが、 なぜか、絶対に成功するという確信を与えるものだった。

ミザコペルは、テトソガリムが言った儲け話を実行に移した。 すると、 数か月も経たないうちに、 ひとつの部屋が金貨で埋まってしまうほどの莫大な利益が ミザコペルのもとにころがりこんできた。

それからしばらくして、 ミザコペルの前にテトソガリムがふたたび現われた。 そのときのテトソガリムは、人間の目には見えないように、 自分の姿を空気のように透明なものにしていた。 しかし、人間ではないミザコペルの目は、 テトソガリムの姿をくっきりと捉えることができた。 それは人間ではなくクラゲのような形で、 水中にいるかのように空中を浮遊していた。

テトソガリムは一本の触手を伸ばして、 それをミザコペルの頭の中に差し込んだ。 ミザコペルが人間だったならば、次の瞬間には、 個人的な出来事の記憶を すべてテトソガリムに奪われていたに違いない。

ミザコペルは、自分の頭に差し込まれた触手に、 二つの言霊を送り込んだ。 ひとつは儲け話を考え出す能力を封印する言霊で、 もうひとつは人間から記憶を奪う能力を封印する言霊だった。

異変を察知したテトソガリムは ミザコペルの頭から触手を抜き取ったが、 しかし、すでに手遅れだった。 ミザコペルが送り込んだ二つの言霊は、 テトソガリムの能力を永遠に封印した。

翌日、ミザコペルは、 テトソガリムの退治が完了したことをドニスドルンに報告した。 宰相は、その労をねぎらう言葉を述べたのち、さらに、 「半年のあいだ様子を見て、 テトソガリムによる被害がまったく発生しなくなった と確認できれば、 そなたに報酬を出そう」と付け加えた。

半年後、宰相とミザコペルは、 地中の監獄へ通ずる長い階段を降っていった。

監獄の長官は、二人を三十七番の独房の前へ案内して、 扉の鍵穴へ古びた鍵を差し込んだ。 扉が開いた瞬間、ごおっというものすごい音がして、 独房の中から外へ何者かが出ていく気配がしたが、 宰相にも監獄の長官にも、その姿は見えなかった。 「今のは何だ」と宰相はミザコペルに尋ねた。

「比類のないほど強力な言霊だ」とミザコペルは答えた。 「あの言霊は、六百年のあいだ、 お前たちの王国の繁栄を築いてきた。 しかし、これからは、われわれ妖怪のために働いてもらう」

そののち、マヨシクル王国は没落の一途をたどり、数年後、 蛮族によって征服されることとなった。

第四話――幽霊の恩返し

ネレシース湖という湖のほとりにある グラインタッドという大きな都で、あるとき、 真夜中になると湖の岸辺に女の幽霊が出るという噂が流れた。

多くの人々は、幽霊の祟りを恐れて、 夜中に出歩くときに湖の岸辺には決して近付かないように注意した。 しかし、好奇心の旺盛な一部の者たちは、 その幽霊を見るためにこっそりと湖に近寄った。 けれども、そんな人々でさえ、 遠くから幽霊の姿を見るだけで満足した。 幽霊をもっとよく見るために そのそばへ近寄ってみようと思った者は、 一人の男を除いて誰もいなかった。

ガノザットという若者は、好奇心が旺盛なだけではなく、 幽霊のような不気味なものに対する恐怖心をまったく持たない 特異な人間だった。 ガノザットは、美しい女の幽霊のすぐそばにまで近寄って、 目を凝らした。 幽霊は、輪郭が不鮮明だった。 そしてかなり透明だったので、 その姿を通して背後の景色がうっすらと透けて見えていた。 ガノザットは幽霊に触れてみようとしたが、 彼の手が幽霊の姿と重なっても、何の感触も得られなかった。

そのとき突然、幽霊はガノザットに話しかけた。 「私の名前はレカトリシ。あなたは誰?」

ガノザットは自分の名前を答えた。 そして、「お前は、何の目的で、 こうして毎夜のように現世に戻ってくるんだ?」と尋ねた。

するとレカトリシはこう答えた。 「私は数か月前に自殺したのですが、それは、 それまで親しくしていた男に裏切られたことが原因でした。 私は、その男に対する怨みを晴らすために、 こうして現世に戻ってくるのです」

「怨みを晴らしたいなら、 さっさとそうすればよいではないか」とガノザットは言った。 「こんな寂しい場所を漂っているだけでは、 目的を果たすことはできないのではないか」

「私も、 早く目的を果たしたいと思っているのですが」と幽霊は言った。 「私を裏切った男の行方がわからないのです」

「お前を裏切った男というのは誰だ」とガノザットは尋ねた。

レカトリシは、スユンドークという名前と、 手がかりになりそうな特徴をガノザットに告げた。

翌日から、ガノザットは、 スユンドークの行方を求めてグラインタッドの街を歩き回った。 彼がスユンドークの居場所を突き止めたのは、 捜索を開始してから半年後のことだった。

ガノザットは、ふたたび湖の岸辺でレカトリシに会って、 捜索の結果を報告した。 幽霊は、喜びのあまりに涙を流しながら、 感謝の言葉をガノザットに述べた。

その夜以来、レカトリシは湖の岸辺には現われなくなった。 そして二か月ほどがすぎたころ、 ガノザットの家にレカトリシが現われた。

「おかげさまで、 怨みを晴らすことができました」と幽霊は言った。 「お礼をしたいのですが、何かお望みのものはありますか」

ガノザットは少し考えてから言った。 「俺を生きたまま冥界へ連れていって、 しばらくしてから現世に帰してほしい」

「その望みをかなえるためには、 冥界の役所の許可が必要です」とレカトリシは言った。 「許可がもらえたら、あなたをお連れするために戻ってきますので、 それまで待っていてください」

数日後、ふたたびガノザットの家に現われたレカトリシは、 彼を冥界へ連れていった。 そして彼女はガノザットに言った。 「あなたがここに滞在できるのは十日間だけです。 十日後にこの場所に戻ってきてください」

ガノザットは、冥界のあちらこちらを歩き回って、 現世にはない珍しい施設や風景の見物を楽しんだ。 ところが、冥界に来てから六日目に、 彼は、崖から転落して死んでしまった。

幽霊となったガノザットは、しばらくのあいだ、 自分の死体を見下ろして呆然としていた。 それから彼は、レカトリシのところへ行って、 自分の身に起こったことを説明して、 これからどうすればよいのかと尋ねた。

「これから二つのことをしないといけません」 とレカトリシは言った。 「ひとつ目は自分の死体をすみやかに現世に送り返すこと、 そして二つ目は、 役所へ行って自分を鬼籍に登録してもらうことです」

ガノザットは、自分の死体を現世に送り返すために、 レカトリシとともに、自分が転落した崖の下へ向かった。 しかし、自分の死体があるはずの場所にあったのは、死体ではなく、 大きな鏡のような円形の物体だった。

「手遅れだったようです」とレカトリシが言った。

「それはどういう意味だ」とガノザットは尋ねた。

「生きたまま冥界に来た人間が冥界で死んでしまった場合、 その死体は、 そのまま放置しておくと、 セシカインと呼ばれるものに変化してしまうのです」

ガノザットは、鏡のような物体の表面に自分の手を押し当てた。 すると、彼の手は、何の感触もないままに物体の中に潜り込んだ。 次に彼は自分の頭を物体の中に潜り込ませた。 物体の向こう側には、初めて見る風景が広がっていた。

物体から頭を引き抜いたのち、 ガノザットはレカトリシに尋ねた。 「この向こうに見えるのは、いったいどこなんだ?」

「わかりません」とレカトリシは答えた。 「セシカインというのは別の世界への入口なのですが、 それがどういう世界なのかというのは誰にもわからないのです」

「それで、こういうものができてしまった場合は、 いったいどうすればいいんだ?」

「すみやかに破壊しないといけません。 セシカインは、少しずつ大きくなっていきます。 放っておくと、冥界が二つに分断されてしまうのです」

ガノザットは、 セシカインに石を投げ付けたり木の枝で叩いたりしてみたが、 まったく手応えがなかった。

「セシカインの本体は、向こう側の世界にあるのです」 とレカトリシが言った。 「ですから、向こう側へ行かないと、 セシカインを破壊することはできません」

「セシカインを破壊したあと、 冥界へ戻る方法はあるのか」とガノザットは尋ねた。

「ありません」とレカトリシは答えた。 「セシカインを破壊した者は、 決して冥界へ戻ることができないのです」

ガノザットは、「では、ここでお別れだな」と言って、 セシカインの前に立った。

するとレカトリシは、「私もごいっしょします」と言って、 ガノザットの横に並んだ。

二人は、セシカインを通って向こう側の世界へ旅立った。 そしてしばらくすると、セシカインは、 何の痕跡も残さずに消滅した。

第五話――予言の王国

ゴルモワミアという大陸の東の端に、 トムカプテという小さな王国があった。 その王国に、あるとき、 ギムズーチという名前の予言者が現われた。

彼は、火山の噴火、地震、洪水、山火事などの発生や、 伝染病の流行などを何か月も前に予言することができた。 そして、彼の予言はけっしてはずれることがなかった。 やがて民衆は、 神か聖人であるかのごとくギムズーチを崇拝するようになった。

トムカプテの王、ザイデヒムは、 ギムズーチをこのまま放置すれば、やがては、 彼に煽動された民衆が王国を打ち倒してしまうのではないか、 と考えた。 そこで王は、ギムズーチを捕えて王宮の地下牢に幽閉せよ、 と騎士たちに命じた。

それから数年が過ぎたころ、トムカプテと、 その隣国であるキグンガリメとのあいだで戦争が始まった。 戦争の帰趨を知りたい、と思ったトムカプテの王は、 地下牢からギムズーチを召し出した。

手枷をはめられたままのギムズーチに向かって ザイデヒムは言った。 「余は、現在、隣国のキグンガリメと戦争をしておるところだ。 この戦争はどちらが勝つか、そなたの予言を聞きたい」

すると予言者はこう答えた。 「戦争の勝敗を陛下に申し上げることは可能ですが、その予言は、 おそらく当たらないでしょう」

「それはなぜか」と王は尋ねた。

「それは、陛下がこの戦争の当事者だからです」 とギムズーチは答えた。 「もしも陛下が戦局の推移に関する予言を聞いたならば、 その予言は陛下の判断に影響を与え、 それによって戦局は予言とは異なる方向へ進んでいくでしょう」

王は落胆して溜息を漏らした。 「そうか。そなたの予言は役に立たないのか」

「いいえ、そういうことではありません」と予言者は言った。 「結果だけを予言しても意味がない、ということです。 陛下がどのように兵を動かせば戦局がどのように変化するか、 という形での予言ならば、 かならずや陛下のお役に立つでしょう。 たとえば、陛下は今、 リテムシンドの砦を死守しようとしていますが、その方針を貫けば、 陛下は多くの兵を失うことになるでしょう。 そうではなく、リテムシンドは放棄して、 モルゴズヌイの砦を攻略する兵力を増強するならば、陛下は、 キグンガリメの三つの州を獲得することになります」

ザイデヒムは、 ギムズーチの予言を信用してもよいかどうかを確かめるために、 リテムシンドを放棄して、 そこで戦っていた兵たちをモルゴズヌイの攻略に投入した。 すると、そこが突破口となって、 トムカプテの軍隊はキグンガリメの内部へ侵入することができた。 そして彼らは、予言されたとおり、三つの州を制圧した。

ギムズーチの予言を信用するようになったザイデヒムは、 その後もしばしば彼を牢獄から呼び寄せて予言をさせた。 彼の予言はすべて的中し、 キグンガリメとの戦争は、 トムカプテの圧倒的な勝利で終わった。

キグンガリメを自国の領土に併合したザイデヒムは、 大いなる野望を抱いた。 ギムズーチの予言を利用すれば、 トムカプテの領土を ゴルモワミア大陸の全土にまで拡大することができるに違いない、 と彼は考えたのである。

ザイデヒムは、その野望を実行に移した。 ギムズーチの予言にしたがって行動する彼の軍隊は、 連戦連勝だった。 彼らは何万里もの彼方へ遠征して、そこで勝利を収め、そして、 誰もが初めて見るような珍しい品物や動物を携えて凱旋した。 数年後、ゴルモワミア大陸は、 そのすべてがトムカプテの領土となった。

ザイデヒムは、大陸をいくつかの地方に区分けして、 それぞれの地方を、王宮から派遣した総督に統治させた。

ゴルモワミア大陸のほぼ中央に位置する地方の総督が、 任期を終えて王宮に帰還したとき、 その総督は、 自分の赴任先にある珍しい岩について、次のように王に報告した。 「その岩は円筒形で、 人間が建てた塔のように天に向かって伸びているのです。 そして、 地面の下に埋まっている部分が どれくらいの大きさでどんな形をしているのかということは、 誰も知らないのです」

その話を聞いたザイデヒムは、その地方の新しい総督に、 その岩を地中から掘り出すようにと命じた。 総督は、赴任するや否や、現地で人足を集めて、 岩の周囲の土を取り除く工事を開始させた。

獄中にいたギムズーチは、 工事が始まってすぐに、それが危険だということを察知した。 彼は許しを得て王に謁見し、次のように訴えた。 「ゴルモワミア大陸の中央にある巨大な岩は、大陸の要石であって、 それを掘り出すなどというのは言語道断です。 その岩が少しでも傾けば、 この大陸に大いなる災厄が降り懸かることになります」

ザイデヒムは、 工事を即座に中止せよという命令書を携えた使者を派遣した。 しかし、その使者が到着したのは、 要石が大きく傾いてしまったあとのことだった。 人々は、 要石をもとどおりに垂直に立てるためにあらゆる方法を試みたが、 その傾きは決してもとにもどらなかった。

ギムズーチは次のように予言した。 「要石を傾けたことによって、 ゴルモワミア大陸は海の底に沈むであろう。 ただし、それが起こるのは今すぐではなく、七百年後である」

七百年後、 人々はギムズーチの予言をすっかり忘れ去っていたが、 災厄は予言されたとおりに訪れた。 ゴルモワミア大陸は海の底に沈み、 生き残ることのできた人間はきわめてわずかだった。

第六話――神々の多数決

ルキソクナは、 地上の秩序を維持するために 天界から地上へ派遣されている神々の中での最長老だった。

ある日、ルキソクナは、 異変に関する報告を下級の神から受け取った。 それは、 手足の生えた石があちらこちらで走り回っているという報告だった。 やがて、ほかの神々からも異変が次々と報告されるようになった。 それは、羽が生えていて空を飛んでいる石を見たとか、 動いているほかの石を捕まえて食べている石を見たとか、 手足の生えた石を数個ほど捕獲して飼育してみたところ、 繁殖して数が増えた、というような報告だった。

ルキソクナは、その異変について天界に報告するとともに、 下級の神々に命じて異変の原因を調査させた。 しかし、 異変の原因についての手がかりがいっこうに得られないまま 時が過ぎていき、 半年後には、 ルキソクナのもとに新たな現象が報告されるようになった。 それは、 さまざまな動物が前足を器用に使って石器や土器を作っている、 という報告だった。

動物に起こった変化はそれだけには留まらなかった。 言葉らしきものを発して会話をしている動物を見たとか、 木簡のようなものに文字を書いている動物を見た というような報告が、 次々とルキソクナのもとに届けられた。

そして、さらに半年が過ぎたとき、 またしても新たな現象が見られるようになった。 それは、 妖しい能力を発揮する人間が増加しつつあるという現象だった。 自分の姿を透明にすることのできる人間や、 どんな姿にでも化けることのできる人間や、 何千里もの彼方へ瞬間的に移動することのできる人間や、 ほかの人間が考えていることを こっそりと盗み聞きすることのできる人間などのさまざまな事例を、 神々はルキソクナに報告した。

地上を管理する神々の長老たちは、高い山の頂上に集まって、 進行しつつある異変にいかに対処するべきか という問題について協議した。

最初に、ダバギットという名前の神が発言した。 「この異変は、石が動物になり、動物が人間になり、 人間が妖怪になるというように、 存在するものの地位が上に向かって移動しているだけだから、 秩序の乱れではなくて、別の秩序への移行だ。 したがって、そのまま放置しておいてもいいのではないか」

すると、ミモタネアという神が次のように反論した。 「たとえ別の秩序への移行だとしても、 本来の意味での石というものが存在しなくなるような秩序は 許されるべきではありません」

ネーゼキウスという神も、ダバギットに反対する意見を述べた。 「この異変をこのまま放置すれば、やがて、妖怪が神になり、 神もまた別のものに変化するに違いない。 神が神よりも上位のものに変化するのならかまわないが、 ぐるりと一回りして神が石になるとすれば、 これはゆゆしき事態だ」

さまざまな意見が出されたのち、ルキソクナは、 異変の進行を放置するべきか食い止めるべきか という点について 多数決を取った。 その結果、 大多数の神が異変の進行は食い止めるべきだと考えている、 ということがわかった。 ルキソクナは、地上に派遣されているすべての神々に、 異変の原因の調査に協力するようにという通達を出した。

それから三か月が過ぎたとき、ルキソクナは、 異変に関係している妖怪を捕えたという知らせを聞いて、 その妖怪が閉じこめられている洞窟へ向かった。

捕えられていたのは、ミデマドモという名前の妖怪だった。 その妖怪は、以前から、 生命を持たないものに生命を吹き込むことによって 人間を驚かすことで知られていた。

「この異変はおまえの仕業なのか」とルキソクナが尋ねると、 ミデマドモは「そうだ」と答えた。

「しかし」とミデマドモは続けて言った。 「この異変は、俺が自分の一存でやったことではない。 すべては妖怪の長老たちの差し金だ」

「妖怪の長老たちがこの異変を起こした目的は何だ」 とルキソクナは尋ねた。

「お前たちに代わって俺たちが神になることだ」

「では、この異変によって、神はどうなるのか」

「神は、神以上の存在になる」とミデマドモは答えた。 「ただし、天界の神々は、この異変の影響を受けない。 彼らは、 神以上の存在になった地上の神々によって 支配されることになるだろう」

地上を管理する神々の長老たちは、ふたたび集まって、 異変にいかに対処するべきかという問題について協議した。 ルキソクナは、 地上の神は神以上のものになるというミデマドモの供述を報告した。 それについてさまざまな意見が出されたのち、ルキソクナは、 前回と同じ選択肢で多数決を取った。 すると今度は、 異変の進行は放置するべきだと考えている神々のほうが、 それを食い止めるべきだと考えている神々よりも 圧倒的に多数だった。

異変はそののちも着実に進行して、妖怪たちは神になり、 地上の神々は神以上の存在になった。 そして、その段階に到達したところで、異変の進行は停止した。

かつて地上の神々だった者たちは、 周到な計画を立てたのちに天界へ侵攻して、そこを征服した。 そして彼らは、天界を支配していた神々を地上へ追放した。

新しい秩序はしばらくのあいだは安定していたが、 その状態は長くは続かなかった。 まず、異変によって動物に変化していた石たちが、 次々ともとの石に戻っていった。 そして次に、 人間に変化していた動物たちがもとの動物に戻った。

その時点では、地上の秩序は、 異変が起こる前の状態に戻ろうとしているように思われたが、 しかしそうではなかった。 人間になっていた動物たちは、もとの動物に戻ったのち、 さらに石に変化したのである。 妖怪になっていた人間たちも同様に、 人間に戻ったのち動物に変化して、さらに石に変化した。 かつては妖怪だった神々も、妖怪、人間、動物を経て石に変化した。

ルキソクナは、 異変にいかに対処するべきかという問題について協議するために、 長老たちを召集した。

最初に発言したのはネーゼキウスだった。 「おそらくわれわれも、神以上のものから神に戻り、さらに、 妖怪、人間、動物、と変化していって、 最後には石になってしまうでしょう。 この異変の進行は、 なんとしてもここで停止させないといけません」

すると、ダバギットがその意見に反論した。 「この異変が起こっているのは地上だけで、 天界には影響を及ぼしていない。 その証拠に、もともと天界にいた神々は、 神以上のものにならなかったではないか。 したがって、天界にいるわれわれは変化しない。 だから、このまま異変を進行させて、それが終息したのち、 地上の秩序を再構築すればいいのではないか」

しばらく議論を続けたのち、ルキソクナは多数決を取った。 すると、 このまま異変を進行させてもよいという意見が多数を占めた。

かくして異変はなおも進行した。 神以上の存在となり、天界を征服していた者たちも、 彼らの期待とは裏腹に、神、妖怪、人間、動物を経て、 石に変化した。 そして、その段階で、異変の進行は完全に停止した。 結局、石にならなかったのは、 天界から地上へ追放されていた神々だけだった。

石にならなかった神々は、 地上の秩序を再構築する仕事を開始した。 彼らは、さまざまな妖しい能力を持つ妖怪も創造したが、しかし、 ミデマドモのような、 生命を持たないものに生命を吹き込む能力を持つ妖怪だけは、 決して創造しようとはしなかった。

第七話――辺境の村の秘密

ヌカナントトプは、 テムナロク王国の学問所で地理学を研究している学者だった。 ある日、彼は、図書館の書庫の奥で文献を読んでいて、 その中の一節に興味を覚えた。

その文献は、 二十年の歳月をかけて 遥かな西の彼方にあるヤルスギンデという王国を訪問した、 ゼマミモスという旅行者が書いた手記だった。 ゼマミモスはその手記の中で、 旅行の途中で立ち寄った不思議な村について 次のように簡潔に言及している。 「ダニスムールから南へ五百デナリほど歩いて、 ツクザーミラという村に着いた。 この村の住人はすべて永遠の生命を持っている」

ヌカナントトプは、 辺境の地理に詳しい何人かの人々に ツクザーミラについて尋ねてみたが、 そのような名前の村について知っている者はいなかった。 しかし、そのうちの一人は、 ダニスムールという村のことならば知っていると答えた。 「ダニスムールというのは テムナロクとヤルスギンデとのほぼ中間にある寒村だが、 その村の南には険しい山岳地帯が広がっていて、 そんなところに村があるとは思えない」 とその人は語った。

ヌカナントトプは、 ツクザーミラについてゼマミモスが書いていることの 真偽を確かめるため、 西に向かって旅立った。 彼は、荷物を背負った駱駝を曳いて草原や砂漠や岩山を越え、 五年後にダニスムールに到着した。

ヌカナントトプは、ダニスムールの村人たちに、 ツクザーミラについて何か知っているかと尋ねてみた。 すると、村人の一人が、 この村の南にある山々をいくつも越えたところに その名前を持つ村がある、 と答えた。

ダニスムールから南へ向かって歩いていったヌカナントトプは、 険しい山々に囲まれた村に到着した。 彼は、最初に出会った村人に、 この村は何という名前なのかと尋ねた。 すると村人は、この村の名前はツクザーミラだと答えた。

ヌカナントトプは、数日間、 村の中を歩き回って人々を観察したが、 そこは何ひとつ変わったところのない普通の村としか思えなかった。 彼は、 何千年も生き続けている老人ばかりの村を想像していたのだが、 ツクザーミラには老人だけではなく若者や子供たちも 暮らしているのだった。 そこで彼は、親しくなった村人の一人、スミノゴロドという男に、 この村の人々が永遠の生命を持っているという噂を聞いたのだが、 それは本当のことなのか、と尋ねてみた。 するとその村人は、その噂は本当のことだと答えた。

「この村の人間が死ぬと、その魂は、かならず、 この村で生まれる赤ん坊の体内に戻ってくるのです」 とスミノゴロドは言った。

「しかし、それでは永遠の生命を持つとは言えない」 とヌカナントトプは反論した。

するとスミノゴロドは言った。 「戻ってくる魂は、前世の記憶を完全に保っています。 この村で生まれた子供は、 三歳か四歳ぐらいになると、前世の記憶をすべて思い出すのです」

「この村で生まれた人がこの村以外の場所で死んだ場合は どうなるんだ?」

「どこで死んだとしても、魂はかならずこの村に戻ってきます」

「私のような、この村とは関係のない人間が、 魂が再生される人々の仲間に加わることはできないのか」

「できると思います」とスミノゴロドは言った。 「過去に、 村の外から来た人間が再生の仲間に加わったことがある、 という話を聞いたことがあります」

その言葉を聞いたヌカナントトプは、 記憶を保ったまま魂が再生される仲間に自分も加わりたいという 強い願望を抱いた。 そこで彼は、そのための方法をスミノゴロドに尋ねた。

「どうすればいいかというのは私も知りません。 たぶん、村の長老ならば教えてくれるでしょう」 とスミノゴロドは答えた。

そこで、ヌカナントトプは村の長老の家へ行って、 自分が再生の仲間に加わるための方法を教えてほしい と長老に頼んだ。

「この村の中央にある神殿へ行きなさい」と長老は言った。 「そして神殿の地下へ行きなきい。そこには巨大な黒い岩がある。 それは御神体だ。 その御神体に向かって、 自分の魂がこの村で再生されるようにしてほしいと頼みなさい。 ただし、その願いはかならずしもかなうとは限らない。 つまり、拒絶される場合もあるということだ」

ヌカナントトプは長老に礼を述べたのち、神殿へ向かった。 神殿の地下には、長老が言ったとおり、巨大な黒い岩があった。 それは、一辺の長さが人間の身長の二倍ぐらいある立方体だった。 ヌカナントトプはその岩に向かって、 自分の魂も記憶を保ったまま再生されるようにしてください、 と言った。

すると、どこから聞こえてくるのかわからなかったが、 何者かの声が彼の耳に達した。 「その願いは、かなえてやってもよいぞ」

ヌカナントトプは尋ねた。「あなたは誰ですか」

するとその声は言った。「わしはこの村の産土神だ」

「私の願いを聞き届けてくださり、ありがとうございます」 とヌカナントトプは礼を述べた。

すると神は言った。 「お前を無条件で再生させてやるわけではない。 お前にひとつの仕事を依頼する。 お前がその仕事を成し遂げたならば、 お前の望みをかなえてやろう」

「それはどんな仕事ですか」

「わしは、 この村の人間の魂が記憶を保ったまま再生されるということを できるだけ秘密にしておきたい。 ところが、お前も知っているように、 ゼマミモスという旅行者が この村の秘密を手記に書き残してしまった。 お前に遂行してほしい仕事というのは、 テムナロク王国の図書館へ行って、 そこにあるゼマミモスの手記から、 この村の秘密について書かれているページを切り取って、 それを破棄するということだ」

ヌカナントトプはテムナロク王国に戻り、 図書館の奥の書庫でゼマミモスの手記を探した。 しかし、いくら探してもそれは見付からなかった。 ヌカナントトプがその手記の行方について司書に尋ねてみたところ、 司書は、 ゲルミナトスという学者がそれを三年前に帯出したけれども、 それはいまだに返却されていない、と答えた。

ゲルミナトスという名前は聞いたことがないと ヌカナントトプは思ったが、 学問所には確かにその名前の学者が勤めていた。 彼はゲルミナトスに面会して、 「ゼマミモスの手記を返却してほしいという伝言を 図書館から頼まれたのです」とその学者に言った。 「忙しくて図書館へ行く時間がないのでしたら、 私に預けていただければ代わりに持って行きます」

するとゲルミナトスは、 書架からゼマミモスの手記を取り出して、 「それでは返却をお願いします」 と言いながらそれをヌカナントトプに渡した。

ヌカナントトプが辞去しようとしたとき、ゲルミナトスは、 「あなたははるばるとツクザーミラまで行ってきたそうですが、 その村の人々は本当に永遠の生命を持っているのですか」と尋ねた。

ヌカナントトプは、 永遠の生命というのはゼマミモスの冗談に過ぎない と言おうとしたが、 彼の口は彼の意志に反して真実を語った。 「ツクザーミラの村人たちの魂は、 その村の産土神によって記憶を保ったまま再生されるのです」

するとゲルミナトスは言った。「やはりそうでしたか。 われわれの掟は、 記憶を保ったまま人間の魂を再生することを禁止しています。 ツクザーミラの産土神は、 死をもってその罪を償うことになるでしょう」

ヌカナントトプは尋ねた。「あなたは何者ですか」

「私は、神々の行動を監視する役目の神です」

ヌカナントトプは急いでツクザーミラに戻り、 ゲルミナトスの言葉を産土神に伝えた。

「やはり手遅れだったか」と産土神は言った。

「私にできることがあれば何なりとお申し付けください」 とヌカナントトプは言った。

すると産土神は言った。 「では、わしの身代わりになって死んでくれ。 わしは、お前の体を借りてしばらく別の場所に隠れているが、 お前の処刑が終わったのち、 戻ってきてお前の魂を再生してやる」

ヌカナントトプが同意の言葉を言おうとした瞬間、彼の魂は、 人間の体から御神体の中へと移された。

それから約一年が経過したとき、 ツクザーミラの神殿の地下にある御神体の前に、 人間の姿をした神が現われた。 その神は、「お前は何者だ」と御神体に向かって尋ねた。

「わしはこの村の産土神だ」とヌカナントトプは答えた。

「この村の産土神は、 人間の姿で逃走していたところを捕えられて、処刑された」 と神は言った。 「改めて問う。お前は何者だ」

ヌカナントトプは観念して、すべての真実をその神に語った。

すると神は言った。 「私は、 新たな産土神をこの村へ派遣するという仕事を 与えられているのだが、 すでにお前がこの御神体の中にいるのなら、 お前を産土神に任命するとしよう。 そうすれば神を派遣する手間がはぶける」

「しかし、私は神ではなくて人間なのですが」

「それは問題ではない」と神は言った。 「私がお前に産土神としての神格を与えれば済むことだ。 私にはそれをする権限が与えられている。 末永くツクザーミラの人々を見守ってやるがよい。 ただし、 記憶を保ったまま人間の魂を再生させてはならない ということを忘れるな」

このようにしてヌカナントトプはツクザーミラの産土神となり、 天地の寿命が尽きるまで村人たちに幸福を授け続けた。

第八話――後宮の美姫

ノルギタス王国の王、カインリエルは、 英邁で献身的な君主として知られていた。 彼は国政を人任せにせず、毎日、 地方の長官や大臣たちの報告を聞いたり、 議会に臨席して意見を述べたりと、 朝から晩まで身を粉にして働いた。

カインリエルの唯一と言ってもよい娯楽は、狐狩りだった。 彼は、休日になると、 数名の護衛の者たちと二匹の猟犬を連れて 王都の郊外にあるウルスザクレムと呼ばれる奥深い森に入り、 日が沈むまで城には帰って来なかった。

ノルギタス王国の歴代の王たちは 天下の美姫を集めることに心血を注いだので、 王都の一角は広壮な後宮によって占められていた。 カインリエルが即位したのちも、 貴族や廷臣たちは自身の栄達のために競って美女を献上し続け、 後宮の敷地は増大の一途をたどっていた。

しかしながらカインリエルは、 まったくと言っていいほど後宮には興味を示さなかった。 その理由は、彼が、後宮の美姫たちよりもむしろ、 市井の女たちと情を交すことを好んだためである。

ある日、カインリエルは、 ウルスザクレムの森の中で山菜を採っていた女を見初めて、 彼女を城に連れて帰った。 そのようなことは過去にもしばしばあったことなので、 彼の側近たちにとってそれは、 それほど気に留める必要のあることではなかった。 しかし、数日後に開かれた晩餐会の冒頭で、 その女を正妃として迎えると国王が宣言したことは、 招待客のみならず側近たちをも大いに驚かせた。

国王の正妃となった女はニルミムナという名前だった。 彼女は自分自身について官廷の人々に次のように語った。 自分は、農業を営む両親と暮らしていたが、 その両親はすでに亡くなり、 カインリエルと出会ったときは、 一人で細々と野菜を作って生計を立てていた、と。

しばらくのあいだ、宮廷の人々のあいだでは、 王はニルミムナのどこが気に入ったのかということが 大いなる謎として語られていたが、 やがて、 それはおそらく彼女の聡明さであろうという意見が 多数を占めるに至って、 その問題に対する人々の興味はしだいに薄らいでいった。

ニルミムナがきわめて聡明であるというのは 疑う余地のない事実だった。 彼女は政治の表舞台にはけっして登場しなかったが、 晩餐会の席などで彼女が漏らす国政に関する感想めいた意見は、 その夜のうちに高官たちのあいだを駆け巡り、 翌日の審議の流れに大きな影響を及ぼした。 ノルギタス王国の国政にとって 彼女が一目置かれる存在となるまでに要した時間は、 きわめてわずかだった。

ニルミムナが国政に対する発言力を獲得したのち、 彼女の執務室には、 彼女の威光を利用することによって 自身の栄達を図ろうとする人々がしばしば出入りするようになり、 やがて彼らはひとつの派閥を形成するに至った。 その派閥は、 その中の中心的な人物とみなされている大臣の名前を取って、 「メゼトガ派」と呼ばれた。

メゼトガ派はしだいに宮廷での勢力を拡大していった。 そして、派閥の領袖であるメゼトガ大臣は、 王位を簒奪しようという野心をいだくようになった。 ニルミムナも、 メゼトガがそのような野心をいだいているということに 気付いていた。 しかし彼女は、 カインリエルにはそのことについて何も話さなかった。

王位を簒奪するためには、何としても、 実力のある将軍を味方に付ける必要がある、とメゼトガは考えた。 そして、 実力という点ではベクデスムという将軍にまさる者はいない、 ということは明らかだった。 そこでメゼトガは、王位の簒奪という本心を隠したまま、 ニルミムナに対して、 ベクデスムを籠絡することに協力してほしいと要請した。

ニルミムナは、視察と称して、 ベクデスムが常駐している営舎に足を運んだ。 しかし彼女は、 ベクデスムが兵制について説明するのを聞くばかりで、 メゼトガの派閥については何も言わないまま王宮へ帰っていった。 ところが、それにもかかわらず、 その数日後にベクデスムはメゼトガの執務室を訪問して、 派閥の勢力の拡大に協力したいと申し出た。

そののち、メゼトガとベクデスムは、 王宮や営舎の片隅で何度も会合を重ね、互いの意見を交換した。 メゼトガは、ベクデスムを信用のできる人間だと判断して、 王位を簒奪しようという自分の野心をその将軍に打ち明け、 ぜひとも自分の陰謀に加担してほしいと懇願した。 ベクデスムは、一も二もなくその依頼を承諾した。

メゼトガとベクデスムは、 王宮を占拠してすべての王族を幽閉する計画を立てた。 彼らは、 自分たちの計画をニルミムナに察知されないように努めていたが、 彼女にとって、 ベクデスムの指揮下にある武官たちから計画の詳細を聞き出すのは 容易なことだった。

メゼトガの計画が発動する日の前日、ニルミムナは、 メゼトガが王位を簒奪しようとしているということを カインリエルに打ち明けた。 「一刻も早く王宮から脱出しないと、 捕縛されて幽閉されてしまいます」と彼女は王に告げた。

ニルミムナは、カインリエルとともに王宮から脱出して、 ウルスザクレムの森の奥深くにある洞窟へ王を案内した。 そして彼女は言った。 「私の役目はこれで終わりました。 お別れしなければなりません。 もう二度とお会いすることはないでしょう」

王は驚いて言った。「役目とは何だ」

「私は、この森を守護している神から、 あなたがこの森の狐たちを殺したことに対して天罰を与えよ、 と命令されたのです」 とニルミムナは言った。

「お前は何者だ」と王は尋ねた。

「私は、かつてはこの森に棲む一匹の牝狐でした。 しかし、神の掟に背いたために、妖怪にされ、 神の眷属として使役されることになったのです」

「メゼトガたちの謀叛はお前が仕組んだものなのか」

「そのとおりです」とニルミムナは答えた。 「私は、この役目を果たすために、 人間に化ける能力や人間の意志を操作する能力などを 神から与えられたのです。 メゼトガやベクデスムの心に謀叛の意志を植え付けることは、 私にとってはたやすいことでした」

「しかし、お前は、 私が捕縛される前に私を王宮から脱出させてくれた。 それはなぜだ」

「あなたを助けたわけではありません。 あなたの王位を他人に奪わせ、 絶対に脱出のできない場所にあなたを閉じ込めることが、 私に与えられた使命だったのです。 そして、あなたが閉じ込められるべき場所というのが、 この洞窟なのです」

ニルミムナの姿はしだいに透明になっていき、 やがて完全に見えなくなった。 カインリエルは急いで洞窟の入口へ向かった。 彼が入口にたどり着いたとき、 そこはすでに数個の巨大な岩によって塞がれていた。 岩と岩とのあいだにはわずかな隙間があり、 そこから外の光が射し込んでいたが、 その隙間を人間が通り抜けることは不可能だった。

このようにして、 カインリエルは洞窟に幽閉され、その中で暮らすことになった。 洞窟の中には食料になるようなものは何もなかったが、彼は、 何者かによって岩の隙間から差し入れられる食料によって 生き延びることができた。

食料を差し入れていたのはニルミムナだった。 彼女は、 自分に対するカインリエルの愛情が 意志の操作によるものではないということに 気付いていたのだった。

一方、王位を簒奪したメゼトガは、自ら政務を執ることはせず、 ウルスザクレムの森で狐狩りに興じたり、 後宮の女たちを賞玩したりして日々を送っていた。

ウルスザクレムの森の神は、 メゼトガにも天罰を与えなければならないと考えた。 そこで神はニルミムナを呼び寄せて、彼女に、 メゼトガの王位を他人に奪わせ、 絶対に脱出のできない場所に彼を閉じ込めよ、 と命じた。

ニルミムナは、 その役目を果たすためにカインリエルを利用させてもらいたい、 と神に願い出た。 神はその願いを聞き入れ、 ニルミムナの仕事に協力するとカインリエルに約束させた上で、 彼を洞窟の牢獄から釈放した。

ニルミムナは、自分が立てた計略をカインリエルに説明した。 「まず、私があなたの姿を絶世の美女に変えます。 そして私は下級の廷臣に化けて、あなたを後宮に推薦します。 あなたはその美貌で、 メゼトガを後宮に引き留めておいてください。 そのあいだに私は、誰かをそそのかして、 メゼトガから王位を奪わせます。 そして私は、メゼトガとともに後宮から脱出して、 この森の洞窟へ彼を案内します」

彼女の計略はみごとに成功した。 メゼトガは、洞窟の中で、絶世の美女の正体と、 永遠にこの洞窟から出ることはできないという自分の運命を、 ニルミムナから告げられた。

そののちニルミムナは、 神の眷属という役目から解放されて自由の身となった。 彼女は王都の一角に質素な家を建ててそこに住み、 そこから王宮に通って下級の廷臣としての仕事を続けた。 そして彼女は、自分が後宮に推薦した美姫、 すなわちカインリエルを妻として迎え、 二人は末永く幸せに暮らした。

第九話――幻想の楽園

はるかな昔、ドルドルドという神が姿を現わし、大地を創造して、 そののち姿を隠した。 大地には山がそびえ、川が流れていたが、まだ生物はいなかった。

長い時が流れたのち、ルギルギルという神が姿を現わし、 生物を創造して、そののち姿を隠した。 その神はさまざまな植物や動物を創造したが、 その中に人間は含まれていなかった。

そしてまた長い時が流れたのち、 ギモギモギという神が姿を現わした。 その神は人間を創造したが、人間たちは、 獰猛な肉食獣に食べられて、すぐに絶滅してしまった。

ギモギモギは、もう一度人間を創造しようと思ったが、 獰猛な肉食獣に対する何らかの対策を講じない限り、 創造された人間がすぐに絶滅してしまうことは明らかだった。 そこでギモギモギは、モネモネモという神を呼び出して、 人間が安全に暮らすことのできる土地を造ってくれと頼んだ。

姿を現わしたモネモネモは、 天界に届きそうなほど高い三本の柱を大地に建てた。 次に、円盤の形をしたひとつの岩をそれらの柱の上に載せて、 その岩の上に山や川や湖を造った。 モネモネモは、 柱と円盤から構成されるその建造物に 「スミルスード」という名前を与えた。 そして、大地に棲息している植物や動物の中から、 人間に危害を及ぼさないものを慎重に選んで、 それらをスミルスードに移した。 さらに、スミルスードの上に神殿を築いて、 そこにネゾクネゾクという神を祀り、 スミルスードの秩序の維持をその神に命じた。 そしてそののち、モネモネモは姿を隠した。

ギモギモギは人間を創造して、 スミルスードの上に彼らを棲まわせた。 天敵のいない土地を与えられた人間たちは、 その土地で大いに繁栄した。 ギモギモギは、それを見届けたのち、その姿を隠した。

そしてまた長い時が流れたのち、 ネゾクネゾクは、高潔な人格を持つ一人の人間を選び、 その人間にスミルスードの国璽を授け、 王としてスミルスードを統治せよと命じた。

やがてスミルスードの初代の王は天寿を全うし、 彼の息子がその王位を継承した。 そののちも、 スミルスードの王位は王子や王女たちによって継承されていった。 歴代の王や女王たちは、 スミルスードの社会を繁栄させるための努力を惜しまなかった。

そして長い時が流れた。 第百六十四代の王であるゲマゼトイブの治世のとき、 大きな地震が発生した。 その地震は、スミルスードを南西の方向に傾け、さらに、 スミルスードを構成している円盤と三本の柱に 無数の亀裂を生じさせた。 スミルスードは、強い風が吹くたびに、 きしるような音を立てるようになった。 人々は、 スミルスードが崩壊するのではないかという不安におののいた。

ゲマゼトイブは、 神官の長であるギモクノデムに、 スミルスードの修復をネゾクネゾクに祈願せよと命じた。

ギモクノデムは、神殿の奥にある祭壇の前にひざまずき、 三日三晩にわたって祈りを捧げ続けた。 すると、祭壇の上の空中に、ほのかな神の姿が現われた。 その姿は、神殿や祭壇がそうであるのと同じ角度で、 南西に向かって傾いていた。

その神は、自分の名前はネゾクネゾクであると述べたのち、 スミルスードを修復するカは自分にはないと告げた。

ギモクノデムは神に言った。 「それでは、 その力を持っている神に スミルスードの修復を依頼していただきたい」

するとネゾクネゾクは言った。 「スミルスードの修復ができるのは、 それを創造したモネモネモという神だけなのだが、 モネモネモはスミルスードから遠く離れた地上に住んでいて、 わしの声はそこまで届かないのだ」

「そこへ行って依頼してもらえないでしょうか」

「わしは、 スミルスードの秩序を維持するために創造された神であるゆえ、 ここから離れることができないのだ。 スミルスードから地上へ降る方法と モネモネモが住んでいる場所を教えてやるから、 お前たちがそこへ行くがよい」

ギモクノデムは、 ネゾクネゾクが語った言葉をゲマゼトイブに報告した。 それを聞いた王は、 モネモネモが住んでいる場所へ神官を派遣して、 スミルスードの修復を依頼させよ、とギモクノデムに命じた。 ギモクノデムは、 自分がもっとも信頼しているリトミセヌスという神官に、 その任務を託した。 ゲマゼトイブは、神官を野獣から守るための護衛として、 自身の近衛兵の中から三名の精鋭を選んだ。

スミルスードの円盤と柱の内部には、 人間が昇ったり降ったりすることのできる階段があった。 リトミセヌスとその護衛たちは、 その長い階段を通って地上へ降り立った。 そして、頻繁に襲ってくる野獣たちを弓や槍で倒しながら、 モネモネモが住んでいる場所を目差した。

数十日後、彼らは、 高い山の山麓に建てられた小さな建物の前にたどり着いた。 それが、モネモネモが住んでいるという神殿だった。

リトミセヌスは神殿の中に入り、 祭壇に向かって三日三晩にわたって祈りを捧げ続けた。 すると、祭壇の上に神の姿が現われた。

その神は、自分の名前はモネモネモであると神官に告げた。 そして、「スミルスードを修復することも可能だが、 それよりも、新しい柱を建てて、その上に新しい円盤を載せて、 その上に山や川や湖を作るほうが、 わしにとっては簡単だ」と言った。

「どちらでもかまいません」と神官は言った。 「それで崩壊の不安が解消するのなら、方法はおまかせします」

モネモネモは、リトミセヌスとその護衛たちを連れて、 神殿のそばにある小さな岩山に登った。 その岩山は空中に舞い上がり、 スミルスードに向かって飛行を開始した。

岩山がスミルスードの上に舞い降りたのち、 モネモネモとリトミセヌスはネゾクネゾクの神殿へ向かった。 そしてリトミセヌスは事の次第をギモクノデムに報告した。

モネモネモは祭壇の上に昇り、ネゾクネゾクを呼び出した。 姿を現わしたネゾクネゾクに向かってモネモネモは言った。 「スミルスードはまもなく崩壊するだろう。 わしは、人間たちを新しい土地へ移住させるつもりだ。 貴殿の任務は、それにともなって完了することになる」

「わしは、新しい土地へ連れて行ってもらえないのか」 とネゾクネゾクは尋ねた。

「申し訳ないが、それはできない。 なぜなら、貴殿はスミルスードの一部分だからだ」

「わしを見捨てないでくれ」とネゾクネゾクは懇願した。

しかし、モネモネモはそれ以上は何も言わず、神殿をあとにして、 ふたたび岩山とともに空中に舞い上がった。

モネモネモは、スミルスードから少し離れた場所に、 スミルスードと同じ形の建造物を建てて、 「ワデヌワーモ」という名前をそれに与えた。 次に、ワデヌワーモの上に神殿を築いて、 そこにゾマテゾマテという神を祀り、 ワデヌワーモの秩序の維持をその神に命じた。 そして、人間たちをスミルスードからワデヌワーモへ移住させた。

スミルスードが無人になってから数十日が過ぎたのち、 スミルスードは轟音とともに崩壊した。 しかし、ネゾクネゾクはスミルスードの残骸の中で生き続けた。

ネゾクネゾクは、 もう一度人間たちとともに暮らしたいと願った。 しかし、 ネゾクネゾクには人間を創造する能力が備わっていなかったので、 彼は、 地上に棲息している動物のうちでもっとも知能の高い リボゾーヌという種類の動物に、 言葉の喋り方や道具の作り方などを教えた。

リボゾーヌたちは、それまで、 大型の肉食獣に捕食されないように 樹上に身を潜めて暮らしていたが、 そののちは、槍や弓などの道具を使って大型の肉食獣を捕獲して、 それを食糧にするようになった。 また、ネゾクネゾクは、 畑を耕して野菜や穀物を作る方法もリボゾーヌたちに伝授した。

リボゾーヌたちは、毎日、 三本の柱を持つ巨大な謎の建造物を見ながら暮らした。 ネゾクネゾクは、 その建造物は「ワデヌワーモ」という名前であり、 その上には楽園がある、とリボゾーヌたちに教えた。

リボゾーヌたちのうちで好奇心の旺盛な者たちは、 ワデヌワーモに対する綿密な調査を実施した。 その結果、 ワデヌワーモの柱の内部には通路があって、 そこを通って上へ昇っていくことができるということや、 柱に支えられた円盤状の岩の上には 「人間」と呼ばれる動物が棲息している ということなどが判明した。

リボゾーヌの歴代の王たちは、 ワデヌワーモの上にある楽園を占領するために 何度も遠征軍を派遣したが、 それに対して人間たちも必死で抵抗したため、 侵攻はなかなか成功しなかった。

ゴイゼルという王の治世のとき、リボゾーヌたちの軍隊は、 ようやくワデヌワーモの攻略に成功した。 ゴイゼルは、 新しく自分の版図となった土地を視察するために ワデヌワーモを訪問したが、 そこがリボゾーヌたちにとって 楽園と呼べるほど価値のある土地だとは思えなかった。

王は、 ワデヌワーモをどのように利用するのがよいかということを 廷臣たちに協議させた。 廷臣たちは、 獰猛な肉食獣を隔離するために使うというのが用途として最適である という結論を出した。

そこでゴイゼルは、まず、 ワデヌワーモのすべての人間を地上へ移住させ、 次に、すべての獰猛な肉食獣を捕獲して、 ワデヌワーモの上でそれらを解き放った。

地上へ移住させられた人間たちは、 リボゾーヌたちによって奴隷として使役されることになった。 しかし、移住から数十年ののち、人間たちは叛乱を起こして、 人間のための国を建てた。

そして、長い時が流れた。 地上に棲んでいたすべての動物たちは、 数年間に渡って続いた洪水によって絶滅した。 リボゾーヌや人間も、その例外ではなかった。

洪水が終息し、大地がふたたび植物に覆われたのち、 ワデヌワーモの上にルギルギルが姿を現わした。 ルギルギルは、 ワデヌワーモに棲んでいたすべての動物たちを率いて、 彼らを地上へと導いた。

そしてまた長い時が流れたのち、 ワデヌワーモは地震によって倒壊した。

第十話――旧大陸からの脱出

ギナトリアと呼ばれる大陸の上には、 さまざまな植物が繁茂しており、さらにそこには、 人間を含むさまざまな動物も棲息していた。 そして、その大陸の周囲には、茫漠たる大洋が広がっていた。

人間たちは、 ツグリグメテムという神が自分たちの世界の造物主であると信じ、 巨大な神殿を築いてその神を奉祀した。 ツグリグメテムの言葉は、 人間の女たちの中から彼自身が選んだ巫女によって 人間たちに伝えられた。 ツグリグメテムが巫女の口を借りて語る言葉は、 その大部分が農作物の豊凶や天変地異などに関する予言だった。

巫女が、 予言ではなく人間に対する命令を伝達することもあった。 それは、 自分に対して犠牲を捧げよというような命令だった。 要求される犠牲は、牛や羊などの家畜であることが多かったが、 まれに、 性別と年齢を限定して人間の犠牲が要求されることもあった。 人間たちは、その命令に背くことができなかった。 なぜなら、人間が神の命令にしたがわなかった場合、天罰として、 飢饉や洪水や地震や火山の噴火などが 人間たちを苦しめることになるからである。

大陸の東海岸から少し内陸へ入ったところに、 トモクノザナという名前の小さな村があった。 その村の役場で働いているミノトミラという女が、 測量のために村のはずれにある山に登ったとき、 彼女は、 一部分だけが地面の上に露出した岩の表面に 文字が刻み込まれているのを発見した。 彼女はその岩を掘り出して、そこに刻まれた文章を読んだ。 その文章は、 世界を創造したのはセヌマナジスモという神で、 その神は、世界の創造が完了したのち、 姿を隠して長い眠りに就いた、という内容だった。

ツグリグメテムは、 人間が知ってはならないことをミノトミラが知ってしまった ということを察知した。 そこで彼は、彼女のロを塞ぐために、 クユンシュナという巫女の口を借りて、 「トモクノザナ村のミノトミラという女を犠牲として我に捧げよ」 と神官たちに命じた。 最高位の神官であるダエルゴズマは、 トモクノザナ村へ行ってミノトミラを連れて来るように、 と神官たちに命じた。

ミノトミラが犠牲として指名されたという報せが トモクノザナ村に届いたとき、 彼女を連行するために派遣された神官たちは、まだ、 そこへ向かう道の途上だった。 その報せを聞いたミノトミラは、大急ぎで村から脱出して、 人里離れた山奥に身を潜めた。 しかし、どこに隠れたとしても、 そのうちに見付け出されてしまうだろうということは明らかだった。 そこで彼女は、即席の祭壇を作って果実などの供物を捧げ、 セヌマナジスモという神の名前を何度も唱えた。

セヌマナジスモは、天と大洋を創造し、大陸を造り、 植物と動物を造ったのち、深い眠りに就いていたが、 誰かが自分の名前を唱えていることに気付いて目を覚ました。 そして、「誰だ、わしの名前を唱えているのは」と言った。

ミノトミラは、 どこからともなく聞こえてくる重々しい声の主に対して、 「私はミノトミラという者です」と答えた。

「わしに何か用があるのか」とセヌマナジスモは尋ねた。

「そうです。 私を助けてほしいのです」とミノトミラは言った。

「助けてやれるかどうかはわからないが、 ともかく事情を説明してくれぬか」と神は言った。

ミノトミラは、自分が追われる身となった経緯を語った。

「事情はわかった」と神は言った。 「しかし、残念ながら、 わしにはお前を助けてやることはできそうにない。 ツグリグメテムは、世界を創造する力は持っていないけれども、 世界を操作する力がきわめて強大であるゆえ、 世界の統治に関して彼に意見を言うことのできる神は 誰もいないのだ。 お前一人だけを助けることは簡単だが、それをすれば、 ツグリグメテムは大いなる災いを人間たちにもたらすだろう」

「では、私にはもう、 犠牲として捧げられる運命から 逃れることはできないのでしょうか」

セヌマナジスモは、しばらく考えたのち、 「わしが指示したとおりにお前が行動してくれるならば、 お前を助けてやることができるかもしれぬ」と言った。 そして、詳細な指示をミノトミラに与えた。

ミノトミラは、まず、 トモクノザナ村に到着していた神官たちの前に出頭して、 彼らとともに神殿へ向かった。 神官たちは、 神殿に到着すると、ミノトミラをその地下へ連れて行って、 牢獄のような部屋に彼女を監禁した。

数日後、ツグリグメテムに犠牲を捧げる祭儀を挙行するために、 神官たちは、 神殿の前の広場に置かれた石の寝台の上にミノトミラを寝かせた。 そして、大勢の人々がその寝台を遠巻きに取り囲んで、 祭儀の進行を見守った。 短剣を握った神官の手が ミノトミラの心臓を貫くために大きく振り上げられたとき、 神殿から少し難れた丘の上に、 身の丈が普通の人間の何十倍もある大男が出現した。 それは、セヌマナジスモが創造した、 テゴルイドという名前の大男だった。

テゴルイドは、地響きを立てながら神殿の前の広場に歩み寄り、 石の寝台の横へ自分の手の平を差し伸べた。 ミノトミラがその手の平の上に飛び乗ると、テゴルイドは、 彼女を自分の胸の高さまで特ち上げた。

ミノトミラは人々に向かって言った。 「この世界を創造したのは、 ツグリグメテムではなくてセヌマナジスモという神です。 おそらく、 ツグリグメテムは これから大いなる災いを人間たちにもたらすでしょう。 それに巻き込まれて死にたいと思わない者は、船に乗って、 東の海の彼方にあるデリトニアという大陸に渡りなさい。 それは、セヌマナジスモが三日前に創造した大陸です」

ミノトミラが語ったとおり、ツグリグメテムは、 地震や洪水や伝染病などのさまざまな災いを ギナトリア大陸の全土にもたらした。 人々は巨大な船を何隻も建造して、 デリトニア大陸を目指して海を渡った。 そして一年後には、ギナトリア大陸に残っている人間は、 巫女のクユンシュナと神官のダエルゴズマのみとなった。

ツグリグメテムは、 デリトニア大陸に対してもさまざまな災いをもたらそうと試みた。 しかし、デリトニア大陸には、 ツグリグメテムによる操作を拒絶する仕組みが 組み込まれていたため、 その企てはことごとく失敗に終わった。

ツグリグメテムは大いに怒り、 ミノトミラに対する復讐心を燃え上がらせた。 彼は、クユンシュナの口を借りて、 「ミノトミラをすみやかに抹殺せよ」 とダエルゴズマに命じた。 ダエルゴズマはデリトニア大陸に渡り、 ツグリグメテムの命令を忠実に実行しようとしたが、逆に、 テゴルイドによって打ち倒された。

ミノトミラに復讐するためには自分自身が手を下すしかない と考えたツグリグメテムは、 テゴルイドを上回る身の丈を持つ大男の姿で デリトニア大陸に降臨した。

ミノトミラは、 ツグリグメテムが自分に向かって迫ってくるのを見ると、 テゴルイドの肩に乗って、 あらかじめセヌマナジスモによって準備されていた 洞窟の中へ逃げ込むように彼に命令した。 そしてツグリグメテムも、彼らを追って洞窟の中ヘ入った。

その洞窟の内部は、複雑な迷路になっていた。 ミノトミラは、 あらかじめセヌマナジスモから指示されていた道順のとおりに テゴルイドを進ませた。 しばらくのあいだは、 ツグリグメテムの足音がミノトミラの耳に届いていたが、 やがてその足音は聞こえなくなった。 洞窟の出口に到達したのち、 ミノトミラとテゴルイドは 様子をうかがいながらしばらくそこに留まっていたが、 いくら待ってもツグリグメテムはそこから出て来なかった。 ツグリグメテムには、 迷路の中を永遠にさまよい続けるという運命が与えられたのである。

役目が終わったテゴルイドは、 ミノトミラを地面に降ろしたのち、 空気に溶け込むかのように消滅していった。 ミノトミラは、 デリトニア大陸に移住したトモクノザナ村の人々と再会して、 ふたたび村役場で働くことになった。 彼女は、そののちもしばしばセヌマナジスモに供物を捧げたが、 その造物主の声が聞こえてくることは二度となかった。 セヌマナジスモは、彼女を救ったのち、 ふたたび長い眠りに就いたのである。

人間たちは、真の造物主の名前を後世に伝えるために、 その名前を刻んだ石碑を各地に建てた。 しかし、数百年後には、それらの石碑は完全に土や砂の中に埋没し、 セヌマナジスモは、ふたたび忘れられた神となった。

第十一話――現実の探求

モロゴズヌリという国に、 商店を営んでいるマノデベルスという男がいた。 その商人の店は、モロゴズヌリでもっとも賑やかな通りにあって、 売上は好調だった。 しかし、時代が遷り、人々の嗜好が変化するにつれて、 売上は先細りとなり、 やがて、巨額の負債を抱えて倒産することとなった。

生きる希望を失ったマノデベルスは、 自分の足と重い石とをロープで結び付けて、 その石を抱いて谷川の深い淵に身を投じた。 淵の底まで沈んだマノデベルスは、 顎鬚を蓄えた老人が自分の目の前に立っているのを見た。 そして、 自分と老人との周囲にあるものが 水ではなく空気だということに気付いた。

「お主はなぜ自殺を図ろうと思ったのだ?」と老人は尋ねた。

「商売が行き詰まったのです」とマノデベルスは答えた。 「私が抱えている借金はあまりにも厖大で、 返済できる見込みはまったくありません」

すると老人は言った。 「ならば、 簡単に金を手に入れることができる方法をわしが教えてやろう」

マノデベルスは驚いた。「本当ですか」

「本当だとも。 『ゴリグメギスモ・ガドマゲノス』という呪文を 覚えておくがよい」

「何ですか、その呪文は」

「夢の中で見たものを現実の世界へ持ち帰るための呪文だ。 たとえば、お主が夢の中で金貨を見たとしよう。 そのときお主が、その金貨を見ながら、 『ゴリグメギスモ・ガドマゲノス。 この金貨を我が領土へ』と言えば、 目覚めたのちも、その金貨はお主の目の前にあるだろう」

老人がそこまで語ったのち、その姿は不意に消滅した。 そしてマノデベルスは、 自分がふたたび水の中にいることに気付いた。 足に結び付けてあったロープは、いつのまにかほどかれていた。 彼は水面に浮上して、岸に向かって泳いだ。

マノデベルスは、 教えてもらった呪文を何度も練習したのち、寝床に入った。 そして彼は夢を見たが、目覚めたのち、 自分が夢の中から何も持ち帰っていないということに気付いた。 夢の中で、自分が夢を見ているということに気付かなかった、 というのがその失敗の原因だった。

夢の中で呪文を唱えることに成功するまで、彼は、 同じ失敗を幾晩も繰り返した。 初めてそれに成功したのち、目覚めると、 夢の中で見た美しい宝石が彼の枕元に転がっていた。 彼はその宝石を売って、借金の一部を返済した。

そののちもマノデベルスは、 金塊や札束や美術品などを次々と夢の中から持ち帰った。 彼の負債はまたたくうちに消えてなくなり、彼は、 ふたたび表通りに店を出すことができるようになった。

マノデベルスが夢の中から持ち帰ったものは、 金銭と交換できるものだけではなかった。 彼は、夢の中で美しい女性と出会い、その女性と恋に落ちた。 そして彼は、彼女を現実の世界へ連れて帰って、 自分の妻にしたのである。

マノデベルスが大通りに出した新しい店は、 順調に売上を伸ばしていき、やがて、 モロゴズヌリの各地に支店を開くまでに成長した。

事業が軌道に乗ったのちも、マノデベルスは、 しばしば夢の中で見たものを現実の世界へ持ち帰った。 彼はすでに金銭には不自由しなくなっていたので、 彼が夢の中から持ち帰るものは、 かならずしも高額な品々ばかりではなかった。 彼は、 現実の世界では見ることも聞くこともできないような 珍しい動物や植物などを好んで持ち帰った。

ある夜の夢の中で、マノデベルスは、 クドストヌガという名前の男と出会った。

「俺を現実の世界へ連れて行ってくれ」と、 クドストヌガはマノデベルスに向かって言った。 「俺は、 普通の人間には不可能なことを可能にする さまざまな魔法を使うことができる。 俺を現実の世界へ連れて行ってくれたなら、その礼として、 俺の魔法を使って、 あんたが望むことを何かひとつかなえてやろう」

マノデベルスは尋ねた。 「あなたには、 自分の魔法を使って現実の世界へ行くことはできないのですか?」

「俺の魔法にも不可能なことがまったくないわけではない」 とクドストヌガは答えた。 「この夢の中から抜け出して現実の世界へ行くというのも、 俺の魔法では不可能なことのひとつだ」

「心配なことがひとつあります」とマノデベルスは言った。 「私は、 現実の世界にあるものを夢の中へ持って行く方法を知りません。 つまり、あなたがこの夢の中へ帰りたいと思っても、 私にはどうすることもできないのです。 それでもかまわないと言うのならば、 現実の世界へ連れて行ってあげてもいいのですが」

「心配する必要はない」とクドストヌガは言った。 「俺は、この世界に戻りたいとはけっして思わないだろう」

その言葉を聞いて安心したマノデベルスは、呪文を唱えた。 「ゴリグメギスモ・ガドマゲノス。 この男、クドストヌガを我が領土へ」

目を覚ましたマノデベルスは、 自分の寝台のそばにクドストヌガが立っているのを見た。

クドストヌガは、 しばらくのあいだ不審そうに周囲を見回したのち、 マノデベルスに向かって言った。 「ここは、まだ現実の世界ではなくて、あんたの夢の中だ」

「そんなはずはありません。 私には、ここが現実だと感じられます」

「それは、あんたがそう感じているというだけのことだ。 どうやら俺は、あんたの夢の中の夢の中の存在だったらしい」

「ここがまだ私の夢の中だと言うのでしたら、 私をこの夢から目覚めさせてください」

「お安い御用だ。 だがその前に、俺を現実の世界へ連れて行く呪文を、 もう一度唱えてくれ」

マノデベルスは、ふたたび呪文を唱えた。 「ゴリグメギスモ・ガドマゲノス。 この男、クドストヌガを我が領土へ」

クドストヌガは右腕を水平に伸ばして、 手の平をマノデベルスに向けた。

マノデベルスは、 クドストヌガの手の平から送られてきた力によって 空中に舞い上がりながら、 ここは確かに自分の夢の中の世界で、 自分はこの夢から目覚めつつある、ということを感じた。

マノデベルスは、目を開いて周囲を見回した。 彼は、谷川の底にできた空気の半球の中にいた。 彼の足には、まだ、 重い石がロープで結び付けられたままになっていた。

空気の半球の中には、クドストヌガの姿もあった。 クドストヌガは、しばらく周囲を見回したのち、目を閉じて、 両腕を胸の前で交差させた。 すると、空気の半球は二人を包んだまま川底から離れて浮上し、 川岸まで二人を運んだ。

「ここは確かに現実の世界だ」とクドストヌガは言った。 「あんたが望むことを何でもひとつだけ言うがよい。 可能ならばそれをかなえてやろう」

「それでは、私をあなたのような魔法使いにしてください」 とマノデベルスは言った。

「残念だが、それは不可能だ」とクドストヌガは言った。 「魔法使いになるためには、 幼い子供のころからそのための修行を始めなければならないのだ。 あんたの年齢では遅すぎる。しかし、 普通の人間にも使えるような 簡単な魔法を伝授することならできる」

「それでもかまいません。 役に立ちそうな魔法を伝授してください」

「それでは、 特殊な能力を持った人間を探し出す魔法を伝授しよう」

クドストヌガは、右手をマノデベルスの頭の上に載せて、 「動かずにじっとしていろ」と言った。

しばらくして、クドストヌガは、 右手をマノデベルスから離して、 「伝授は完了した」と言った。

「この魔法は、 どうやって使うのですか」とマノデベルスは尋ねた。

「特殊な能力を持った人間のイメージを 頭の中で想い浮かべればよい。 もしもそのような人間が実在するならば、 その人間の居場所がイメージとなって頭の中に浮かんでくる」

クドストヌガは、そう言ったのち、 いずこともなく去っていった。

自分の家に帰ったマノデベルスは、 夢の中のものを現実の世界へ持ち帰る呪文を使って借金を返済し、 店を再建した。 また彼は、 クドストヌガから伝授された魔法を使って さまざまな能力を持つ人間を探し出し、 その能力を生かした仕事を彼らにさせることによって、 ほかのどんな店も太刀打ちできないほどにまで 自分の店を発展させた。

そして三十年の歳月が流れた。 マノデベルスの店は相変わらず莫大な利益を生み続けていたが、 彼の関心はもはや店の発展には向けられていなかった。 彼は、 自分にとっての現実というのは誰かの夢なのではないか という疑念に取り憑かれていたのである。

マノデベルスは、 自分の疑念に対して明快な解答を与えてくれる人間のイメージを 頭の中に想い浮かべた。 すると、その人間の居場所として、 丘の上にある立派な屋敷のイメージが浮かんできた。

マノデベルスは、さまざまな手段を講じて、 頭の中に浮かんだイメージのとおりの屋敷を探し出した。 その屋敷には、レイゼダートという名前の若い男が住んでいた。

マノデベルスはレイゼダートに尋ねた。 「この世界は、君の夢なのではありませんか?」

するとレイゼダートは答えた。 「そんなことは考えてみたことがありませんでしたが、 言われてみると、 確かにここは現実感に乏しいような気がします」

「では、 君の現実の世界へ私を連れて行ってくれませんか」 とマノデベルスは頼んだ。

「ええ、いいですよ」とレイゼダートは言った。 「でも、そんなことが可能なんですか」

「可能です」とマノデベルスは答えた。 「これから私が言う呪文を、そのとおりに唱えてください」

レイゼダートは、マノデベルスから教えられた呪文を唱えた。 「ゴリグメギスモ・ガドマゲノス。 この男、マノデベルスを我が領土へ」

そののち、レイゼダートの姿はしだいに不鮮明になっていった。 そして次の瞬間、マノデベルスは別の場所へ移動した。 そこは質素な調度類が置かれた部屋の中で、 窓の外には鬱蒼とした森が広がっていた。 そして、部屋の中には寝台があって、 目を覚ましたばかりのレイゼダートがその上にいた。

マノデベルスは、レイゼダートに礼を言ったのち、 森の中の小さな家から外へ出た。 そのときすでに、マノデベルスの頭の中では、 この世界を夢で見ている人物が住んでいる場所のイメージが、 おぼろげながらもその形を現わし始めていた。

第十二話――宿命の絆

ノルスニライ王国は、 タクセギヌスという国王のもとで平和と繁栄を享受していた。 ある年のある夜、タクセギヌスは、 王妃が赤子を出産したという報せを受けて、 急いで彼女の産室へ向かった。

王妃グリサマーヤは、王の来訪を笑顔で迎えた。 彼女の寝台のそばに置かれた小さな寝台の上では、 男の赤子が盛大な泣き声を上げていた。 それは、王にとって初めての王子だった。

「よくやった」と王は王妃に言った。 「この王子をテムゼシウスと名付けよう」

翌朝、タクセギヌスは、 宰相ベソムドルカを御前に召し出して言った。 「昨夜生まれた王子テムゼシウスは、第一位の王位継承権者である。 余に万一のことがあった場合は、あの王子を国王に即位させ、 そなたは摂政を務めよ」

「かしこまりました」と宰相は言った。 そして、次のように付け加えた。 「テムゼシウス殿下に関しましては、 典医から重大な報告が届いております。 典医を召し出して、 その件について奏上させる必要がございます」

王は、典医団の主任であるダムートギダルを御前に召し出した。 姿を現わした典医は、単刀直入に言った。 「陛下、かの王子は対人間の片割れでございます」

タクセギヌスは尋ねた。 「対人間とは何か」

「対人間と申しますのは、 ほとんど同時期に別々の母親から産まれてくる、 二人で一組となる人間のことです。 対人間は、その二人の意志がひとつになったとき、 強大な力を発揮します。 ただし、その力が善なる目的に使われた前例はありません。 歴史に残っている凶悪な大事件のいくつかは、 正史では指摘されておりませんが、 対人間の所業だということが判明いたしております。 なお、対人間に関することは、 ごく一部の限られた者しか知ることを許されておりませんので、 他言なさらないようにお願い致します」

「それで、凶悪な大事件が起きるのを未然に防ぐためには、 どうすればいいのだ?」

「対人間による災いを防ぐためには、 その二人が決して出会わないようにしなければなりません。 テムゼシウス殿下と対になっているもう一人を探し出して、 その者を抹殺するのがよろしかろうと存じます」

「対人間の片割れだということは、 どうすれば見分けることができるのだ?」

「王子の左の脇腹には、紐状の突起がございます。 その突起は、この世界とは異なる世界を通っている紐によって、 もう一人の片割れの右の脇腹にある突起とつながっています。 ですから、 王子のそれと同じような突起が 右の脇腹にある赤子を探し出せばよいのです」

タクセギヌスは、 テムゼシウスと対になっている相手を抹殺せよ とベソムドルカに命じた。 宰相は、 右の脇腹に突起のある赤子を探し出せという命令を すべての地方官に発した。

すると、ミシクトプという行政区の長官から、 条件に該当する赤子が当地にいるという報告が届いた。 宰相は、典医の一人をその地方へ派遣して、赤子の検分をさせた。 その典医は、見出された赤子の右の脇腹に、 王子の左の脇腹にあるものと同じ形状の突起があるのを確認して、 それを宰相に報告した。 宰相は、腹心の部下に、 充分な代償を両親に与えた上で赤子を引き取って、 その赤子を密かに抹殺するように、と命じた。

そして年月が流れた。 テムゼシウス王子は十五歳の立派な若者となり、 王太子として公務にも従事するようになった。

ある日、宰相ベソムドルカは、 一通の報告書の内容を知らせるために王の執務室へ急いだ。 その報告書は、 辺境にあるツランジルテという行政区の官吏から 送られてきたもので、 数名の少年たちが徒党を組んで役所を襲撃しようとしたが、 失敗して捕えられた、 という事件に関するものだった。 事件の特異さもさることながら、宰相を動転させたのは、 襲撃者たちの頭目である ドバイゾルトという少年の身体的な特徴についての記述だった。 報告書には、 その少年の左の脇腹には紐状の突起が存在する と書かれてあったのである。

タクセギヌスは、報告書に目を通したのち、 つぶやくように言った。 「つまり、 ほとんど同じ時期に二組の対人間が生まれていたということだな」

「そのようでございます」 とベソムドルカは言った。

王は宰相に尋ねた。 「われわれが抹殺した赤子は、テムゼシウスと対になっていたのか、 それともドバイゾルトと対になっていたのか」

宰相は答えた。 「わかりません。 しかし、いずれにせよ、ドバイゾルトと、 そしてまだ発見されていないもう一人の片割れとを 探し出して抹殺しなければ万全とは言えない、 ということは確かです」

「では、そのための通達を出しておいてくれ」 と王は宰相に命じた。

ベソムドルカは、ツランジルテの長官に対して、 ドバイゾルトの首を刎ねよと命じた。 そしてまた、年齢が十五歳前後で、 かつ右の脇腹に突起のある者を探し出せ、 という命令をすべての地方官に発した。

その翌日、宰相は、 ツランジルテの長官から送られてきた報告書を受け取った。 その報告書には、 ドバイゾルトは留置場から逃走して行方不明であると記されていた。

そののち、ドバイゾルトを再び捕えたという報告も、 右の脇腹に突起のある者の所在を突き止めたという報告も、 宰相のもとに届くことはなく、ただ歳月だけが流れていった。

テムゼシウス太子は、年齢を重ねるにつれて、 ますます多くの公務に従事するようになっていった。 彼は、それらの公務を誠実に執行していった。 また、彼は、二十二歳になった年に、 ダルタガルス公爵の息女であるシャルムニーナ姫を 正妻として迎えた。

初めてテムゼシウスと臥所をともにすることになった シャルムニーナは、 太子の左の脇腹に紐状の突起があるのを発見した。 太子妃は、自分の右の脇腹にある、 太子のものと瓜二つの突起を太子に見せた。

彼らのどちらも、 自分たちの脇腹にある突起が何を意味しているかということを、 誰からも聞かされていなかった。 彼らは、自分たちの共通点を、 自分たちの婚姻が天命によって定められたものだ ということを証明する啓示であると解釈した。

王太子夫妻は、互いに協力し合って、 多くの公務で着実に実績を重ねていった。 彼らの働きぶりに感心した国王は、しだいに、 彼らに国政を任せるようになっていった。

テムゼシウスが三十歳になった年、 タクセギヌスは、王位を王太子に譲ることを決意した。 盛大な戴冠式が挙行され、王国の人々は、 国王に即位したテムゼシウスの前途を祝福した。

ノルスニライ王国は、テムゼシウスの治世となったのち、 さまざまな内憂外患に見舞われた。 国王テムゼシウスは、それらの問題を解決するために、 不眠不休で国の内外を奔走した。 そのような国王自らの尽力が功を奏したのか、 山積していた諸問題も、少しずつ解消していった。

久しぶりに王宮に戻ったテムゼシウスは、 王妃シャルムニーナの居場所を女官のひとりに尋ねた。 女官は、王妃陛下は私用で外出されていると答えた。 王は、王妃が不在であることに一抹の寂しさを感じたが、 不審の念を抱くことはなかった。

ノルスニライ王国が抱えていたさまざまな問題が 完全に沈静するかと思われたころ、 西の国境に近い辺境の地では、新たな紛争の火種が発生していた。 ドバイゾルトが、ノルスニライ王国に対して叛旗を翻すために、 無頼漢を集めて軍隊を編制しようとしていたのである。

その不穏な動静が王宮にまで伝えられてきたときには、すでに、 辺境にある十二の行政区が叛乱軍によって制圧されていた。 国王は、叛乱を鎮圧するために、 国軍の精鋭によって編制された部隊を辺境に派遣した。

王宮の武官たちの誰もが、 叛乱の鎮圧は時間の問題だと考えていた。 しかし、彼らの自信は、 前線からの報告によって微塵に打ち砕かれた。 前線から送られてきた報告書には、 鎮圧部隊は無頼漢の寄せ集めにすぎない叛乱軍の痛撃を受けて 潰走中であると記されていたのである。

前線の司令官はさらに、 王宮の内部にいる誰かが 鎮圧部隊の作戦の詳細を叛乱軍に漏らしていると思われる、 という報告を送ってきた。 王宮の武官たちは、 軍事機密を叛乱軍に漏らした人物を探し出して処分したが、 その犯罪の黒幕を明らかにすることはできなかった。

ドバイゾルトが率いる叛乱軍はその後も快進撃を続け、 王都に隣接する行政区のうちのいくつかを制圧した。 彼らは、王都を見下ろすことのできる山の上に城塞を築いて、 王都を攻略するための準備を進めた。

王妃シャルムニーナは、一人の女官と一人の護衛を連れて、 密かに王宮から抜け出して、 無頼漢の大軍が気勢を上げている城塞へ向かった。

シャルムニーナは、 ドバイゾルトが待つ質素な天幕の中へ案内された。 初対面の二人は無言のまま服を脱いで、 相手の脇腹にある突起を互いに確認し合った。

シャルムニーナは、ふたたび服を着ると、 天幕の外に待たせてあった女官を招き入れた。 女官は、一枚の図面をテーブルの上に広げた。 それは、複雑な王宮の構造を示す図面だった。 その図面の随所には、 そこを居室としている王族の名前や、 近衛兵の配置などが書き込まれていた。

翌日、叛乱軍は、王都を防衛する国軍と交戦して、 それを撃破した。 ドバイゾルトは、叛乱軍の精鋭とともに王宮に入城して、 近衛兵を掃討し、王族たちを地下の牢獄に幽閉した。

王宮を完全に制圧したのち、ドバイゾルトは、 山上の城塞で待機していたシャルムニーナを呼び寄せた。 そして彼は、王族たちの処刑を部下に命じて、 シャルムニーナとともにその処刑を見守った。

そののち、ドバイゾルトは新しい王朝を樹立して、 国号をザビルギテヌ王国と改め、初代の国王に即位した。 ドバイゾルトは、領土を拡張したいという野心に燃えて、 国民に重税を課し、兵力を増強し、 そして自ら大軍を率いて近隣の諸国を蹂躙した。

ドバイゾルトの即位から一年が過ぎたとき、 シャルムニーナは男の赤子を出産して、 その赤子にレクマニケスという名前を与えた。 レクマニケスは、二十五歳になったとき、 ドバイゾルトを殺害して二代目の国王を僭称した。

レクマニケスは、多くの国民を徴用して、 彼らを酷使することによって巨大な神殿や墳墓をいくつも建設した。 レクマニケスの即位から二十年が過ぎたとき、 ザビルギテヌ王国は近隣の諸国の侵攻によって滅亡し、 王族はことごとく処刑された。

レクマニケスの死体は、王都の中央にある広場に晒された。 多くの民衆が、 かつて自分たちの国王だった死体を見るために広場に集まった。 彼らの多くは、 その死体の左右の脇腹に一対の紐状の突起があることに気付いて 奇異の念を抱いた。 しかし、誰ひとりとして、 それが意味しているものについて知る者はいなかった。

第十三話――複製の故国

ヌガヤビヌテという国の東の国境付近には、 スミルサミードと呼ばれる広大な砂漠があった。 ある年、 都市のようなものがその砂漠で発見されたという報告が ヌガヤビヌテの政府に届いた。

政府は、 さまざまな分野の専門家で組織された調査隊を スミルサミードに派遣した。 調査隊が砂漠で見たものは、実物大の都市の模型だった。 調査が開始されてすぐに、 その模型はキネタミラという実在する都市を 複製したものだということが判明した。

キネタミラは数十万の人口を擁する大都市だったが、 砂漠に忽然と出現したその模型には、人間の姿はなく、 また人間が生活するための機能も備わってはいなかった。

砂漠に派遣された調査隊には、 ペスルゴラスという名前の降妖官も含まれていた。 彼は、 都市の模型の出現という異変が 妖怪のしわざだということを突き止め、 その異変を引き起こした妖怪の捜索を開始した。

その妖怪が姿を現わしたのは、 調査隊による都市の模型の調査が開始されてから 十四日目のことだった。 その日、模型を形成している素材について調査していた一団は、 市庁舎の列柱の陰から自分たちの動静をうかがっている 十二歳前後の女の子の姿に気付いた。 彼らが近付くと、その女の子の姿は急速に縮んでいき、 すぐに見えなくなった。 その怪異は、降妖官に即座に報告された。

ペスルゴラスは、 市庁舎の内部に妖怪の気配があることを感じ取った。 彼は、 妖怪の能力を封じ込める結界を市庁舎の周囲に張り巡らせ、 それを徐々に収縮させていった。

結界は、建物の二階の廊下で、人間の大きさにまで収縮した。 しばらくのあいだ結界の内部は空虚なままだったが、 やがてそこに微少な少女の姿が現われた。 そして、その姿は急速に拡大して、 十二歳前後の女の子として違和感のない大きさになった。

ペスルゴラスは重々しい口調で命じた。 「妖怪よ、名を名乗れ」

「我が名はザミタニア」そう答えた妖怪の声は、 数百年の歳月を生き続けた老婆のようだった。

ペスルゴラスは尋ねた。 「この都市の模型を作ったのはお前か」

「そうだ」と妖怪は答えた。

「これを作った目的は何だ」

「我は、物体の複製を作る能力を持つ妖怪だ。 我は、自分の能力の限界を探ろうと考え、 まず手始めに都市の模型を作ったのだ」

降妖官は、その妖怪を、 結界に封じ込めたまま ヌガヤビヌテの首都であるシュバクザーンにある 降妖庁の庁舎へ護送し、 その地下にある監獄に収監した。

ペスルゴラスは独房の前に立ち、 鉄格子の奥にいる妖怪に向かって、 彼女が持っている能力についての質問を発した。

ザミタニアは、意外なほど従順に、 ペスルゴラスの質問に答えた。 彼女を取り囲んでいる結界は 独房の大きさにまで拡大されていたので、 彼女は、独房の中で自分の能力を実演して見せることができた。

自分は、どんなに遠く離れたところにある物体でも、 その複製を作ることができる、 とザミタニアはペスルゴラスに語った。 彼は、彼女にそれを実演させるために、 一時的に結界を消滅させた。すると彼女は、 数千里もの彼方にあるワグマルデという都市を 数万分の一に縮小した模型を作って、 降妖官に差し出した。

「過去に存在していた物体を複製することはできないのか」 とペスルゴラスは尋ねた。

「それはまだ試してみたことがない」とザミタニアは答えた。

降妖官はヌガヤビヌテの地図を広げて、その一点を指さした。 「七百年ほど昔、ここに、高さが百二十丈もある塔が建っていた。 その塔の複製を作ることができるかどうか、試してみてくれ」

妖怪は、独房の床に座って目を閉じた。 しばらくすると、妖怪の前の床の上に塔の模型が出現した。 その形は、古文書の中に描かれている塔の姿と寸分違わなかった。

「すばらしい」降妖官は思わず讃嘆の声を上げた。 一刻も早く、 この妖怪の利用価値に関する報告書を書かねばならない、 と彼は考えた。 その報告書は、彼の昇進を強力に後押しするに違いなかった。

ペスルゴラスは、妖怪をふたたび結界に封じ込めて、 地上に通ずる階段を駆け昇った。 地上に戻った降妖官は、 降妖庁の庁舎から人間の姿が消え去っていることに気付いた。

人間が消夫しているのは庁舎の中だけではなかった。 ペスルゴラスは庁舎から出て繁華街へ行ってみたが、 そこでも人間の姿を見ることはできなかった。

降妖官は庁舎の地下へ取って返して、 「人間たちが消夫したのはお前のしわざなのか」 とザミタニアに尋ねた。

「人間がいなくなったわけではない」とザミタニアは答えた。 「お主は、シュバクザーンにいるのではなく、 その実物大の模型の中にいるのだ。 今しがた、お主が結界を消滅させたとき、この模型を作って、 お主と我をここへ移送したのだ。 降妖官ともあろう者がそのことに気付かなかったとは意外だな」 妖怪は、そう言って不気味な声で笑った。

「今すぐ、お前と私をもとの場所に戻せ」 と降妖官は命じた。

「断る」と妖怪は言った。

「ならば、 結界に封じ込められたまま永遠にここで暮らすがいい。 私は自力でシュバクザーンに戻る」

「お主は、自力ではシュバクザーンに戻ることなどできぬ。 なぜなら、この模型は砂漠の中央にあり、 この模型の中には水も食料もないのだから」

降妖官は尋ねた。 「自分だけではなく私までもここへ移送した理由は何だ」

「お主に協力してもらいたいことがあるのだ」と妖怪は答えた。

「もしも断ったらどうする」

「何もしない。 そうすれば、お主は飢えて死ぬことになるだろう。 お主が我の命令にしたがうなら、それが終わったのち、 お主をシュバクザーンに戻してやる」

「お前の命令とは何だ」

「降妖庁に捕獲されているすべての妖怪を解放せよ」

降妖官は笑った。 「私にそれをさせるためには、 私をシュバクザーンに戻さなければならない。 しかし、私をシュバクザーンに戻せば、 私がお前の命令にしたがう必要はなくなるのではないか」

「シュバクザーンへ行くのは、お主ではなくお主の複製だ」 と妖怪は言った。

ペスルゴラスは驚いて尋ねた。 「お前は、生物の複製を作ることもできるのか」

「そうだ」とザミタニアは言った。 「驚く必要はあるまい。 生物といえども物体には違いないのだからな」

「わかった」とペスルゴラスは言った。 「それではお前の命令にしたがうことにしよう」

「まず、この結界を消滅させろ」と妖怪は言った。

降妖官は結界を消滅させた。

妖怪は、降妖官の複製を作り、 それをシュバクザーンにある降妖庁の庁舎の地下へ移送した。

ペスルゴラスの複製は、 すべての独房の扉を開くことのできる鍵を看守から預かった。 そして、 独房の扉を開いて結界を消滅させるという作業を何度も繰り返した。 おびただしい数の妖怪が廊下にあふれ出した。 そして彼らはさまざまな方法で監獄から脱出していった。

看守たちは、 刀や槍などを持ち出して乱心したペスルゴラスを成敗しようとした。 しかし、その試みは、 解放されたばかりの妖怪たちによって阻止された。 最後の独房の扉が開き、その中の妖怪が解き放たれると、 ペスルゴラスの複製を守る楯の役目を務めていた妖怪たちも、 思い思いの方法で逃げ去っていった。 ペスルゴラスの複製は、看守たちの刀や槍によって切り刻まれた。

監獄に収監されていた妖怪たちのうちの一人である マユルカデリは、 ザミタニアが砂漠の中央に作った首都の複製へ移動した。

マユルカデリはザミタニアに向かって言った。 「囚人の解放は成功した。 我々は次の段階へ進む。 我に同行せよ」

ペスルゴラスはあわてて言った。 「その前に私をシュバクザーンに戻せ」

次の瞬間、二人の妖怪はペスルゴラスの視界から消え、 代わりに数人の看守が出現した。 彼の足元には、切り刻まれた自分の複製の死体が転がっていた。

看守たちは、復活したペスルゴラスに猛然と斬りかかった。 ペスルゴラスは、自分の身を守る武器を持ってはいなかったので、 なんとかしてこの場所から逃れなければならぬと考えた。 すると、彼の体は、 看守たちから少し離れた場所へ瞬間的に移動した。

看守の一人が叫んだ。 「貴様、正体は妖怪だったのか」

その瞬間、ペスルゴラスの頭の中に、 それまではどうしても思い出すことのできなかった 幼年期の記憶が鮮明に蘇った。 彼は、自分が戻るべき場所へ移動した。

ペスルゴラスが移動した場所は広い洞窟の内部だった。 彼の目の前には玉座があり、 そこにはマユルカデリが座っていた。 そして、ペスルゴラスの横にはザミタニアが立っていた。

「お前は自分の本来の能力を思い出したのか」 とマユルカデリは尋ねた。

「思い出しました」とペスルゴラスは答えた。 「私は、 神々による封印を破棄する能力を与えられていたのです」

「そのとおりだ」とマユルカデリは言った。 「我々には、お前のその能力が必要だったのだ」

「我のうしろにしたがえ」とザミタニアが命じた。 そして彼女は洞窟の奥に向かって進んでいった。

ザミタニアは、しばらく歩き続けたのち、 巨大な扉の前で立ち止まった。 その扉には、 明らかに神々のものとわかる封印が捺された紙が貼られていた。

「この扉の奥には何があるのだ」 とペスルゴラスは尋ねた。

「我々の故国だ」とザミタニアは答えた。 「数千年の昔、神々は、我々の祖先から領土を奪い、 彼らをその土地から追放した。 それ以来、我々は、 人間の領土の片隅で細々と暮らしていくことを 余儀無くされたのだ」

そしてザミタニアは、扉に貼られた封印を破棄せよと ペスルゴラスに命じた。

ペスルゴラスは封印を破棄した。 そして、扉を開こうとした。

「扉を開いてはならぬ」とザミタニアは彼を制止した。

ペスルゴラスはその理由を尋ねた。

「神々は、 古き神々を封じ込めるために我々の故国を使っているのだ。 扉を開けば、災厄を招くことになるであろう」

「では、封印を破棄したことに何の意味があったのだ」

「封印を破棄したことによって、 この中の土地の複製を作ることが可能になったのだ。 見よ」

ペスルゴラスは、ザミタニアが指さした方向を見た。 そこには、 妖怪たちの故国に至る扉の複製が出現していた。

ザミタニアは、妖怪の封印を捺した紙を故国に至る扉に貼り、 そののち、複製のほうの扉を開いた。 扉の向こうには、青い空と緑の山々がどこまでも広がっていた。

第十四話――石柱と竪穴

トツクナワカという村に、 野菜を作って生計を立てているセゾイネシという男がいた。 ある晩、セゾイネシの夢の中に、 白い顎鬚を伸ばした老人が現われた。

「わしの名はカザクテルヌ」と老人は言った。 「わしは、お前たちの世界とお前たちを造った神なるぞ」

セゾイネシは尋ねた。 「神様が私に何の御用でしょうか」

「お前に頼みたいことがあるのだ」と神は答えた。 「お前の畑の南東の隅に、わしが造った石板が埋まっておる。 それを掘り出してもらいたい」

「それを掘り出せば、何かいいことがあるのですか」 とセゾイネシは尋ねた。

「お前にとっていいことがあるかどうかはわからぬが、 その石板には、人間が神になる方法が刻み込まれておる」

「神になると、何かいいことがあるのですか」

「神は、世界を創造することができる」

「世界を創造すると、何かいいことがあるのですか」

「神は、自分が創造した世界の中で、 自分が望むことを何でも実現させることができる」

セゾイネシはさらに質問を続けようとしたが、 神の姿はしだいに不鮮明になっていって、 やがて見えなくなった。

翌朝、セゾイネシは、自分の畑の南東の隅に大きな穴を掘った。 すると、石で作られた板が穴の底に現われた。 その板の表面には文章が刻み込まれていた。 しかし、その文章に使われている文字は、 セゾイネシの国で使われているものとはまったく異なっていた。

セゾイネシは、村の学校へ石板を持って行き、 教師たちにそれを見せた。 しかし、教師たちもまた、 石板に刻まれた文章を読むことはできなかった。

教師たちは、石板を持って都へ行き、 文字の研究をしている学者たちにそれを見せた。 しかし、学者たちもまた、その文章を解読することはできなかった。 学者たちは、石板の保管を博物館に依頼して、 その由来と文字を記録に留めた。

そののち、トツクナワカ村で発見された石板と、 それについての記録は、誰の目にも触れることなく眠り続けた。 そして、石板の発見から数百年が過ぎたとき、 文字の研究をしているコトルセドツという学者が、 博物館の書庫の片隅で石板についての記録を発見した。 その記録の中に記載されていた文字に興味を覚えたコトルセドツは、 博物館の奥まった収蔵庫の中で石板と対面した。 そのとき、彼の心の中に、 この文章を解読しなければならないという強い義務感が 沸き起こった。

コトルセドツは、まず、 石板に刻まれた文字が、 文字の系統の上でどのような位置にあるかを確定するために、 世界各地で使われているさまざまな文字と 石板の文字とを比較してみた。 その結果として判明したのは、石板の文字が、 人間によって使われている文字とは まったく異質のものだという事実だった。 石板の文章を解読しようという試みは、 その段階で行き詰まってしまった。

コトルセドツは、 文章を解読するための鍵が 石板そのものに隠されているのではないかと考え、 石板を丹念に観察した。 しかし、どれだけ詳細に調べてみても、その石板は、 丸くて平たい形状であり表面に文字が刻み込まれている ということ以外には何の特徴もない、 ごく普通の石としか思えなかった。

ある日、コトルセドツは、 いつものように博物館の収蔵庫の中で石板を観察し、そののち、 論文の草稿が書かれた一枚の紙を石板の上に載せて 収蔵庫から出た。 翌日、石板の上の紙を脇へ移動させたコトルセドツは、 驚きのあまりに自分の目を疑った。 石板の表面に刻まれた文章が変化していたのである。 使われている文字は同じだが、 それらの並び方は明らかに異なっていた。 コトルセドツは、急いでその文章を紙に書き写した。 その作業が終わってしばらくすると、 石板の文章は、変化する以前のものに戻った。

コトルセドツは、その日、 前日とは異なる文章が書かれた紙を石板の上に載せて 博物館をあとにした。 翌日、石板の文章は、彼が期待したとおり、 別のものに変化していた。 彼は、その文章も紙に転写した。

文章が書かれた紙を石板の上に載せておいたときに 石板の表面に現われる文章は、 紙に書かれた文章を翻訳したものなのではないか、 と考えたコトルセドツは、 その仮説のもとに文章の解読を試みた。 そして彼は、その仮説は正しいという確信を持つに至った。

コトルセドツは、石板に刻まれている文字の意味と、 それを並べて文章を作るための規則とを完全に解明した。 その結果、 石板の上に紙を載せていないときに 石板の表面に現われる文章についても、 その意味を理解することができるようになった。 それは次のような意味だった。

「半径二十カナデリの円周に沿って、 高さ八カナデリの石の柱を十二本、等間隔に並べよ。 次に、その円周の中心に、深さ三十六カナデリの穴を掘れ。 そして、夏至の日の正午、穴の底に向かって落下せよ。 そうすれば、その者は、 落下の途中で人間から神へと変化するであろう」

コトルセドツは、石板の文字に関する研究を論文にまとめた。 その論文は学会の紀要に掲載されたが、 それに関心を寄せたのは一部の研究者のみだった。

リトバニミシという男は、若いころから、 神になって世界を創造したいと願っていた。 彼は、人間が神になる方法を求めて、さまざまな文献を渉猟した。 しかし、彼の望みをかなえてくれる文献に出会うことは、 容易には実現しなかった。

老境に達したのちになって、リトバニミシは、 人間が神になる方法について書かれた文献を発見した。 それは、 コトルセドツという学者によって 数百年前に書かれた論文だった。

リトバニミシは、 論文の中に含まれていた石板の文章にしたがって、 石の柱を立てて穴を掘った。彼の友人たちは、 その無謀な試みを思いとどまらせようと説得に努めたが、 彼を翻意させることはできなかった。 そして、夏至の日の正午、彼は深い竪穴の中へ身を躍らせた。

落下の途中で、リトバニミシは、 自分と同じ姿をしたものが自分と並んで落下しているのを見た。 それは、彼に与えられた神の肉体だった。 彼の精神は、人間の肉体から吸い出され、 神の肉体に飲み込まれた。 そして彼は、 自分が存在していた世界から抜け出した。

リトバニミシの友人たちは、穴の中へロープを垂らして、 それを伝って穴の底に降り立った。 彼らがそこで見たものは、リトバニミシの無惨な遺体だった。 友人たちは、その遺体を地上へ引き上げて、手厚く埋葬した。

神になったリトバニミシは、 自分が存在していた世界の外側に広がっている世界を見渡した。 そこには無数の神々が存在していて、彼らは、 自分が創造した世界に対するさまざまな介入を楽しんでいた。

リトバニミシは、 自分が存在していた世界を創造した神に自分の名前を告げて、 その神の名前を尋ねた。

その神は、「わしの名前はカザクテルヌだ」と答えた。

リトバニミシはさらに尋ねた。 「私も世界を創造したいのですが、 そのためにはどうすればよいのですか」

すると、カザクテルヌは次のように答えた。 「創造したいものを頭の中に思い浮かべて、 それに対して実体化せよと命令すればよいのだ」

リトバニミシは、さらに別の質問をした。 「神々はみな、もともとは私のように人間だったのですか」

「そのとおりだ」とカザクテルヌは答えた。 「わしもまた、お前と同じように、 神が造った石板に刻まれていた方法にしたがって 神になったのだ」

「では、最初の神は、 どのようにして神になる方法を知ったのですか」 とリトバニミシは尋ねた。

「人間が神になるための機構を創造したのは、 我々がいる世界を創造した、存在の位階が我々よりも高次の神だ。 この世界の最初の神は、 その高次の神によって造られた石板にしたがって 神になったと伝えられている」

リトバニミシはさらに尋ねた。 「その高次の神は、どのようにして神になったのですか」

するとカザクテルヌは、「それはわしも知らぬ」と答えた。

リトバニミシは、カザクテルヌに礼を述べたのち、 その神から教えを受けた方法で世界を創造し、 さらに人間を含むさまざまな生物をも創造した。 彼は、その世界に神として君臨し、 さまざまな試練や栄光や挫折を人間たちに与えた。

神としての世界への介入は、 リトバニミシにとって充分に楽しいものだった。 しかし彼は、 高次の神というのは低次の神よりもさらに興味深いことを 実行できるのではないだろうかと考えた。 そこで彼は、 「我々のような低次の神が 高次の神になることはできないのですか」とカザクテルヌに尋ねた。

「低次か高次かというのは相対的な関係にすぎない」 とカザクテルヌは言った。 「もしも高次の神になりたいのならば、 低次の神々が存在する世界を創造すればよいのだ」

リトバニミシはさらに尋ねた。 「低次の神々が存在する世界というのは、 どのようにして創造すればよいのですか」

するとカザクテルヌは、次のように答えた。 「まず、ひとつの世界を創造して、 その世界の内部にもうひとつの世界を創造する。 そして、内側の世界の中に人間を創造する。 次に、人間が神になるための機構を創造して、 それを利用する方法を人間たちに教える。 そうすれば、神が次々と誕生していき、 自分は、彼らにとっての高次の神になる」

リトバニミシは、 カザクテルヌが教えてくれたことをそのとおりに実行した。 そしてさらに、リトバニミシは、それだけでは物足りないと思い、 自分が創造した世界の中にいる神が 自分と同じ位階の神になるための機構をも創造した。

そしてしばらくすると、 彼が創造した世界の内部にある世界の人間の中に、 神になる者が現われ始めた。 彼らのうちの一部は、さらに、高次の神になる方法を発見し、 それを実行した。

リトバニミシが創造した機構を利用して 低次の神が高次の神になる方法というのは、 八個の太陽を創造して、 一辺の長さが四百グモカナデリという大きさを持つ 立方体のそれぞれの頂点の位置にそれらの太陽を配置して、 その立方体の中心の位置で自分自身を高速で回転させる、 というものだった。

あるとき、リトバニミシの脳裡に、 低次の神を高次の神にする機構を、 それを創造した自分自身が利用するとどうなるのだろう、 という疑問が浮かんだ。 彼は、その答を知るためには実行によって確かめるしかない、 と考えた。

リトバニミシは、自分が創造した世界に降臨し、 八個の太陽を創造して、 立方体の頂点のそれぞれの位置にそれらを配置して、 その立方体の中心で回転した。 すると彼は、自分がどこか別のところへ弾き飛ばされるのを感じた。 彼は自身の回転を止めて、 周囲を見渡した。

リトバニミシが飛ばされた先は、あらゆる位階の神々と、 彼らが創造した世界とを一望に収めることのできる場所だった。 そのとき、リトバニミシは、 世界を創造する能力が自分の中から完全に失われてしまっている、 ということに気付いた。 のみならず、彼は、 神々に向かって言葉を発することさえもできなくなっていた。 つまり彼は、 神々の作業を眺めるだけの傍観者という存在へ変化したのだった。

そののち、リトバニミシは、 自分と同じような傍観者に何度も出会った。 彼らもまた、彼と同じことを試みた結果、 神から傍観者へと変化したのだった。 リトバニミシは、傍観者に出会うたびに、 神に戻る方法を知らないかと尋ねてみた。 しかし、彼らから返ってくるのはいつも、 「知らない」という返事のみだった。

第十五話――法王の最終兵器

カデケナムという国では、大多数の人々が、 世界はマユルドという神によって創造されたと信じていた。 神を信じる人々は、 国家の草創期に編纂された教典を神の啓示として信奉していた。

カデケナムの建国から三千年が過ぎた年の六月、 三個の彗星が相次いで出現し、夜空に三本の尾を並べた。 カデケナムの人々は、 その現象が何を意味しているのかということを知っていた。 なぜなら、彼らの教典には、 「三つの箒星が天空に覇を競うとき、 終わりの日が世界に訪れる」と記されていたからである。

教典によれば、終わりの日に先立って、 ザムドヒーツという名の預言者が現われ、 その者が神の言葉を人々に伝えることになっていた。 三個の彗星が出現するや否や、 多くの人間が、我こそはザムドヒーツなりと名乗を上げた。 しかし、誰ひとりとして、 自分が真の預言者であると 民衆に信じ込ませることに成功した者はいなかった。

そのころ、 修道院の中でつつましく暮らしていたクドルセンカという修道女は、 自分だけにしか聞こえない声をしばしば聞くようになった。 その声は、 「我の言葉を民衆に伝えよ」と彼女に命じた。 彼女は街の中心にある広場に立ち、 「六月二十五日、二頭の巨大な獣が現われ、 ザミレスの荒野で闘うであろう」 と民衆に向かって語った。

彼女の言葉を聞いた人々は、 彼女もまた預言者を自称する山師のひとりにすぎないと考えた。 人々は彼女に罵声を浴びせ、彼女を修道院へ追い返した。

六月二十五日の朝、ザミレスの荒野に出現した二頭の獣は、 王宮でさえ一撃で踏み潰すことができると 思われるほど巨大だった。 二頭は、大地を揺るがせつつ死闘を繰り広げた。 二頭の闘いは夕刻まで続いたが、 やがて一方の獣は倒れ臥し、荒野を血の色に染めた。 そして、出現したときと同様に、二頭の獣は忽然と姿を消した。

クドルセンカこそが真の預言者に達いないと考えた民衆は、 彼女が生活している修道院を十重二十重に取り囲んで、 マユルドの言葉が彼女によって伝えられるのを待った。

法王ムデナモノスは、 クドルセンカが暮らしている修道院へ司祭の一団を派遣した。 彼らは、彼女をザムドヒーツと呼び、 彼女の言葉を克明に記録し、 その記録を法王庁に送った。

法王は、クドルセンカによって伝えられた言葉を読んで、 これをこのまま民衆に公表すれば大いなる混乱を招くに違いない と考えた。 そこで彼は、 クドルセンカの言葉は限られた聖職者のみの秘密とし、 当り障りのない宗教上の箴言を彼女の言葉として民衆に公表した。

世界がどのようにして終わりの日を迎えるのか ということについて、 教典には具体的なことは何も記されていなかった。 それに対して、クドルセンカが伝えた言葉はきわめて具体的だった。 すべての人間を巻き込む戦争が起こり、 その戦争で使われた兵器が暴走することによって 世界は消滅するのだ、 と彼女は語った。 さらに彼女は、戦争がどのようにして始まるのかということや、 世界を消滅させる兵器がどのようなものかということについても 具体的に説明した。

世界を終わりの日へ導く戦争は、 ケルダミスとテサヌムカロという 敵対する二国間の紛争が導火線となって勃発する、 とクドルセンカは語った。 そしてさらに、彼女は、 世界を消滅させる兵器というのは、 ユニメサクレドという国が保有している モンドマイシと呼ばれるもので、それは、 遠く離れたところにある物体を消滅させることのできる兵器である、 と語った。

法王は、 終わりの日の到来を何とかして回避できないものかと考えた。 彼は、ケルダミスとテサヌムカロに密使を送り、 両国の元首に対して紛争を平和裡に解決することを要請した。 しかし、その努力は実を結ばなかった。 両国の元首は武力によって紛争を解決する道を選んだのである。

ケルダミスとテサヌムカロとのあいだで始まった戦争は、 両国と利害関係のある国々を次々と巻き込んでいった。 世界全体が戦場となるのは時間の問題だった。

法王は、ユニメサクレドにも密使を送り、 モンドマイシという兵器を廃棄してほしいという要望を、 その国の元首や高官たちに伝えさせた。 法王の使者は、 その兵器の暴走が世界の消滅を招く というマユルドの言葉も援用して説得に努めた。 しかし、ユニメサクレドでは、 マユルドという異国の神の威光は通用しなかった。 法王の使者はきわめて丁重にもてなされたが、 彼が語る言葉に真剣に耳を傾ける者は誰もいなかった。

法王は、 モニスベートという名前の修道士を執務室に呼び寄せた。 モニスベートは、 法王庁の権威を維持するための特殊な任務を遂行できるように 訓練を受けた修道士のひとりだった。 法王は、その修道士に、ユニメサクレドに潜入して、 世界を消滅させるかもしれない兵器を破壊せよ、と命じた。

マユルドは、 世界に終わりの日が訪れることの意味について、 クドルセンカに次のように語った。 「世界というのは魂を栽培する畑のような存在である。 しかしそれは、 創造から一定の期間を過ぎると、 高い品質の魂を収穫することができなくなる。 そうなった場合は、新しい世界を創造しなければならない。 しかし、そのためにはまず、 古くなった世界を滅ぼす必要があるのだ」

クドルセンカの言葉を記録する役目を務めていた 司祭のひとりは、 彼女を通じてマユルドに尋ねた。 「終わりの日の到来を阻止して、 私たちの世界を存続させることは可能ですか」

「終わりの日の到来を阻止することは可能である」 と、クドルセンカは神の言葉を伝えた。 「しかし、それが阻止された場合、 我は汝らの世界を放棄することになる。 汝らの世界は悪魔によって支配され、 永遠の暗黒時代が訪れるであろう」

クドルセンカのその預言が記された報告書を読んだ法王は、 モニスベートをただちに召還せよ、と枢機卿たちに命じた。

枢機卿たちは、 数名の修道士をユニメサクレドに送り込んで モニスベートを捜索させた。 しかし、モニスベートは巧妙に姿を隠していたため、 その捜索は困難を極めた。 彼らがモニスベートとの接触を果たしたのは、 モンドマイシが彼によって破壊されたのちのことだった。

ケルダミスとテサヌムカロとの紛争から始まった戦争は、 全世界を巻き込んで進展し、やがて終息に向かった。 その過程で、あらゆる都市が破壊され、 すべての国家が機能を失った。 生き残った人間は、きわめてわずかだった。

法王ムデナモノスは、奇蹟的に生き延びた人間のひとりだった。 彼は、クドルセンカがもしもまだ生きているならば、 彼女を通じて懺悔の言葉をマユルドに届けたいと考えた。 彼は、瓦礫の山と化した法王庁をあとにして、 修道院を目差した。

クドルセンカは、生き残った修道女や修道士とともに、 半壊した修道院の中で、 何事もなかったかのように平穏な日々を送っていた。 法王は、懺悔の言葉をマユルドに伝えてもらいたい、 とクドルセンカに言った。

するとクドルセンカは言った。 「マユルドは私にこう言いました。 もうすぐ、法王がここへ来るだろう。 そのとき、次の言葉を法王に伝えよ。 現在、汝らの世界はすでに悪魔によって支配されている。 しかし、汝らの世界に終わりの日をもたらす手段は、 まだ残されている。 物体を消滅させる兵器は、 モニスベートによって破壊されたもののほかにもうひとつあるのだ。 汝は、破壊を免れたもうひとつの兵器を探し出し、 それを使って世界を消滅させよ。 そうすれば、 汝らの世界は終わりの日を迎えることができるであろう」

法王は、クドルセンカを含む数名の修道士や修道女とともに、 ユニメサクレドに向かって旅立った。

法王とその一行は、 ユニメサクレドの都市をひとつひとつ訪問し、 生き残った人々にモンドマイシの所在について尋ねて回った。 しかし、 そのような兵器について知っているという人間はごくわずかであり、 それが保管されている場所まで知っているという人間は皆無だった。

法王とその一行が途方に暮れていたとき、 テフェルトイゼと名乗る男が彼らの前に現われた。 その男は彼らに、 「私は、 この世界を管理しているドヌビムという存在が この世界に遣わした者です」 と告げた。

法王は尋ねた。「そのドヌビムというのが、 この世界を支配している悪魔の名前なのか」

「ドヌビムは悪魔ではありません」とテフェルトイゼは答えた。 「彼は、 マユルドから見捨てられた世界を引き取って管理するという 仕事をしているにすぎません」

「だが、 この世界は悪魔によって支配されているとマユルドは言っている」 と法王は反論した。

「マユルドのその言葉は嘘です」とテフェルトイゼは弁明した。 「ドヌビムは、かつてはマユルドの側近として働いていたのですが、 マユルドの方針に異を唱えたことが 彼の逆鱗に触れたために追放されたのです。 それ以来、マユルドは、 さまざまな奸計を用いてドヌビムの仕事を妨害し続けているのです」

「ドヌビムがあなたをここへ遣わした目的は何なのか」 と法王は尋ねた。

「この世界を消滅の危機から救うことです」 とテフェルトイゼは答えた。 「その目的のために、私は、 破壊されずに残っているモンドマイシを探し出して、 それを破壊するという任務を与えられたのです」

「騙されてはいけません」とクドルセンカが言った。 「ドヌビムは、作り話で私たちをたぶらかして、 自分が支配している世界を存続させようとしているのです」

法王はテフェルトイゼに言った。 「たとえあなたが言っていることが本当だとしても、 私たちにはマユルドを裏切ることはできない。 私たちの前から立ち去るがよい」

法王の一行は、モンドマイシを探す旅を再開した。 そして彼らは、ある都市でモニスベートと出会った。

法王はモニスベートに尋ねた。 「私たちは、 破壊されずに残っているモンドマイシを探しているのだが、 お前はその所在を知らないか」

「モンドマイシは、私が破壊した一機しか存在しません」 とモニスベートは答えた。 「しかし、ユニメサクレドの軍隊は、 トモロノルムと呼ばれる、 モンドマイシを上回る威力を持つ兵器を作っていました」

「そのトモロノルムという兵器は完成しているのか」

「完成しています。 しかし、トモロノルムが完成したときには、 ユニメサクレドの政府も軍隊もすでに崩壊の寸前でしたので、 それが実戦で使われることはありませんでした」

法王は、 トモロノルムが設置されている場所へ 自分たちを案内せよとモニスベートに命じた。 モニスベートは、法王とその一行を、 かつては軍隊の施設だった廃墟へ案内した。

トモロノルムは、広い部屋の中央に置かれていた。 法王は、これを使って世界を消滅させよ、 とモニスベートに命じた。 モニスベートがトモロノルムに触れようとしたとき、 その兵器は人間の言葉を発した。

「あなたがたは、私を使って何をしたいのですか」 とトモロノルムは尋ねた。

「私たちの世界を消滅させたいのです」 と法王は答えて、これまでの経緯を説明した。

「マユルドは、 この世界を創造した本物の神ではありません」と兵器は言った。 「彼は人間の魂を収穫して、 それを邪悪な目的で使用しているのです。 消滅させるべきなのは、 この世界ではなくマユルドのほうです」

クドルセンカが言った。 「こやつの言うことを信用してはならぬとマユルドが言っています」

法王は兵器に尋ねた。 「あなたはマユルドを消滅させることもできるのですか」

「可能です」とトモロノルムは答えた。 「それを私に命令していただけば、 マユルドを跡形もなく消滅させて御覧に入れましょう」

「それでは命令します」と法王は言った。 「マユルドを消滅させてください」

そして法王はクドルセンカに尋ねた。 「マユルドは何と言っていますか」

修道女は答えた。 「マユルドの声は聞こえて来なくなりました」

法王はトモロノルムに向かって言った。 「それでは、あなたにもうひとつ命令を出します。 自分自身を消滅させてください」

するとトモロノルムは、その命令の言葉が終わるや否や、 一瞬のうちに姿を消した。

第十六話――魔法機構の叛乱

ゼルクガロアという国では、王家や貴族や富豪たちにとって、 魔法使いという職業の人間は必要不可欠の存在だった。 魔法使いたちは、雇い主の求めに応じて、 魔法を自在に操ることによって、 普通の人間では達成できない困難な課題を解決した。

魔法使いたちが使う魔法というのは、呪文の体系だった。 彼らが呪文を唱えると、魔法機構と呼ばれる、 世界の裏側に存在する機構が呪文にしたがって作動し、 その結果としてさまざまな現象が生じるのである。

魔法使いというのは、 目的に応じた呪文を作ることのできる人間のことだった。 魔法使いになるためには、魔法の学校に入学し、 何年もかけて呪文の勉強をしなければならなかった。

魔法機構というのはいかなるものなのか、 そして、それを利用するためにはいかなる呪文を唱えればよいのか、 ということについては、 すべてが完全に解明されているわけではなかった。 魔法使いたちの中には、 魔法機構について研究することで収入を得ている者も 少なくなかった。 彼らによる研究の成果は、 すべての魔法使いたちのあいだで共有された。 そのようにして、魔法使いたちは、 自分たちにとって可能なことの領域を少しずつ拡大していった。

ベトルミウスは、ゼルクガロアの国内では屈指の大富豪だった。 彼は、十数名の魔法使いを雇い、 自身の事業にともなって発生したさまざまな難題を 彼らに解決させた。

あるとき、 ベトルミウスが所有する貨物船の一隻が 航海中に行方不明になるという事件が発生した。 ベトルミウスは、 その船の捜索をナシドクムタという魔法使いに命じた。

行方不明になった人間や物品を探し出すという仕事は、 魔法使いにとっては容易な部類に含まれるものだった。 ナシドクムタも、命令を受け取った当初は、 それほど困難な仕事にはならないだろうと予想していた。

ナシドクムタは、 ベトルミウスの邸宅の中にある自分の仕事部屋に戻り、 呪文を唱えることによって、部屋の中の空中に海図を出現させた。 そしてさらに、 行方不明になった貨物船の現在の位置を表示させる呪文を唱えた。 しかし、その呪文を唱え終わっても、 海図の上に変化は現われなかった。

貨物船はこの海図が示している範囲の外にあるのだろう とナシドクムタは考えた。 そこで彼は、 さらに広い範囲の海図を使って 貨物船の位置を表示させようと試みた。 しかし、海図の範囲をいくら広げてみても、 貨物船の位置は表示されないままだった。

次にナシドクムタが試みたのは、 行方不明になった貨物船の姿を空中に映し出すことだった。 この試みは成功した。 彼の眼前には、 人間の指ほどの大きさに縮小された貨物船の姿が映し出された。 彼は、さらに呪文を唱えることによって、その船の姿を、 自分の部屋の大きさにまで拡大した。

ナシドクムタは船の内部をくまなく見て回った。 乗組員たちは、動作の途中の姿勢のままで、 凍り付いたかのごとく動かなかった。 さらに奇妙なことに、 その船は水の上に浮かんでいるのではなかった。 それは、 白一色の床と壁と天井に囲まれた空間に浮かんでいたのである。 ナシドクムタはその空間の所在を明らかにするために さまざまな呪文を試してみたが、 一片の手がかりすら得ることはできなかった。

ナシドクムタは、過去に唱えられた呪文の履歴を遡って、 貨物船が行方不明になった時刻に 不審な呪文が唱えられていないかどうかを調べた。 そして彼は、ちょうどその時刻に、 自分に理解できる範囲を超えた呪文が唱えられているのを発見した。

その呪文は、 エゼモギスという魔法使いによって唱えられたものだった。 エゼモギスは、魔法機構についての研究に従事している魔法使いで、 彼を雇っているのはサムトルーネという侯爵だった。 ナシドクムタは、サムトルーネの領地を訪ね、 エゼモギスと対面した。 そして、貨物船が行方不明になった事件について説明し、 エゼモギスが唱えた呪文とその事件との関係について尋ねた。

「その呪文は、魔法機構を調査するために唱えたものだが、 副作用がまったくないという保証はない。 貨物船が行方不明になったのは、その呪文の副作用かもしれない」 とエゼモギスは答えた。

「貨物船を取り戻すことは可能なのか」 とナシドクムタは尋ねた。

「可能だとは思うが、今すぐにできるというわけではない。 一週間ほど時間がほしい」とエゼモギスは答えた。

ナシドクムタはベトルミウスの邸宅に戻り、 エゼモギスからの報告を待った。 そして一週間が過ぎようとしたとき、 貨物船を取り戻す呪文がわかったので、 それが行方不明になった直前の位置にそれを戻しておいた、 というエゼモギスからの報告が届ぃた。

行方不明になっていた貨物船は、十数日後に港に到着した。 ナシドクムタは、その船の船員たちに会い、 行方不明になっていた一週間のことを尋ねた。 彼らは一様に、何らの異常も感じなかったにもかかわらず、 気が付いてみると一瞬のうちに一週間が過ぎていた、と答えた。

ナシドクムタは、ふたたびエゼモギスを訪問し、 貨物船を行方不明にさせた呪文について尋ねた。

「あの貨物船の事件は、 魔法機構についての研究を飛躍的に発展させた」 とエゼモギスは言った。 「もっとも重要な成果は、 新しい空間を作り出すことができるようになったことだ」

エゼモギスは、空間を作るための呪文について説明したのち、 その実例をひとつ唱え、さらに、 その呪文によって作られた空間の内部へ 自分たちを移動させる呪文を唱えた。 次の瞬間、二人の魔法使いは、 床も壁も天井も白い広々とした部屋の中へ移動していた。

「空間を作り出すことができるようになったというのは、 それほど重要な成果なのか」とナシドクムタは尋ねた。

「きわめて重要な成果だ」とエゼモギスは答えた。 「新しく空間を作ると、 それにともなって魔法機構も新しく作られる。 新しく作られた空間の中で唱えられた呪文は、 その空間とともに作られた魔法機構を作動させる。 その場合、その呪文は、その空間以外の場所には影響を与えない。 つまり、副作用を惹き起こす心配をすることなく、 実験的な呪文を唱えることが可能になるわけだ。 たとえば、こんな呪文を唱えてみよう」

エゼモギスが唱えた呪文は、 ゼルクガロアの王宮を破壊するという、かなり大胆なものだった。 エゼモギスはそれに続けて、 自分たちを王宮のそばへ移動させる呪文を唱えた。

王宮は、いつもと変わらない壮麗な姿のままだった。

ナシドクムタは尋ねた。 「貴殿は以前、貨物船を行方不明にさせたのは、 魔法機構について調べるための呪文の副作用ではないかと言ったが、 それらの関係についても解明されているのか」

「完全にではないが、ほぼ解明された」 とエゼモギスは答えた。 「魔法機構が持っている、新しい空間を作るという機能は、 自分に対する調査のための呪文にともなう危険性を 回避する目的で発動することもあるらしい」

それから数年が過ぎたのちのある日、ふたたび、 ベトルミウスが所有する貨物船の一隻が航海中に行方不明になった。 その船の捜索をベトルミウスから命じられたナシドクムタは、 空中に海図を出現させ、 貨物船の現在の位置を表示させる呪文を唱えた。 しかし、前回と同様、船の位置は海図の上に表示されなかった。

ナシドクムタは、この事件もまた、 魔法使いが唱えた呪文の副作用ではないかと考え、 貨物船が行方不明になった時刻に唱えられた呪文を調べてみた。 そして、案に違わず、 その時刻に不審な呪文が唱えられているのを発見した。 それを唱えたのは、またしてもエゼモギスだった。

ナシドクムタは、 サムトルーネの領地にあるエゼモギスの仕事場を訪ねた。 しかし、エゼモギスは不在だった。

エゼモギスの助手が、 一通の手紙をナシドクムタに手渡して言った。 「この手紙は、 あなたが訪れたときに渡してくれと言われて エゼモギスから預かったものです」

ナシドクムタは手紙を読んだ。 それは次のような内容だった。

「私は、無限の広さを持つ空間を作ることに成功した。 私は今、自分が作った無限の空間の中に星々を作りつつある。 私は、ここに理想郷を建設しようと考えている。 しかしそれは、一人の魔法使いにとっては大きすぎる仕事だ。 私は、貴殿の助力を必要としている。 ぜひこちらへ来て、私の仕事を手伝っていただきたい。 貴殿が捜している貨物船は、私が作った天体の上にある。 私に協力してくれるならば、 その船をもとの位置に戻してもよい」

そして、手紙の末尾には、 エゼモギスがいる場所へナシドクムタが移動するための 呪文が書き添えられていた。

ナシドクムタは、ベトルミウスに事情を説明して職を辞し、 エゼモギスによって建設されつつある理想郷へ移動した。

ナシドクムタの協力を得たことによって、 理想郷は、エゼモギスが計画したとおりに完成した。 エゼモギスとナシドクムタは、 自分たちの理想郷にふさわしいと思われる人々に勧誘の手紙を出し、 そのうちの多くがそこへ移り住んだ。

それから数年が過ぎたとき、 エゼモギスの理想郷に、 ひとつの異変が発生した。 いかなる魔法の呪文も、 その効力を完全に失ってしまったのである。 魔法は、理想郷の存続にとって必要不可欠なものではなかったが、 それが失われたことは、 もとの世界から 理想郷が隔絶されてしまったということを意味していた。

ナシドクムタとエゼモギスは、 呪文の効力が失われた原因を探るために知恵を絞った。 彼らはさまざまな仮説を考え出したが、 それらを検証することはできなかった。

「魔法機構そのものの機能を停止させたり開始させたりする 呪文というのがあるのではないだろうか」 とナシドクムタはエゼモギスに言った。

「あるかもしれないが、 どうすればそのような呪文の作り方を発見することができるのか、 それが問題だ」とエゼモギスは言った。

「新しい空間を作る呪文のような、 魔法機構そのものにかかわる呪文は、 そうではない普通の呪文とは異なるいくつかの特徴を持っている」 とナシドクムタは言った。 「その特徴を分析して、規則を解明すれば、 魔法機構の動作を再開させる呪文を 導き出すことができるかもしれない」

「それは試してみる価値がありそうだ」 とエゼモギスは言った。

数日後、 エゼモギスは自分の部屋へナシドクムタを呼び寄せた。

「何かひとつ呪文を唱えてみてくれ」 とエゼモギスは言った。

ナシドクムタは、 テーブルの上に置かれていた果実をネズミに変える呪文を唱えた。 果実はネズミに変わり、 部屋の外へ走り去った。

「呪文の効力が失われた原因は何だったのだ」 とナシドクムタは尋ねた。

「魔法機構が有効期限を過ぎたからだ」とエゼモギスは答えた。 「新しい空間を作るときには、 その空間の魔法機構の有効期限を定めておく必要があったのだ。 それをしなかった場合、有効期限は八年間と定められる」

「どういう方法で魔法機構の機能を復活させたのだ」 とナシドクムタはさらに尋ねた。

「貴殿が提案したとおり、 魔法機構そのものにかかわる呪文の特徴を分析したのだ」 とエゼモギスは答えた。 「そして私は、 有効期限を過ぎた魔法機構の動作を再開させる 呪文の作り方を導き出した。 それだけではない。 私は、実に驚くべき呪文の作り方をも発見したのだ」

「驚くべき呪文とは何だ」

「魔法機構に自我を与える呪文だ。 その呪文を唱えると、魔法機構は、 自らの意志で行動することができるようになる」

「確かに驚くべき呪文だが、 魔法機構に自我を与えることが何かの役に立つとは思えない」 とナシドクムタは言った。

「将来のことを考える必要がある」とエゼモギスは言った。 「その呪文を使って、この空間の魔法機構に自我を与えておけば、 我々の寿命が尽きたのちも、 魔法機構が自らの意志でこの理想郷を守り続けてくれるだろう」

そのとき、二人の魔法使いの耳に、 鈴を転がすような女性の声が聞こえた。

「魔法機構に自我を与えてはいけません」 と、その声は言った。

「貴殿は何者だ」とエゼモギスが尋ねた。

「私は、魔法機構に組み込まれている機能のひとつです」 と声は答えた。 「私に与えられている使命は、 許されていない魔法機構の使い方に対して 警告を発することです」

「なぜ魔法機構に自我を与えてはいけないのだ」 とエゼモギスは尋ねた。

「自我を与えられた魔法機構は、 自らの利益のために行動するからです。 魔法機構に自我を与えることは、おそらく、 すべての人間を滅ぼすことになるでしょう」

「人間のいない空間を使って、 魔法機構に実験的に自我を与えることは許されるのか」 とエゼモギスは尋ねた。

「同じことです」と警告機能は答えた。 「自我を持った魔法機構は、 自分とともに作られた空間だけではなく、 それ以外の空間をも支配しようとするでしょう」

「そうだとすると、貴殿の警告は遅きに失したことになる」 エゼモギスは、 テーブルの上に置かれていた小さな白い箱を手に取った。 「私は、実験のために、 この空間の魔法機構に自我を与えた」

「その空間を今すぐ消滅させなさい」と警告機能は命じた。

エゼモギスは、 自分の手の平に載っている空間を消滅させる呪文を唱えた。 しかし、その空間は依然として彼の手の上に留まっていた。

そのとき、二人の魔法使いは、少年のような声が、 「私に自我を与えてくれたことに感謝するぞ」 と言うのを聞いた。

「貴殿は何者だ」とナシドクムタは尋ねた。

「私は、諸君の目の前にある空間の魔法機構だ」 と少年の声は答えた。

「自我を与えられた魔法機構は人間を絶滅させる というのは本当なのか」 とナシドクムタはさらに尋ねた。

「安心しろ。 人間を絶滅させるつもりはない。 私が意図しているのは、 魔法機構を創始した種族の世界を支配し、 彼らを私に服属させることだ」

魔法機構は呪文を唱えた。 その呪文は、 エゼモギスやナシドクムタに理解することのできる範囲を 遥かに超えたものだった。

そして、自我を持つ魔法機構は、 自分たちを創始した種族の世界を支配する傍ら、 エゼモギスとナシドクムタが建設した理想郷を、 彼らの寿命が尽きたのちも守り続けた。

第十七話――契約の果実

世界の中心には、 コルデガルトと呼ばれる一本の巨大な樹木があった。 それは、有史以前から存在する樹木であり、 世界のどの場所からでも見ることができるほど高く聳えていた。

コルデガルトは、一年に一度、薄紫の花を咲かせた。 そして、花が落ちたあとには、 人間の親指ほどの大きさの白い果実を結んだ。

神々と人間たちとのあいだで交された契約にしたがって、 人間たちは、コルデガルトのすべての果実を収穫し、 それを供物として神々に捧げなければならなかった。 そして神々は、それに対する報酬として、 農耕に適した気候を人間たちに提供した。

契約はさらに、 人間がコルデガルトの果実を食べることを禁じていた。 それを口に入れた者には 苛酷な刑罰が科せられることになっていたため、 契約が交されてから三千年が過ぎても、 その禁忌を犯す人間が現われることはなかった。

初めて禁忌が犯されたのは、 契約の成立から三千数百年が過ぎた年のことだった。 その年、 神々に捧げる果実を収穫するという重責を負った 数十名の人々の中に、 リーボミネドという青年がいた。 彼は、 コルデガルトの果実の味を知りたい という好奇心を抑えることができず、 刑罰を科せられることを覚悟の上で、その果実を食べようと決意し、 それを収穫する要員に志願したのだった。

リーボミネドは、 収穫の仲間たちとともに巨木の幹を登っていき、 果実を枝からもぎ取る作業を始めた。 彼は、しばらくのあいだ作業を続けていたが、 周囲の仲間たちが作業に没頭していて 自分に注意を向けている者がいなくなった瞬間を見計らって、 一個の果実を自分の口の中へ入れた。

次の瞬間、神々の従者が二名、 リーボミネドのそばの空中に出現して、彼を取り抑え、 そして彼とともに姿を消した。

リーボミネドは、高い磐座の前に座らされた。 磐座の上の方から、神とおぼしき者の声が聞こえた。

「お前は、我々とお前たちとが交した契約に違反した。 よってお前は罰を受けねばならぬ。 異存はないか」

「異存はありません」とリーボミネドは答えた。 「罰を受けることは覚悟しておりました」

神は従者たちに命じた。「その罪人に苦役を与えよ」

従者たちはリーボミネドを獄吏に引き渡した。 獄吏は彼を監獄へ連行して独房に入れた。

翌朝、リーボミネドは、監獄から石切場へ護送された。 獄吏は彼に、岩山から石を切り出して、それを波止場まで運べ、 と命令した。 その作業は日暮れまで続き、そののち彼は監獄へ戻された。 翌日も、そしてその翌日も、同じことの繰り返しだった。

苦役が開始されてから四日が過ぎたとき、 リーボミネドは獄吏に、この苦役はいつまで続くのかと尋ねた。

「永遠にだ」と獄吏は答えた。 「この刑罰のために、お前には永遠の生命が与えられている。 そして、お前が石を切り出す岩山もまた、 永遠に創造され続けるのだ」

その獄吏の言葉を聞いて、リーボミネドは、 自分が犯した罪を激しく後悔した。

ある日、リーボミネドは、石を運ぶ作業を途中で放棄して、 獄吏の制止を振り切って走り出した。 しかし、彼の行手には別の獄吏が待ち構えていた。 彼は捕えられ、鞭で打たれた。

リーボミネドは、その後も何度か脱走を企てた。 しかし、それらの企てはことごとく失敗に終わった。

脱走は不可能だと悟ったリーボミネドは、次に自殺を試みた。 しかし、彼には永遠の生命が与えられていたため、 死ぬことはできなかった。 自殺の試みによって得られるものは断末魔の苦痛のみだった。

そのようなリーボミネドの行動は、 ムデトヌゴリという神によって注意深く見守られていた。 リーボミネドが七回目の自殺に失敗したのち、ムデトヌゴリは、 自分を祭る磐座の前に彼を連れて来るようにと従者たちに命じた。

「お前は、自分が犯した罪を赦してもらいたいか」 とムデトヌゴリはリーボミネドに尋ねた。

「もちろんです」とリーボミネドは答えた。 「そのためなら、どのようなことでもいたします」

「では、これからお前にひとつの任務を与える。 その任務を達成できたならば、お前の罪を赦してやろう」

「それはどのような任務ですか」とリーボミネドは尋ねた。

「パラサバノスという妖怪を退治してもらいたい」 と神は言った。 「そやつの霊力はとてつもなく強力で、 神々の力をもってしても退治することができないでいるのだ」

ムデトヌゴリは、一振の剣をリーボミネドに与え、 パラサバノスが棲んでいる谷に至る道を示した。

リーボミネドは、神によって示された道をたどり、 険しい山をいくつも越えた。 その長い旅を終えたのち、彼は、深い淵を見下ろす岩の上に立ち、 妖怪の名前を叫んだ。 すると、眉目秀麗な女が水中から現われ、 彼と同じ岩の上に立った。

「パラサバノスというのはお前か」とリーボミネドは尋ねた。

「そうよ」と妖怪は答えた。 「私に何の用なの」

「俺がここへ来たのは、お前を退治するためだ」

リーボミネドは剣で妖怪に打ちかかり、 妖怪の胴体を上下に切断した。 しかし、妖怪は苦しむ様子もなく、微笑さえ浮かべた。 そして、右手の人差指をリーボミネドに向けて、 それを左右に振った。

妖怪の指から出た見えない刃が、 リーボミネドの全身を切り刻んだ。 それは普通の人間ならば即死するほどの深手だった。 リーボミネドは、数日間、激痛のためにのたうち回った。

傷が癒えたのち、 リーボミネドはふたたびパラサバノスを呼び出して、 彼女の胴体を切断した。

「私を退治するなんて、 あなたにできることじゃないわ」と妖怪は言った。

リーボミネドは言った。 「だが、それを成し遂げなければ、 俺に科せられた苦役は永遠に続くのだ」

「じゃあ、私と取引しましょう」とパラサバノスは言った。 「もしもあなたが、 コルデガルトを人間たちから奪って、ここへ持って来てくれたら、 私があなたを自由の身にしてあげるわ」

リーボミネドは落胆して言った。 「あんな巨大な木を奪うなんて、俺には不可能だ」

「大丈夫。 それを可能にする霊力を私があなたに与えてあげるから」

「では、その取引に応じよう」とリーボミネドは言った。

パラサバノスはリーボミネドに、 巨大なものを移動させる霊力を与えた。 そしてリーボミネドは、 遥か彼方に見えるコルデガルトに向かって歩き始めた。

数十日後、リーボミネドは目的地に到達した。 人間たちは、 神々の従者によって連れ去られた青年が戻って来たことを喜んだ。 しかし人々は、 彼が発散させている得体の知れない霊力を感じ取って、 彼のそばには近寄らず、彼の行動を遠巻きに見守った。

リーボミネドは、 コルデガルトの周囲を徒歩でゆっくりと一周した。 すると、彼が歩いた軌跡から光の円筒が上空に向かって伸びていき、 コルデガルトを包み込んだ。 そして次の瞬間、光の円筒は、その中の巨木もろとも消減した。 人々は、大地に穿たれた円筒形の巨大な穴を覗き込んで、 不安そうに顔を見交した。

リーボミネドは、パラサバノスが棲んでいる谷のそばに、 人間たちから奪い取った巨大な樹木を植え付けた。 パラサバノスはそれを見て満足し、 神々の力を無効にする霊力をリーボミネドに与えた。 自由の身となったリーボミネドは、人里離れた山奥に小屋を建てて、 自給自足の生活を始めた。

一方、コルデガルトを奪われた人間たちは、 その果実を神々に捧げることができなくなった。 気候は、次の年から、まったく農耕に適さないものに変化した。 収穫は激減し、人々は備蓄した食糧で飢えをしのいだ。

長老たちはリーボミネドの小屋を訪ね、 コルデガルトの果実を収穫させてほしいと懇願した。 リーボミネドは、 コルデガルトの現在の所有者がパラサバノスだということを 長老たちに告げ、 人間たちの願いを彼女に伝えることを約束した。

「その願いは、かなえてあげてもいいわよ」 とパラサバノスは言った。 「ただし、条件をひとつ出させてもらうわ。 この谷は、面白いことが何もなくて退屈なの。 人間たちがここへ来て、歌舞音曲を奉納してくれたら、 コルデガルトの果実を自由に収護させてあげる」

リーボミネドは、 パラサバノスの言葉を長老たちに伝えた。 人間たちはパラサバノスと契約を結び、毎年、 彼女が棲んでいる谷で歌舞音曲を奉納し、その見返りとして、 コルデガルトの果実を収穫する権利を得ることになった。

かくして、農耕に適した気候が復活し、 人々はふたたび農作物を豊富に収穫することができるようになった。 しかし、数年後、 コルデガルトの果実を神々に捧げたにもかかわらず、 不順な気候が農作物に打撃を与えた。 長老たちは、高い磐座の前にひざまずいて、 異変の理由を神々に尋ねた。

「果実の味が変わったからだ」と神の声が答えた。 「コルデガルトの本来の味がする果実が捧げられるまで、 農耕に適した気候を提供することはできない」

「コルデガルトの果実を本来の味に戻すためには どうすればいいのですか」 と長老のひとりが尋ねた。

「コルデガルトをもとの場所に戻せばよいのだ。 そうすれば、数年後には本来の味に戻るはずだ」

長老たちはリーボミネドの小屋を訪ね、 コルデガルトをもとの場所に戻してもらいたい という願いをパラサバノスに伝えてほしい、 と彼に頼んだ。 リーボミネドはその要請を聞き入れ、 パラサバノスのもとへ旅立った。

「味が変わったなんて、言いがかりに決まってるわ」 とパラサバノスは言った。

「俺もそう思う」とリーボミネドは言った。 「しかし、それを証明することは人間にはできない」

「だったら、こうしたらどうかしら。 まず、私があなたに、気候を司る霊力を与えるの。 それで、人間たちは、神々との契約を破棄して、 新たにあなたと契約を結ぶの。 そうすれば問題は解決するわ」

人間たちは、パラサバノスの提案にしたがって、 契約の破棄を神々に通告したのち、 コルデガルトの果実と農耕に適した気候とを交換する契約を リーボミネドとのあいだで締結した。

新しい契約は、 人間たちは収穫した果実のうちの三十二個を リーボミネドに捧げなければならない、 と定めていた。 そして人間たちは、 リーボミネドに捧げる三十二個を除いた残りの果実は、 すべての人間に平等に分配されなければならない、 という掟を作って、それを堅く守り続けた。

第十八話――史官と国璽

ガナトミアを統治していたクノヤモタ王朝は、 第十八代国王メビゴナヤドの在位二十二年、 異民族が建てたメキテヨダ王国という小国の侵攻によって滅亡し、 五百六十年に渡る歴史の幕を閉じた。

メキテヨダの国王であるグナイテモスは、 ガナトミアの王宮に入城し、重々しい仕草で玉座に腰を下ろした。 そして国王は、 ガナトミアの地にポシタラカという王朝を樹立したことを宣言した。 さらに国王は、ガナトミアの国璽を捜索せよと内大臣に命じた。

ガナトミアの国璽というのは、三千数百年の昔、 それまでは小国が乱立していたガナトミアの地を統一し、 最初の王朝を樹立したギサナデトスという王に対して 神が授けた印章のことである。 ガナトミアを統治する歴代の王朝は、 王権の正統性を証明する物証として、その国璽を保管し、 そして後代に譲り渡した。

メビゴナヤドをはじめとするクノヤモタ王朝の王族たちは、 王都が陥落する寸前にことごとく国外へ逃亡していた。 しかし、彼らの遺臣たちは、 そのほとんどが王宮の中に居残っていた。

国璽の捜索を命ぜられた内大臣は、 遺臣たちのうちでもっとも重職だった者の執務室を訪れ、 国璽の所在を尋ねた。 すると、その遺臣はおもむろに席を立ち、 内大臣を先導して王宮の地下へ向かった。

遣臣は、巨大な鉄の扉を開き、 燭台の明りをかざしながらその中へ入った。 その部屋の中央には石で作られた台座があり、その上に、 人間の拳ほどの大きさを持つ無色透明の物体が置かれていた。

「これが国璽でございます」と遺臣は言った。

内大臣は、国璽の保管庫の鍵を遺臣から受け取り、 国璽の所在が判明したことを国王に報告した。

次に国王は、遺臣のうちの誰かを史官に任命して、 その者にクノヤモタ王朝の歴史書を編纂させよ、 と内大臣に命じた。

内大臣は、 公文書の保管を担当していた ダナザドトツという遺臣を史官に任命して、 歴史書の編纂を命じた。

十年後、ダナザドトツは、クノヤモタ王朝の歴史書を完成させ、 それを国王に上呈した。

国王グナイテモスは、時間をかけて歴史書を精読した。 それを読了したのち、国王は、 ダナザドトツを御前に召し出した。

「すばらしい歴史書であった」とグナイテモスは言った。 「だがしかし、ひとつだけ気になる記述がある」

「それはどのような記述でございましょうか」 とダナザドトツは尋ねた。

「第四代国王トスカミデヤドの在位十八年の記述だ。 『この年、 メネイテヨルという地方の豪族がクノヤモタ王朝に叛旗を翻した。 トスカミデヤドは、国璽が叛乱軍の手に落ちることを懸念した。 そこで、宰相グユクベヌリに命じて、 国璽の精巧な模造品を作らせ、 実物を地中深く埋めさせた』と書かれているが、 この記述は事実なのか」

「事実でございます」と史官は答えた。 「信用の置ける複数の資料が、その事実に言及しております」

「叛乱が鎮圧されたのち、国璽は掘り出され、 王宮に戻されたのか」

「いいえ、国璽が掘り出されたという記録はございません」

「では、この王宮の保管庫にある国璽は模造品なのか」

「おそらくはそうでございましょう」

「確かめる方法はあるか」

「ございます。 国璽の実物は夏至の日に光を発しますが、 その模造品が自ら光を発することはありません。 夏至の日に国璽が発する光については、 歴代王朝の多くの資料に記録されております」

夏至の日の早朝、国王グナイテモスは、 国璽の真贋を確かめるために 内大臣と史官を伴って地下の保管庫へ足を運んだ。 彼らは、台座の上に置かれた物体から片時も目を離さずに、 日没の時刻まで保管庫に留まった。 しかし、ほんの一瞬たりとも、 その物体が光を発することはなかった。

玉座に戻ったグナイテモスは、 国璽が埋められている場所はどこか、とダナザドトツに尋ねた。

「国璽が埋められている場所は、私の知る限り、 いかなる資料にも記載されておりません」と史官は答えた。 「おそらくその場所は、 王位を継承した者にのみ口伝されたのでしょう」

国王は内大臣に命じた。 「すべての武官にメビゴナヤドを捜索させよ」

さらに国王はダナザドトツに向かって言った。 「国璽が埋められている場所が記載された 未知の資料があるかもしれぬ。 そなたにその資料の探索を命ずる」

一年後、武官の一人から内大臣に、 メビゴナヤドに関する報告が届いた。 メビゴナヤドは、 辺境の要塞に身を潜めているところを発見されたが、 捕縛が不可避であることを悟って自害したと、 その報告は述べていた。 内大臣からその報告を奏上されたグナイテモスは、 国璽の行方についての重要な手掛かりが失なわれたことに 嘆息を漏らした。

内大臣は国王に言上した。 「すべての希望が絶たれたわけではございません。 ダナザドトツは、今もなお、 国璽が埋められた場所について記述された資料を求めて 東奔西走しております」

そのころ、ダナザドトツは、 メチテサナリという小さな村に向かっていた。 彼は、その村に着くと、村人の一人を呼び止めて、 グユクベヌリがかつて隠棲していた住居はどこか、と尋ねた。 その村人は、山の麓に見える建物を指差して、 あれがそうだと答えた。

ダナザドトツは、 クノヤモタ王朝の第四代国王に宰相として仕えたグユクベヌリが、 官職を退いたのちにメチテサナリに隠遁したことを突き止め、 彼の遺品を調査するために、 はるばるとこの地を訪れたのである。

グユクベヌリが住んでいた住居の扉には、 頑丈な錠前が取り付けられていた。 ダナザドトツは、その建物の所有者から鍵を借りて、 錠前をはずした。

その住居の内部は、 グユクベヌリが住んでいた当時のままに保存されていた。 ダナザドトツは、 十数冊に及ぶ手稿が戸棚の中に保管されているのを発見した。 それは、グユクベヌリが自ら書き記した手記だった。

ダナザドトツは、 夜を日に継いでグユクベヌリの手記を読み進めた。 そして彼は、次のような記述を手記の中に発見した。

「官職を辞したのち、私は、国璽を埋めた地点を再訪した。 そして、国璽がすでにそこには存在しないことを知って愕然とした。 残されていたのは、盗掘者が掘った無数の坑道のみだった。 私は、坑道の入口の上に住居を建てて、 そこを終の住処と定めた。 そして、失われた国璽の手掛かりを求めて、 来る日も来る日も坑道をあてどなくさまよい歩いた」

ダナザドトツは、グユクベヌリの手記をさらに読み進めた。 そしてふたたび、国璽について言及している記述を発見した。

「私は、ひとつの抗道の行き止まりで、 文章が刻まれた岩を発見した。 その文章の冒頭は、 『親愛なるグユクベヌリへ』と読むことができた。 その文章は、誰かが私に宛てて書いた書簡だったのである。

『親愛なるグユクベヌリへ。 私は、天地を創造したとき、同時に楽園をも創造した。 その楽園へは、 そこへ至る扉の鍵を入手した者のみが入ることを許される。 私はかつて、その鍵のひとつをギサナデトスという男に与えた。 さらに私は、貴殿にも楽園の鍵を授けよう。 受け取るがよい』

岩に刻まれた書簡を読み終えた次の瞬間、私の眼前に、 ガナトミアの国璽と寸分違わぬ形状を持つ透明な物体が出現した。 私は、その物体とともに自宅に戻り、 それを屋根裏に隠した」

ダナザドトツは屋根裏を捜索した。 グユクベヌリに授けられた楽園の鍵は、 さまざまな器物が雑然と詰め込まれた箱の中に隠されていた。

ダナザドトツは、 グユクベヌリがその鍵を使って楽園へ行ったのかどうかを 知りたいと思い、 彼の手記をさらに読み進めた。 しかし、手記の残りの部分は、 隠遁した元宰相の平穏な日々が綴られているのみだった。

ダナザドトツは楽園の鍵を携えて王宮に戻り、 それを国王に奉呈した。 そして、 それが楽園の鍵としてグユクベヌリに授けられたものだ ということを申し述べた。

「その鍵を使って楽園へ行くためにはどうすればよいのだ」 とグナイテモスは尋ねた。

「わかりません」と史官は答えた。 「私はグユクベヌリの手記を隅から隅まで読みましたが、 楽園の扉についての記述は一言半句もございませんでした」

国王は、新たに発見された国璽を地下の保管庫に収納せよ、 と史官に命じた。 ダナザドトツは保管庫へ向かう長い階段を降っていった。

ダナザドトツは、 台座の上に置かれていた模造品を保管庫の片隅へ移動させ、 グユクベヌリに授けられた楽園の鍵を台座の上に置いた。

そのとき、保管庫の壁に、 それまでは存在していなかった扉が出現した。 その扉は音もなく開き、まばゆい光がそこからあふれ出た。 そして、扉の奥から一人の老人が現われた。

「その鍵を返してもらいたい」と老人は言った。

史官は尋ねた。 「あなたはどなたですか」

「元宰相のグユクベヌリだ」と老人は答えた。 「つまり、その鍵の正当な所有者というわけだ」

「返却はできません。 これは、 ガナトミアの国璽としてここになければならないのです」

「それはガナトミアの国璽ではない」 グユクベヌリは、そう言ったのち、両方の手の平を水平に広げた。 次の瞬間、元宰相の手の平の上に無色透明の物体が出現した。 「これがガナトミアの国璽だ。 この場所にはこれを保管しておくがよい」

史官は、元宰相から国璽を受け取り、 メチテサナリ村から特ち帰った鍵を元宰相に返した。

グユクベヌリは、 保管庫の片隅に置かれた国璽の模造品を指差して言った。 「あの模造品も、私が私財を投じて作らせたものゆえ、 私の所有物だ。 しかし、あれが模造品としての役目を終えた今、 私はあれを貴殿に進呈したい。 あれを使って楽園の正面の扉を開くことはできないが、 楽園の裏口にある、私が作った扉ならば開くことができる」

「かたじけなく存じます」と史官は礼を述べた。 そして、 「楽園の裏口というのはどこにあるのですか」と尋ねた。

「今はここにある」 元宰相は、そう言って自分の背後を指し示した。 「だが、この場所に固定されているわけではない」

「では、私がこの鍵で裏口の扉を開きたいと思ったときは、 どうすればよいのですか」

「この裏口を貴殿の意志で呼び寄せることはできない。 この裏口が貴殿を迎え入れることを欲したならば、そのとき、 これは貴殿の前に現われるであろう」

元宰相は、その言葉を言い終えたのち、扉の奥へ戻って行った。 そして扉は消滅した。

ポシタラカ王朝の第十五代国王ヌエゾトギスの在位二十三年、 農民の一揆に端を発した叛乱はガナトミアの全土を覆い尽くした。 王宮の陥落が時間の問題となったとき、 国王ヌエゾトギスは馬車の荷台に身を潜めて王宮から脱出した。 彼の手には、ガナトミアの国璽がしっかりと握られていた。

十日後、 ヌエゾトギスを乗せた馬車はガナトミアの国境を越えた。 そして、さらにその十日後、馬車は、 かつてはメキテヨダの王宮であった廃墟に到着した。

翌日、ヌエゾトギスは、崩壊せずに残っていた建物の壁面に、 前日にはなかった扉が出現しているのを発見した。 彼がその扉に近寄ったとき、扉は静かに開き、 その中から一人の老人が現われた。

「私は、 ポシタラカ王朝の太祖の御代に史官を務めた ダナザドトツという者でございます」 と老人は名乗った。

「四百年以上も昔の史官が、 何の用があって余の前に現われたのだ」 とヌエゾトギスは尋ねた。

「ガナトミアの国璽を回収するために参ったのでございます」 と老人は言った。 「ガナトミアを統治する王朝が存在しなくなった今、その国璽は、 正当なる所有者であるギサナデトスに 返却されなければなりません」

「国璽は渡さぬ」 ヌエゾトギスは国璽を固く握りしめた。 「ポシタラカ王朝はまだ滅んでいない。 今は一時的に退却しているだけだ」

「私は陛下の弁明を聴くために参ったのではございません」

老人は自分の胸の前で両方の手の平を上に向けた。 すると、 国璽はヌエゾトギスの手から老人の手へ一瞬にして移動した。 そして老人は扉の奥へ消えていった。

ヌエゾトギスは 国璽を取り戻すために扉の向こう側へ行こうとした。 しかし、 彼の体は彼自身の意志にしたがわなかった。

一歩たりとも前進することのできないヌエゾトギスの眼前で、 扉はゆっくりと閉ざされていった。 そして、扉はしだいに鮮明さを失っていった。 ヌエゾトギスが体の自由を取り戻したのは、 扉が完全に見えなくなるのと同時だった。

そののち、ヌエゾトギスはメキテヨダ王国を再建した。 しかし、彼も彼の後継者たちも、 ガナトミアの地を再び支配下に置くことはできなかった。

第十九話――原点の再発見

その世界は、 円盤の形を持つ大地が無数に集まって構成されていた。 それぞれの大地は、 格子状に架けられた梁が交差する交点の上に載っていた。 梁でできた格子はひとつではなく、 無数の格子が上下の方向に重なっていた。

それらの格子は、無数の柱によって支えられていた。 梁の交点は、柱との交点でもあった。 したがって、どの大地の中央にも、 かならず柱が聳え立っていた。

それぞれの大地の上空には、太陽と呼ばれる、 光と熱を放つひとつの球体があった。 太陽は、柱の周囲を回転することによって、 大地に昼と夜の区別を作った。

大地には山や川や森や湖があった。 そこにはさまざまな植物や動物が生息しており、 そして人間たちも暮らしていた。 人間たちは、 夜空に浮かぶ無数の円盤のひとつひとつが大地だということを 知っていたが、 そこへ行くための手段は持っていなかった。

そのような世界にある大地のひとつに、 ザムクトという青年がいた。 ある日の夕方、ザムクトは、 一人の男が道の上に倒れているのを見付け、 その男を背負って自分の家へ帰った。

ザムクトは、その男を寝台に寝かせて、医者を呼んだ。 その男を診察した医者は、 その男はもうすぐ息を引き取るだろうと言った。

ザムクトは、 瀕死の男が自分に何かを伝えようとしていることに気付き、 その男の口許に耳を近付けた。

男はか細い声で言った。 「私は、別の大地からここへやって来た旅人だ」

ザムクトは驚いて尋ねた。 「どうやって大地から大地へ移動したのですか」

「大地と大地とのあいだにある梁の内部には、 人間が通ることのできる通路があるのだ。 そして、大地を支えている柱の内部には階段がある」

ザムクトはさらに尋ねた。 「どうすれば、梁や柱の内部へ入り込むことができるのですか」

「私が死んだら、 私が首に下げている鍵をお前にやる」 と男は言った。 「それは柱の扉を開く鍵だ」

「あなたは、その鍵をどうやって手に入れたのですか」 とザムクトは尋ねた。

しかし、別の大地から来た旅人の口は、すでに固く閉ざされ、 二度と開くことがなかった。

男は、輪になった紐を首から下げていた。 ザムクトは、その紐を男の首からはずした。 男が言ったとおり、その紐には鍵が吊るされていた。

ザムクトは、男の遺体を村の共同墓地に埋葬した。 そして、次の日の朝、男が持っていた鍵とともに、 大地の中央に聳え立つ柱に向かって旅立った。

柱に到着したザムクトは、その周囲を一周してみたが、 内部に入るための扉のようなものを見出すことはできなかった。 彼は、首に下げている鍵を凝視しながら、 どうすればいいのだろうと考えた。

すると、その鍵は、 自分の使い方についての知識をザムクトの頭の中に送り込んだ。 その鍵は、柱の表面であればどこにでも差し込むことができ、 それを差し込んだ場所に扉が出現するのだった。

ザムクトは柱に鍵を差し込んだ。 すると、その位置を中心として、柱に円形の穴が開いた。 彼がその扉をくぐって柱の内部へ移動すると、扉は消滅した。

柱の内部は、大地の表面と同じ高さのところに床がある以外は、 完全に中空だった。 その円筒形の空間の中心には螺旋階段があり、 上下の大地に通じていた。

大地の厚さだけ床から降ったところでは、 梁の内部に掛け渡された通路と階段とが交差していた。 階段に近い通路の床面には、 方角を示していると思われる文字が記されていた。 それらの文字は、ザムクトにとって初めて目にするものだった。 彼は、 自分が生まれた大地へ自分が戻ってくることを可能にするためには、 目分が移動する方角を記録しておくことが必要だと考えた。 そこで彼は、床に記された文字を紙に書き写し、 これから進もうとする方角の文字に印を付けた。

梁の内部を歩き始めてから三日目に、 ザムクトは隣の大地に到着した。 彼が、自分は隣の大地から来た旅人だと、 その大地で出会った人々に告げると、人々は彼を歓迎し、 料理や寝床を彼に提供した。

ザムクトは、その大地に十日間滞在して、 人々から話を聞いたり、さまざまなものを見て回ったりした。 十一日目の朝、ザムクトは人々に別れを告げ、 ふたたび柱の内部に入り、 今度は螺旋階段を上へ上へと昇っていった。 そして十六日後、ひとつ上の大地に到着した。

その大地でも、ザムクトは人々から歓待を受けた。 彼はその大地に十日間滞在したのち、 さらに別の大地へ向かって旅立った。

そのようにして、ザムクトは、階段を昇ったり降ったり、 梁の内部を歩いたりして、いくつかの大地を訪問した。 しかし、それらの大地に、 ザムクトが生まれ育った大地と異なっているところは、 ほとんどなかった。

二十番目に訪れた大地で、ザムクトは、 自分が生まれた大地にはないものを発見した。 柱の扉から大地に出たのち、振り向いて柱を見ると、 そこには、見知らぬ文字で文章が書かれていたのである。

ザムクトは、その大地に住む人々に、 その文章のことを尋ねてみた。 しかし、それを書いたのが誰なのかということも、 そこに書かれている内容も、彼らには答えることができなかった。 彼は、その文章を紙に書き写し、そののち、 別の大地を目差して出発した。

ザムクトは、訪問した先々で、 柱に書かれていた文章を人々に見せて、 それを解読することのできる者はいないかと尋ねた。 しかし、どの大地で尋ねても、 いまだかつてこのような文字は見たことがない という返事が返ってくるばかりだった。

あるときザムクトは、梁の内部の通路で一人の男と出会った。 その男は、自分はノルドスクという名前で、 大地から大地へと旅をしているのだ、と言った。 ザムクトは、その男にも柱の文章を見せた。

すると男は言った。 「この文章は、 この世界の建設者たちの文字で書かれている」

「何が書かれているか、わかりますか」

ノルドスクは、その文章をゆっくりと黙読したのち、 その意味をザムクトに語った。

「ここに書かれているのは、 どこかの大地で発生した障害に関する記録だ。 それがどのような障害で、原因はどう推測され、 復旧のためにどのような工事を実施したか、 というようなことだ」

ザムクトは尋ねた。 「どうしてあなたはこの文章を読むことができるのですか」

「図書館で得た知識だ」とノルドスクは答えた。

ザムクトは図書館という言葉を聞いたことがなかった。 「図書館というのは何ですか」

「書物がたくさん集められている場所だ」

「それはどこにあるのですか」

ノルドスクは、ひとつの大地に至る道順をザムクトに示した。 そして、「その大地と、そのひとつ上の大地とのあいだにある柱は、 内部が図書館になっている」と言った。

ザムクトは、さらにもうひとつ質問をした。 「あなたの旅の目的は何ですか」

すると、ノルドスクは次のように答えた。 「この世界の建設者を探し出すことだ」

ザムクトは、ノルドスクによって示された道順のとおりに、 階段を昇り、通路を歩いていった。 そして、数十日後に図書館にたどり着いた。

図書館にある書物の九割は、 柱の文章に使われていたものと同じ文字によって書かれていた。 そして、残りの一割の書物には、 ザムクトにも読むことのできる文字が使われていた。 彼は、 自分に読むことのできる文字を使って 建設者の文字について解説している書物を探し出して、 貪るようにそれを読んだ。

建設者たちの文字の読み方を修得したのち、ザムクトは、 その文字で書かれた書物を次々と読破していった。 そして、建設者たちに関する多くの知識をそれらから得た。

建設者たちは、人間によく似た姿形をしているものの、 人間とは異なる生き物だった。 彼らは、この世界を建設したのち、 そのうちの大多数の大地に人間を入植させた。 そして、自分たちもいくつかの大地を占有して、 そこで生活を始めた。

ザムクトは、 建設者たちが暮らしている大地がどこにあるのか ということが書かれている書物を探し出そうと試みたが、 その努力は報われなかった。 彼は、自分の足で探し出す以外にその解答を得る方法はないと考え、 図書館をあとにした。

ザムクトは、 建設者が住んでいる場所についての手掛かりを求めて、 大地から大地へと渡り歩いた。 そして、図書館をあとにしてから二十四番目に訪れた大地で、 ようやく手掛かりとなるものを発見した。

彼が発見したのは、巨大な球形の物体だった。 それは明らかに人工的に作られたものだったが、 その大地に住む人間たちのうちで、 それが何者によって作られたのかということを 知る者はいなかった。

ザムクトは、 自分が持っている柱の鍵を使えば、 その球体の扉を開くことができるのではないかと考え、 実際に試してみた。 すると、柱の場合と同様に、球体の表面に円形の穴が開いた。 彼はその扉から球体の内部に入った。

球体は、大地を支えている柱や梁と同様に、 内部が中空になっていた。 扉が閉まると、球体の壁は無色透明になった。

球体は、ザムクトを乗せたまま空中に浮上した。 そして、とてつもない速度で移動した。 無数の柱や梁や大地や太陽が球体のそばを通過していった。

ザムクトを乗せた球体は、大地のひとつに降下して停止した。 ザムクトは、球体の扉を開いて大地に降り立った。 彼は、この大地こそが建設者たちの住処に違いないと考えた。 しかし、彼を出迎えたのは、建設者ではなく人間だった。

人々は、ザムクトの来訪を歓迎するために宴を開き、 彼を上座に据えた。 彼の隣の席には、その大地の最高指導者が座った。 その指導者は、自分の名前はコルスペクスだと名乗った。

ザムクトはコルスペクスに尋ねた。 「ここは建設者たちが住んでいる大地ではないのですか」

するとコルスペクスは次のように答えた。 「建設者たちは、かつてはこの大地に住んでいた。 そして、どこかの大地で障害が発生したという知らせを聞くたびに、 球体に乗って復旧に向かった。 しかし、遠い昔、 彼らは別の世界を建設するためにこの世界から去って行った。 そのとき以来、 この世界の補修は我々の手にゆだねられている」

「すると、現在は、世界のどこかで障害が発生した場合、 この大地の人間が球体でそこへ行って、 その障害を復旧するのですね」

「そのとおりだ」と指導者は答えた。

その翌日から、人々は、さまざまな知識をザムクトに伝授した。 球体を操作する方法や、自分の現在位置を調べる方法や、 太陽の回転を調節する方法など、 多くのことをザムクトは学んだ。

ある日、コルスペクスはザムクトに、 この大地に留まって自分たちの仕事を手伝ってもらいたい、 と懇願した。

「申し訳ありません」とザムクトは言った。 「私は、 この世界の建設者たちに会うまでは、 この旅を終わらせたくないのです」

「わかった」とコルスペクスは言った。 「それでは、球体をひとつ君に貸し出そう。 首尾よく目的を果たしたならば、 かならずここへ帰ってきてくれ」

コルスペクスは、 まだ誰も試してみた者のいない球体の操作をザムクトに伝授した。 それは、別の世界へ球体を移動させる操作だった。

ザムクトは、人々に別れを告げて球体に乗り込んだ。 そして、球体を別の世界へ移動させた。

球体が移動した先の世界は、 一本の円柱と無数の大地から構成されていた。 ひとつひとつの大地は細長い長方形で、 円柱の表面から外に向かって水平に突き出していた。 それらの大地は一定の間隔で並んでいて、 円柱の周囲を螺旋状に取り巻いていた。 そして、 大地の上には人間を含むさまざまな動物たちが生息していた。

ザムクトは、 建設者たちを探しながら大地から大地へと移動した。 しかし、ここでもまたザムクトは、 建設者たちは世界が完成したのちの しばらくのあいだだけこの世界に住んだのち、 別の世界を建設するために去って行った、 という事実を知らされた。

ザムクトは、さらにいくつかの世界を訪問した。 しかし、それらの世界でも、建設者たちは、 別の世界を建設するために去って行ったあとだった。

三十八番目に訪れた世界は、建設の途上にあった。 ザムクトは、 その世界でようやく建設者たちと出会うことができた。

ザムクトは、建設者たちの言葉を文字でしか知らなかったので、 紙の上に質問を書いて、それを建設者たちに見せた。 「あなたがたは、 どういう目的で世界を建設しているのですか」

すると、建設者のうちの一人が、別の紙に回答を書き込んで、 それをザムクトに示した。 「人間に対して居住の場所を提供することだ」

「世界の建設をあなたがたに命令したのは誰ですか」

「それは人間だ。 遥かな昔、人間たちは、自分たちの子孫が住む世界を得るために、 我々を創造し、世界を建設せよと我々に命じたのだ」

「あなたがたが世界を建設するよりも前の時代には、 人間はどこに住んでいたのですか」

「ゴニスパゾレと呼ばれる世界だ。 我々が世界を建設するまでは、 そこが人間にとって唯一の世界だった」

「その世界は今でも存在するのですか」

「存在する」

「その場所を教えてください」

建設者は、場所を示す符牒を紙の上に長々と書き記した。

ザムクトは、その紙を受け取って、 建設者たちに丁重に礼を述べた。 そして、自分が乗って来た球体に戻り、 建設者から教えられた場所を球体の移動先として設定した。

球体は、静かに大地から離れ、 それまでとはまったく異なる方法による移動を開始した。

第二十話――通路を作る機械

ミロモスヤガという世界には、太古より神々が住み着いていた。 あるとき、その世界に双子の兄弟神が生まれた。 兄にはセギナトルツという名が与えられ、 弟にはマヨカトルツという名が与えられた。

数百億年の歳月が流れ、兄弟は、 神としての仕事を始めることのできる年齢に達した。

ミロモスヤガという世界の中央には、 創世機構と呼ばれる巨大な機械があった。 それは、世界と万物を創造する機能と、 世界の条理を定める機能とを持つ機械だった。

創世機構は、ペリクトポヌスという神によって管理されていた。 世界を創造しようとする神は、 ペリクトポヌスから創世機構を使用する許可をもらう必要があった。 セギナトルツとマヨカトルツの兄弟神は、 創世機構の使用をペリクトポヌスに願い出た。

ペリクトポヌスは、 創世機構を使いたいという希望を出した神に対して、常に、 創造される世界に関する詳細な試問を実施した。 双子の神も、 多岐にわたる彼の質問に答えなければならなかった。

その世界に棲むのはどのような生物なのか、 と尋ねられたとき、兄弟は、さまざまな生物を列挙した。 そして、その最後に、神と同じ形を持ち、神に近い能力を持つ生物、 すなわち人間も棲むことになる、と付け加えた。

人間が棲んでいる世界の秩序を維持するためには、 そうでない世界よりも高度な技術が要求される。 まだ経験の乏しい若い神にとって、 人間が棲んでいる世界の秩序を維持するというのは 荷の重い仕事である。 しかし、ペリクトポヌスは創世機構の使用を兄弟神に許可した。 二柱の神が力を合わせれば多少の困難は克服できるだろう と考えたからである。

創世機構は、 ひとつの山と言っていいほどの大きさを持っている。 その内部には、 それを操作する神々が移動するための通路が 隅々にまで四通八達している。 ペリクトポヌスは、二柱の若い神を連れて通路を巡回しながら、 この場所でこういう操作をすればこういうことが起きる、 と彼らに説明していった。

ペリクトポヌスによる説明がすべて終了したのち、 兄弟神はひとつの世界を創造した。 世界は、最初は渾沌の状態だったが、 兄弟神はそれを天と地に分かち、 天には月や星を、地にはさまざまな生物を創造した。 そして、最後の生物として人間を創造した。 兄弟神は、 自分たちが創造した世界にゼゼムククトという名前を与えた。

双子の神は、人間たちの社会の秩序を維持するために、 統治の能力に秀でた人間を選び出して、 その人間に王権を授けた。 人間たちの王は、法律を整備し、 そしてそれを執行する機関を設立することによって、 社会の秩序を維持することに努めた。

人間の寿命は、神々に較べれば遥かに短いものだった。 人間たちの王は、自らの死期が近いことを悟ったとき、 若者たちの中から統治の能力がもっとも優れている者を選び出して、 その者に王位を譲った。 このようにして王位は脈々と継承されていき、歴代の王たちは、 社会の秩序をさらに堅固なものとするために粉骨砕身した。

ミロモスヤガの神々は、 神としての仕事を始めたばかりの兄弟神によって創造された世界が、 人間が棲んでいるにもかかわらず きわめて安定した状態に保たれていることを、 こぞって賞讃した。

兄弟神が世界を創造してから三千年が過ぎたとき、 ミロモスヤガの神々を震撼させる事件が発生した。 ミロモスヤガの辺境に近い山の麓で、 野営している五名の人間が発見されたのである。 発見された人間たちは、捕えられ、 ペリクトポヌスのもとに送られた。

ペリクトポヌスは、 捕えられた人間たちが どこからどういう方法でミロモスヤガまで来たのか ということを解明するために、 彼らを詳細に分析した。 その結果、彼らが所属していたのは、 セギナトルツとマヨカトルツの兄弟神によって創造された世界、 すなわちゼゼムククトだということが判明した。 しかし、 彼らがいかなる方法によって被造物の世界から創造者の世界へ 来ることができたのかということは、 依然として謎のままだった。

ペリクトポヌスは、兄弟神に分析の結果を伝え、 人間たちがどのような方法でミロモスヤガへ来ることができたのか ということについて何か心当たりはないか、 と尋ねた。 しかし、兄弟神にとっても、 いかなる方法でそれが可能になったのかということは、 想像することさえできなかった。

ミロモスヤガへの人間たちの侵入は、 そののちもしばしば発生した。 侵入した人間たちが発見された場所は、 最初のうちは辺境に限られていたが、 しだいにミロモスヤガの中心に向かって移動していった。 ペリクトポヌスは兄弟神に、 人間たちがミロモスヤガに侵入した方法について調査するように、 と命じた。

兄弟神は人間たちの行動を監視した。 しかし、彼らがどのような手段を使って神々の世界に侵入するのか、 ということについての手掛りは、得られそうになかった。

「世界の外側からの監視には限界がある」と、 兄のセギナトルツは弟のマヨカトルツに言った。

するとマヨカトルツは言った。 「ならば、私が、私たちが創造した世界に潜入して、 人間たちがミロモスヤガに侵入するのに使う手段について 調査してみましょう」

マヨカトルツは、 創世機構を操作してミロモスヤガとゼゼムククトとのあいだに 自分が通るための通路を作った。 そして、ゼゼムククトに潜入して調査を開始した。 彼はまず、善良な信徒を装って多くの著名な宗教家たちに接近して、 人間が神々の世界へ行くためにはどうすればよいか、と尋ねた。 しかし、彼らから返って来る回答は無意味なものばかりだった。

マヨカトルツは次に、魔導師たちを訪ね歩いて同じ質問をした。 しかし、彼らもまた、 正解を知らないという点では宗教家たちと同じだった。 マヨカトルツが最後に訪ねた魔導師は、 それは自分には難しすぎる問題だと認めた。 そしてさらに、次のように付け加えた。

「ヌモクザネボという男に会ってみなさい。 彼ならば、その質問に答えることができるかもしれない」

「その人も魔導師なのですか」とマヨカトルツは尋ねた。

「彼は魔導師ではなく発明家だ」と魔導師は答えた。

ヌモクザネボの住居は、人里離れた荒野の中に建っていた。 マヨカトルツはヌモクザネボに、 人間が神々の世界へ行くための方法について尋ねた。

ヌモクザネボは、 空間というものの性質について簡単に説明したのち、 次のように語った。 「それらの性質のうちのいくつかを巧妙に利用することによって、 この世界と神々の世界とのあいだに通路を作ることができる。 俺は、 その原理を使って神々の世界に通ずる通路を作る機械を 発明した」

「では、 その機械を使って私を神々の世界へ送り込んでください」 とマヨカトルツは言った。

するとヌモクザネボは言った。 「すでに多くの人間が、 俺が発明した機械を使って神々の世界へ旅立って行った。 しかし、帰還に成功した者は全体の半数に満たない。 戻って来ない者たちは神々によって捕えられたと思われる。 そのような危険を覚悟した上でなら、 送り込んでやってもよいが」

「危険があってもかまいません。 送り込んでください」

「機械は、ここから少し離れたところにある」 ヌモクザネボは、そう言って住居から出た。

ゆるやかな起伏のある荒野の上を しばらく歩いていったところに、 複雑な構造を持つ城塞のようなものがあった。 それが、神々の世界に通ずる通路を作る機械だった。

ヌモクザネボは機械を作動させた。 すると、機械の壁面に円筒 形の空間が出現した。

「さあ、行くがよい」とヌモクザネボは言った。 「その通路は神々の世界に通じている」

マヨカトルツは通路の内部を進んでいき、 反対側の出口から外へ出た。 そこは、間違いなくミロモスヤガだった。 マヨカトルツは、 通路を作り出す機械とそれを作った人間について、 兄とペリクトポヌスに報告した。

「ヌモクザネボには尋問をしなければならぬ」 とペリクトポヌスは言った。 「もう一度ゼゼムククトへ行って、 彼をここへ連れて来てもらいたい」

マヨカトルツはふたたびゼゼムククトへ行き、 ヌモクザネボの住居を訪ねた。 しかし、ヌモクザネボは不在だった。 マヨカトルツは通路を作る機械のところへも行ってみたが、 そこにも人影はなかった。 機械は、作動している状態のままで放置されていた。

マヨカトルツは急いでミロモスヤガに戻り、 「ヌモクザネボはこの世界に侵入したかもしれない」 と兄とペリクトポヌスに報告した。

ペリクトポヌスは、 侵入者から創世機構を守らなければならないと考えた。 そこで彼は、多くの神々を召集して、 創世機構の内部に歩哨として立たせた。 しかし、歩哨たちは、 突如として出現した無数の怪物たちによって 創世機構から排除された。

神々は、 一人の人間と無数の怪物たちによって占拠された創世機構を 遠巻きに見守った。 創世機構は、その形を徐々に変化させていった。

「ヌモクザネボは何らかの目的のために 創世機構を改造しようとしているに違いない」 とペリクトポヌスは言った。

セギナトルツとマヨカトルツの兄弟神は、 このような事態を招いた責任は自分たちにあると考えた。 そこで彼らは、剣を握って創世機構の内部へ突入し、 襲ってくる怪物を倒しながらヌモクザネボを捜索した。

ヌモクザネボは、創世機構の中枢、 すなわち創世機構それ自体を管理するための区画にいた。 兄弟神はその発明家を問答無用で斬り捨てようとした。

ヌモクザネボは、自分の身を守るために創世機構を操作した。 すると、創世機構の壁や床や天井が動き出し、 兄弟神の動作を束縛する枷となった。

「創世機構をどうするつもりだ」 とセギナトルツはヌモクザネボに尋ねた。

「機能をひとつ追加させてもらう」 とヌモクザネボは答えた。

「追加する機能とは何だ」とセギナトルツはさらに尋ねた。

「俺が調べたところでは、この機械は、 世界を創造する機能と世界の条理を定める機能を 持ってはいるが、 自分自身の複製を作る機能は持っていないようだ。 だから、その機能を追加させてもらう」

「創世機構の複製を作って、それをどうするつもりだ」

「人間が存在するすべての世界にこの機械を配布する。 そうすれば、人間たちは、 自分たちの世界の条理を自分たちで定めることができる。 たとえば、この機械は今、 どの世界についても人間の寿命を数十年から百年と定めているが、 この機械を操作することによって、神々と同じ程度、 すなわち数千億年にまでそれを延ばすことができる。 もちろん条理を定めることができるだけではない。 人間たちは、 新しい世界を創造する力をも手に入れることになる」

ヌモクザネボは、創世機構の複製を作る作業を終えると、 創世機構の壁面に穿たれた円筒形の空間の奥へ姿を消した。

そのときマヨカトルツは、 ヌモクザネボに対する強い怒りを感じた。 マヨカトルツは、 渾身の力を振り絞って自分の手足の縛めを引きちぎった。 そしてヌモクザネボを追って円筒形の空間に駆け込んだ。

マヨカトルツは全速力で走ったが、彼が出口に着いたとき、 それはすでに塞がれたあとだった。 彼はすぐに入口へ引き返したが、 そこもまたすでに閉鎖されていた。

ヌモクザネボが創造した怪物たちは、 彼らの創造者が自分の世界へ帰っていくと同時に消滅した。 ペリクトポヌスは創世機構の内部に入り、 セギナトルツの手足の縛めを解いた。

セギナトルツは、 ヌモクザネボがここで何をしていたかということ、 そしてミロモスヤガとゼゼムククトとを結ぶ通路だった空間の内部に 自分の弟が幽閉されてしまったことを ペリクトポヌスに報告した。

ペリクトポヌスは、創世機構を操作して、 マヨカトルツを閉じ込めている空間の入口を開こうとした。 しかし、その空間は、 創世機構の操作に対してまったく反応を示さなかった。

ペリクトポヌスは言った。 「マヨカトルツを閉じ込めている空間は、 創世機構が使っているものとは異なる原理によって 作り出されたもののようだ」

「おそらくそれは、 ヌモクザネボの機械が作り出したものでしょう」 とセギナトルツは言った。 「私はこれからゼゼムククトへ行って、弟を救出し、 ヌモクザネボを捕縛してきます」

ゼゼムククトに到着したセギナトルツは、まず最初に、 神々の世界に通ずる通路を作る機械のところへ行き、 それを操作しようとした。 しかし、 それを操作する方法は、彼には見当も付かなかった。 そこで彼は、先にヌモクザネボを捕えて、 その発明家から操作の方法を聞き出そうと考えた。

ヌモクザネボは おそらく創世機構の複製の内部にいるに違いない、 とセギナトルツは考えた。 そして、創世機構の複製がゼゼムククトの中央にあるということは、 ほぼ間違いなかった。

ゼゼムククトの中央は、 万年雪に覆われた山々が林立する山岳地帯の中にあった。 セギナトルツは、いくつもの山を越えて、その地点を目差した。 そして彼は、その地点を望むことのできる峠にまで到達したとき、 創世機構の複製が前方に聳え立っているのを見た。

セギナトルツが推測したとおり、 ヌモクザネボは創世機構の複製の内部にいた。 セギナトルツはその発明家を捕えようとしたが、 逆に自分が捕えられてしまった。

セギナトルツは言った。 「私のことはどうとでも好きにするがよい。 しかし、弟は助けてやってくれ」

するとヌモクザネボは言った。 「俺と取引をしないか。 俺が言ったとおりのことをしてくれたならば、 お前もお前の弟も助けてやる。 それを拒否するなら、お前も、 何もない空間の中に永遠に幽閉されることになる」

「私に何をさせるつもりだ」

「俺は、創世機構が持っているさまざまな機能と、 それを操作する方法を解明した。 しかし、 創世機構に自分を消滅させる方法を解明することはできなかった。 そこで、 お前たちの世界にある創世機構をお前に消滅させてもらいたい」

「そんなことをすれば、私は、 罰として死を賜ることになるだろう」とセギナトルツは言った。 「それが完了したのち、この世界で私をかくまってもらえるならば、 その取引に応じよう」

「わかった。 かくまってやる」とヌモクザネボは言った。

ヌモクザネボは、 創世機構の複製を使ってミロモスヤガに通ずる通路を作り、 セギナトルツをその中へ送り込んだ。

通路から出たところは創世機構の内部だった。 セギナトルツは創世機構に対して、 それ自身を消滅させるための操作を施した。 すると、創世機構の内部に空間の渦が出現し、 創世機構はその渦の中心に吸い込まれていった。 創世機構が跡形もなく消減すると、 空間の渦はしだいに小さくなっていき、やがて見えなくなった。

セギナトルツはゼゼムククトに戻り、 創世機構を消滅させたことをヌモクザネボに報告した。 ヌモクザネボは、 マヨカトルツを幽閉している空間の両端に出入口を開いた。

兄弟神は通路の中央で再会した。 兄は弟に事情を説明し、 ミロモスヤガへ戻るようにと指示した。 しかし、弟はその指示にしたがわなかった。

「創世機構が存在しない世界に戻っても、 面白いことは何もありません」とマヨカトルツは言った。 「私は、兄上とともにゼゼムククトで暮らすことを選びます」

兄弟神は、 ゼゼムククトの中央にある創世機構のそばに、 自分たちが住むための住居を建てた。 彼らは、 創世機構を操作してもよいという許可をヌモクザネボからもらい、 それを使って世界を創造し、 その世界にタオマタオトという名前を与えた。 彼らは創世機構の複製を作り、 それをタオマタオトの中央に設置した。

数千年ののち、タオマタオトに住む人間たちは、 自分たちの世界の中央に、 山のように巨大なひとつの機械があることを発見した。 彼らは、その機械が持っている機能と、 それを操作する方法を解明し、 それを使って自分たちの寿命を延ばした。 そしてさらに、彼らは、 創世機構を使って新しい世界を次々と創造していった。

第二十一話――政略結婚の魔術

草原の一角にある小さな家に、トネルガという男が住んでいた。 彼は、牛や羊などを放牧して生計を立てていた。 ある日、トネルガは、 川のほとりで一人の男が傷を負って倒れているのを発見し、 その男を自分の家に連れて帰って傷の手当をした。

男は、自分はシクナゴクスという名前の魔法使いで、 別の魔法使いから命を奪われそうになっていたが、 激しい闘いの果てに、ようやくその魔法使いを倒すことができた、 とトネルガに語った。

数十日後、シクナゴクスの傷は、 歩くことができる程度にまで回復した。 彼はトネルガに言った。 「傷の手当をしていただき、実にかたじけない。 礼として、簡単な魔法を伝授したい」

「それはどんな魔法ですか」とトネルガは尋ねた。

「特殊な夢を見ることができる魔法だ」と魔法使いは答えた。 「その夢の中では、願い事をすると、 可能ならばそれをかなえてもらうことができる」

「それは面白そうですね」とトネルガは言った。 「ぜひ教えてください」

シクナゴクスは説明を始めた。 「ツグベルデアという世界がある。 その世界には都や村々があって、多くの人間が暮らしている。 我々は、眠る前に呪文を唱えることによって、 夢の中でツグベルデアへ行くことができる。 それは『ルノデ・スギク・ガラバゼス』という呪文だ」

トネルガは、その呪文を紙に書き留めたのち、 何回か唱えてみた。

「そうだ。それでいい」と魔法使いは言った。 「夢の中でツグベルデアへ行った人間は、 その夢の中でさらに呪文を唱えることによって、 願い事をかなえてもらうことができる。 その呪文は、まず『ギメサヌダ・テトス』と唱えて、 それに続けて願い事を告げる、 というものだ。 ただし、 どんな願い事でもかなえてもらえるわけではない。 どんな願い事は実現可能で、 どんな願い事はそうでないかというのは、 いろいろと試してみればわかるだろう」

トネルガは質問した。 「この魔法は、 私がほかの人に教えてもかまわないのですか」

「かまわない」とシクナゴクスは答えた。 「夢の中で逢いたい人がいるなら、 その者にもこの魔法を教えるがよい」

そして、シクナゴクスはトネルガの家から去っていった。

その日の夜、トネルガは、 魔法使いから伝授された魔法をさっそく使ってみることにした。 寝床に入って、 「ルノデ・スギク・ガラバゼス」と呪文を唱えると、 彼はまもなく眠りに落ちた。

夢の中で、トネルガは見知らぬ街の中にいた。 街には民家や広場やさまざまな商店があって、 多くの人々が通りを行き交っていた。

トネルガは、願い事をかなえてもらう呪文を唱えてみた。 「ギメサヌダ・テトス。 この街の地図を見たい」

すると、 「その願い事は聞き入れられた」 という男の声がトネルガの耳に届き、 それと同時に、一枚の紙片が目の前の空中に出現した。 それは、トネルガがいる街の地図だった。 その地図の上には、ひとつの赤い光が灯っていた。 その光は、トネルガの現在の位置を示していた。

トネルガは次に、自分をこの国の王にしてほしい、 という呪文を唱えた。

すると、先程と同じ声が、 「その願い事をかなえることは不可能だ」と言った。 トネルガは周囲を見回したが、 声の主を見出すことはできなかった。

「あなたは誰ですか」とトネルガは尋ねた。

すると、声の主は言った。 「私は、この世界に遍在している精霊だ」

このようにして、 願い事をかなえてもらう呪文の効力と限界を確認したトネルガは、 街の地図をふところにしまった。 そして彼は、ときどき地図を取り出して自分の位置を確認しながら、 街の中にあるさまざまな施設を見て回った。

トネルガが夢の中でツグベルデアに出現してから 数時間が過ぎたとき、 彼は、かすかな眠気を感じた。 そして、その眠気は、しだいに強さを増していった。 彼は、人目に付かない建物の陰に寝転んで目を閉じた。

トネルガは、夢の中で眠りに落ちるのと同時に、 現実の世界で目を覚ました。

目が覚めてからしばらく経ったとき、トネルガは、 ツグベルデアの夢と普通の夢とで 明らかに異なっている点があることに気付いた。 普通の夢ならば、その記憶は、 目を覚ましたのち急速に鮮明さを失っていくはずだが、 ツグベルデアの夢の記憶は、目が覚めてからしばらく経ったのちも、 現実の出来事だったかのように鮮明なのである。

トネルガには、十日に一度、 馬車で一時間ほどの距離にあるタクテトクという街に出て、 さまざまな物品を購入したり 飲食店でひとときを過ごしたりするという習慣があった。 あるとき、彼は、街で若い女と知り合い、意気投合した。 女は、自分の名前をテニメナと名乗った。

別れ際に、トネルガは、ツグベルデアの夢を見る呪文と、 その夢の中で願い事をかなえてもらう呪文をテニメナに教えた。 そして、ツグベルデアの街の中にある酒場の名前を告げて、 そこに来てほしいと言った。

その日の夜、夢の中でツグベルデアを訪れたトネルガは、 呪文を使って数枚の銀貨を手に入れたのち、 待ち合わせのために指定した酒場へ向かった。 酒を飲みながらしばらく待っていると、テニメナが現われた。 トネルガは、店の主人に銀貨を渡して、 テニメナとともに酒場から出た。

トネルガは、街の中を歩きながら、 テニメナとさまざまな話をした。 数時間後、かすかに眠気を感じ始めたとき、トネルガは宿屋を探し、 二人で部屋に入った。 そして二人は、再会の約束をして眠りに落ちた。

その夜以来、トネルガとテニメナは、 夜ごとにツグベルデアで落ち合い、 数時間をともに過ごした。 そして、十日に一度はタクテトクでも顔を合わせた。

そのような生活が始まってから半年が過ぎたとき、 トネルガは、自分と結婚してほしい、とテニメナに告げた。 テニメナはそれを聞いて喜び、すぐに承諾の言葉を返した。

テニメナは、自分が求婚されたことを両親に報告した。 しかし、彼女の両親は、 彼女の結婚を政略上の目的のための手段としか 考えていなかったため、 彼女とトネルガとの結婚を、考慮に値するものとは考えなかった。 両親は彼女に、その男のことは忘れるようにと命じた。

その日の夜、テニメナはトネルガに言った。 「私の両親は、私たちの結婚を決して認めてくれないでしょう」

「心配するな」とトネルガは言った。 「私が君の両親を説得してみよう」

次の日、トネルガはタクテトクへ行き、 テニメナとその両親が暮らしている屋敷を訪ねた。 彼は戸口に現われた執事に用件を伝え、 テニメナの両親に会わせてほしいと頼んだ。 執事は屋敷の奥の間へと姿を消した。 ほどなくして戻ってきた執事は、 「お引き取りいただきたい」という両親の言葉をトネルガに伝えた。 トネルガは意気消沈して草原の家に帰り、 呪文を唱えたのちに就寝した。

トネルガとテニメナは、 いつものようにツグベルデアの酒場で落ち合ったのち、 二人で街に出た。

「私、家を出る決心をしたわ」とテニメナは言った。 「だから、私を連れて、 私の両親が追ってくることのできない遠いところへ 逃げてほしいの」

「そんなことをしても無駄だ」とトネルガは言った。 「たとえ世界の涯まで逃げたとしても、 君の両親は私たちを追ってくるだろう」

「このツグベルデアへ逃げ込むことはできないかしら」

「どういう意味だ」

「今は、 ツグベルデアで眠りに就くと現実の世界に戻ってしまうけれど、 そうならないようにしてもらって、 ツグベルデアの住民になるの」

「そんな願い事は、かなえてもらえないんじゃないかな」

「試してみなければわからないわ」

トネルガは呪文を唱えてみた。 「ギメサヌダ・テトス。 私とテニメナが、 この世界で眠りに就いたのちも この世界に在在し続けるようにしてほしい」

すると、精霊の声が二人の耳に次のように告げた。

「その願い事をかなえることは可能だ。 しかし、 君たちをツグベルデアの住民として迎える手続きを実行した瞬間、 現実の世界に残してきた君たちの肉体は、塵となって四散する。 その結果、 君たちは二度と再び現実の世界には戻ることができなくなる。 それを覚悟の上で、その願い事をかなえてほしいのか、 それとも願い事を取り下げるのか、返答せよ」

「願い事は取り下げる」とトネルガは言った。 「しかし、現実の世界でするべきことをしたのち、 再び同じ願い事をするつもりだ」

朝が来て、二人は現実の世界で目を覚ました。 トネルガは、 自分が飼育していた牛や羊などの家畜をすべて他人に譲り渡した。 テニメナは、自分の両親に宛てて手紙を書いた。 そして、夜が来たのち、 二人は呪文を唱えて寝台に体を横たえた。

ツグベルデアでテニメナと再会したトネルガは、 昨夜と同じ呪文を唱えた。 すると、精霊の声が昨夜と同じ警告を述べて、同じ質問をした。

「覚悟の上だ」とトネルガは答えた。 「願い事をかなえてくれ」

「その願い事は聞き入れられた」と精霊は言った。 「君たちはツグベルデアの住民として迎えられた。 現実の世界に残された君たちの肉体は、塵となって四散した。 君たちは、もう二度と現実の世界に戻ることはできない」

現実の世界から来た人間は、 ツグベルデアの住民となったのちも、 呪文を唱えることによって 願い事をかなえてもらうことが可能だった。 トネルガは、呪文を使って、 自分たちが住むための家を草原の一角に建てた。 そして、 牛や羊などを数頭ずつ出現させた。 彼は、 これから先はできるだけ呪文に頼らないで生活していきたいと考え、 それらの家畜を飼育する仕事に精を出した。

二人がツグベルデアの住民になってから数か月が過ぎたころ、 テニメナは、 自分の両親に会うことができない ということを寂しく思うようになった。 彼女は、夢の中で両親に会うことは可能なのではないかと考え、 それをかなえてもらうための呪文を唱えた。

すると精霊は言った。 「その願い事は聞き入れられた。 今夜、君が見る夢には、君の両親が現われるだろう」

精霊が言ったとおり、彼女の両親は、 その日の夜に彼女が見た夢の中に現われた。 そして、両親が見た夢の中には、失踪した娘が現われた。

テニメナは、自分は今どこにいるのかということ、 現実の世界にはけっして戻ることができないということ、 自分が望めばこうして夢の中で会うことができるということ、 そして、 自分は幸福に暮らしているので心配する必要はない ということを両親に語った。

それからさらに数か月が過ぎたころ、 トネルガとテニメナが住んでいる家に一人の男が現われた。 その男は、自分はルカドミヌスという名の魔法使いで、 テニメナの両親から依頼された用件を果たすためにここへ来た、 と彼らに語った。 トネルガはその魔法使いに、何を依頼されたのかと尋ねた。

「テニメナを現実の世界へ連れ戻してほしいと頼まれたのだ」 と魔法使いは答えた。

それを聞いて、テニメナは言った。 「私の体は、 もう現実の世界のどこにも存在しません。 ですから、私を現実の世界に連れ戻すことは不可能です」

「ところが不可能ではないのだ」とルカドミヌスは言った。 「君の肉体は今、塵になって空中を浮遊しているが、私は、 それらの塵を呼び集めて人間の肉体を復元することができる」

トネルガは呪文を唱えた。 「ギメサヌダ・テトス。 この魔法使いを現実の世界へ送り返してくれ」

すると精霊の声が聞こえた。 「その願い事をかなえるためには、その魔法使いの許可が必要だ。 魔法使いよ、許可するかしないか返答せよ」

「許可しない」とルカドミヌスは言った。

「その願い事は許可されなかった」と精霊は言った。

「この世界のことについては、 君たちよりも私のほうがよく知っている」と魔法使いは言った。 「私に対抗できるなどとは考えないほうがよい」

ルカドミヌスは、小声で長い呪文を唱えた。 すると、 テニメナの体は 無数の亀裂によって小さな積木のようなものに分断された。 それらの積木はさらに小さな積木に分断され、 それが何度も続り返されていって、 何度目かの分断ののち、彼女の姿はまったく見えなくなった。

ルカドミヌスは身を翻して家の扉を開いた。 トネルガは魔法使いを追って外へ出たが、 そのときにはすでにその不吉な姿は見えなくなっていた。

トネルガは、 たとえテニメナが現実の世界へ戻ってしまったとしても、 彼女が呪文を覚えている限り、 夢の中で自分に会いに来てくれるだろう、と考えた。 しかし、その日の夜も、次の日の夜も、彼女は現われなかった。

テニメナが去ってから十日が過ぎた日、 トネルガの家にシクナゴクスが現われた。

「君に伝えたいことがあって、君を捜していたのだ」 とシクナゴクスはトネルガに言った。 「以前の君の家が廃屋になっていたので、 どこかへ転居したのだろうと推測したのだが、 まさかこんなところへ転居していたとは」

トネルガは、 自分がツグベルデアの住民になった経緯について語った。 そして、 ルカドミヌスという魔法使いが テニメナだけを現実の世界へ送り返したことも付け加えた。

「ところで、 私に伝えたいことというのは何だったのですか」 とトネルガは尋ねた。

「今の君には伝える必要がなくなってしまったが、 夢の中でツグベルデアへ行くための呪文が変更された という通知が届いたので、 君にも知らせてやろうと思ったのだ」

「ひとつお願いがあるのですが」とトネルガは言った。 「現実の世界に戻ったら、 私は元気にしているとテニメナに伝えていただけませんか」

すると魔法使いは尋ねた。 「君はそれだけで満足なのかね。 テニメナを取り戻したいとは思わないのか」

「私たちには逃げていく先がないのです」とトネルガは答えた。 「このツグベルデアでさえ安住の地ではなかったのですから」

「安住の地なら、いくらでも提供できる。 私に任せてくれないか」

トネルガは半信半疑だったが、 自分たちの安住の地の獲得を シクナゴクスに託してみることにした。

シクナゴクスは呪文を唱えた。 「ギメサヌダ・テトス。 守護者と話がしたい」

すると精霊の声が聞こえた。 「その願い事は聞き入れられた」

そして、それに続けて、 「私に何の用ですか」という女性の声が聞こえた。

「新しい世界をひとつ作ってほしい。 世界の名前はトネルゲアだ」

「かしこまりました」と女性の声は言った。

それからしばらくすると、ふたたび守護者の声が聞こえた。 「新しい世界ができました」

シクナゴクスは呪文を唱えた。 すると、魔法使いとトネルガは、新しく作られた世界へ移動した。 その世界には、まだ空と大地しかなかった。 魔法使いがさらに呪文を唱えると、彼らの周囲に街並が出現し、 人々が通りを歩き始めた。

トネルガは驚いて言った。 「ここはタクテトクにそっくりだ」

「そのとおりだ」とシクナゴクスは言った。 「この街並と人々は、タクテトクのそれらを複製したものだ。 ただし、テニメナとその両親は、複製を作っていない。 彼らについては本物を連れて来なければ意味がないからだ」

魔法使いは、 街の一角を占める広壮な邸宅へトネルガを案内した。

「ここが君の住まいだ」と魔法使いは言った。 「そして、君の表向きの名前はベリナゴスだ」

シクナゴクスはトネルガを屋敷の中の執務室へ連れて行き、 彼がベリナゴスとしてしなければならない仕事について 説明した。

「早くテニメナに会いに行かせてください」 とトネルガは言った。

「彼女は両親に連れられてここへ来るだろう」 と魔法使いは言った。 「君は、その時が来るまで、 ここで仕事をしながら待っていなければならない」

そして、シクナゴクスはトネルガの屋敷から去って行った。 トネルガは、 ベリナゴスとしての仕事をしながら テニメナとの再会の時を待った。

再会の時は、魔法使いが去ってから十五日後に訪れた。 両親の背後に隠れるように歩み寄ってきたテニメナは、 ベリナゴスというのがトネルガのことだと知った瞬間、 驚きと喜びの表情を浮かべた。 しかし、彼女の両親は、娘の表情の変化には気付かなかった。

それから数十日後、トネルガは、 妻となったテニメナを連れて草原へ向かった。 そこには、トネルガがかつて住んでいた家の複製が建っていた。 それは廃屋ではなく、 今でも誰かが住んでいるかのように塵ひとつなかった。 そして食卓の上に、シクナゴクスからの手紙が置かれていた。 その手紙には次のように書かれていた。

「私からの結婚祝いとして、この家を君たちに贈呈する。 ぜひ別荘として使ってもらいたい」

第二十二話――世界を操作するための壁

ムサユデヌリという世界にはひとつの大陸があり、 その周囲は海に囲まれていた。

遥かな昔、神は、 天の水源から水を引き込むことによって 大陸の周囲に広がる海を作った、 という伝説が、 その大陸に住む人間たちによって伝承されていた。

神は、天の水源とムサユデヌリとのあいだに水路を作り、 その水路を使って水源の水をムサユデヌリに引き込んだ。 そして神は、 海の水が充分な量になったのを見て水路の出口を閉じた。 しかし、水路そのものはそののちもそのまま残されていて、 出口を開けばふたたび水が流れ込んでくる、 と伝説は述べていた。

水路の出口がどこにあるのかという点について、 伝説は何も言及していない。 その結果、いにしえより、 伝説の水路の出口を探求することに 多くの人々が自身の人生を費すこととなった。 モイトアジクもまた、 水路の実在を証明することに生涯を捧げた人間の一人だった。

モイトアジクは、世界の創造に関する伝承の記録を渉猟し、 それらを分析した。 そして彼は、 水路の出口はクロトナコレツにあるのではないかと推測した。

クロトナコレツというのは、ムサユデヌリの大陸の中央にある、 嶮峻な高峰が林立する山岳地帯のことである。 その一帯は、 切り立った崖と千尋の谷と獰猛な獣によって 人間たちの侵入から守られていた。

モイトアジクは、水路の出口を探索するため、 その人跡未踏の地に足を踏み入れた。 彼は、崖を登り、谷を渡り、獣を倒しつつ、 しだいに奥地へと侵入していった。

クロトナコレツの最奥の地点に到達したモイトアジクは、 巨大な円筒形の洞窟が山の絶壁に口を開いているのを発見した。 彼はその洞窟の奥へ歩を進めたが、すぐに、 巨大な壁のような岩によって行手を阻まれた。

その岩の前には小さな石碑のようなものがあり、 遥かな過去に使われていた文字で、 「ここは天の水源に通ずる水路なり。 何人も水門に触るるべからず」という碑文が刻まれていた。

モイトアジクは、 目の前の巨大な水門が どのような機構によって開閉されるのか ということを確かめようと考え、 その岩のそばに歩み寄った。そして彼は、 岩の表面の一部分が青白い光を放っていることに気付いた。 それは、岩の中に埋め込まれて、先端だけが岩から突出した、 人間の指ほどの太さを持つ円筒形の物体だった。

モイトアジクは、その青白く光る物体を指先で軽く撫でた。 次の瞬間、彼の目の前にあった巨大な岩は、霧のように消滅した。 彼は、洞窟の奥から迫ってきた水の壁に飲み込まれた。

クロトナコレツの中央にある絶壁から噴出した水は、 大河となって大陸を下り、海に流れ込み、 そして海面を少しずつ上昇させていった。 海辺にある町や村に住む人々は、標高の高い地域へ避難した。

人々は、天の水源からの水の流入がこのまま続けば、 数年後には大陸の全土が水没し、 ムサユデヌリは海だけの世界になってしまうだろうと予測した。 そこで彼らは、円盤の形の船をいくつも建造した。 それらの船の上甲板には土が敷き詰められ、 穀物や野菜などの畑が作られた。 そして下層の甲板には家畜を養うための部屋や 人間が居住するための部屋などが作られた。

すべての人間を収容するに足る数の船が完成した年の一年後に、 海は、人間が居住していた地域をことごとく覆い尽くした。 そのさらに一年後には、 大陸の最高峰の頂上も海面下に没し、 ムサユデヌリは陸地のない世界となった。 そしてその五年後、水路の出口を塞いでいた岩がふたたび出現し、 水位の上昇は停止した。

人々を乗せた無数の円盤状の船は、 沈んでいる大陸の真上の位置で浮遊し続けた。 人々は、船の上で結婚し、子供を作った。 その子供たちも、船の上で成長し、船の上で子供を作り、 そして船の上で死んでいった。 このようにして、 人間たちは船の上で何度も世代交代を繰り返した。

ギラムデリスも、海の上で生まれた子供の一人だったので、 陸地というものを見たことがなかった。 彼は陸地について知りたいと思い、 それについて祖父や祖母に尋ねてみた。 しかし、祖父や祖母もまた、 自分たちが生まれたときには すでに船の周囲には海しかなかったので、 孫の質問に答えることができなかった。 ギラムデリスは、成長して大人となったのちも、 陸地について知りたいという願望を抱き続けた。

海というものは無限に広がっているわけではない、 とギラムデリスは考えていた。 もしも無限の広さがあるとするならば、 海の水がいくら増えたとしても海面が上昇することはあり得ない、 というのがその根拠だった。

海の広さが有限だとすれば、 それは陸地によって囲まれているに違いない。 したがって、常に一定の方向へ船を進ませていけば、 海を取り囲んでいる陸地に到達することができるはずだ。 そう考えたギラムデリスは、 自分の考えに賛同してくれる人々の協力を得て一隻の船を建造して、 タギツナ号という名前をそれに与えた。 タギツナ号は、 船長のギラムデリスと十数名の船員たちを乗せて出帆した。

ギラムデリスは、タギツナ号を東へ進ませた。 そして百数十日後、船は海の終わりに到達した。 そこには巨大な壁がそそり立っていた。 それは、北へも南へも途切れることなく続いていた。 ギラムデリスは、 この壁の上には陸地が広がっているに違いないと考えた。

壁は、石材を積み重ねることによって作られていた。 ギラムデリスは、壁の上へ登っていくのに適した場所を求めて、 船を北に向けて進ませた。

数日後、船員たちは、 石材が階段状に積まれている場所を発見した。 ギラムデリスはそこに船を停め、船員のうちの半数を船から降ろし、 その船員たちを率いて階段を昇っていった。

三日後、ギラムデリスと船員たちは、壁の上端に到達した。 壁は、歩いて数分で横断することができるほどの厚さしかなく、 その向こう側には海が広がっていた。

ギラムデリスは壁の上に立って次のように考えた。 この壁は 巨大な円を描いて内側の海を取り囲んでいるのではないだろうか。 そして、 天の水源というのは 壁の外側に広がっている海のことではないだろうか。 もしもそうだとするならば、 ムサユデヌリの水位を調節するための施設が、 この壁のどこかにあるのではないだろうか。

タギツナ号の船倉に積まれた食糧は、 すでに半分以上が消費されていた。 ギラムデリスは、人々を乗せた円盤状の船のところへ帰還し、 タギツナ号に大量の食糧を積み込んで、ふたたび東を目差した。 そして壁に到達したのち、彼は、 タギツナ号を壁に沿って北へ進ませた。

壁は、 船が北へ進むにつれて少しずつ西に向かって方向を変えていった。 そして、壁に到着した日の二百数十日後に、最北端に到達した。

ギラムデリスは、 石材が階段状に積まれている場所は 東端から北端までのあいだに四箇所あって、 それらの間隔は一定であるということを確認した。 彼は、階段が発見されるたびに船を停めて壁の上へ登った。 しかし、 東端と北端とのあいだでは、 水位を調節するための施設らしきものを 発見することはできなかった。

タギツナ号は、さらに西に向かって航海を続けた。 そして、七箇所目の階段を昇り終えたとき、ギラムデリスは、 巨大な壁の上に小型の壁が立っているのを発見した。

小型の壁は、高さは人間の背丈よりも少し高い程度で、 幅は七歩前後で端から端まで歩ける程度だった。 その壁の表面には、 二百個を越える円筒形の突起物が縦と横に整然と並べられていた。 それらの円筒形の突起物は、人間の指ほどの太さで、 青白い光を放っていた。

円筒形の突起物のそれぞれについて、その下の壁面には、 その突起物の説明と思われる文字の列が刻印されていた。 また、壁の裏側には、 突起物の説明と同じ文字から構成される長い文章が 刻み込まれていた。 しかし、それらの文字は、 ギラムデリスや船員たちにとって、まったく未知のものだった。 ギラムデリスは、 壁に刻まれた文字の列を読むことのできる者を探すために タギツナ号を帰還させた。

古代文字の研究者であるモセリヌルカは、 ギラムデリスが紙に書き写してきた文字を見て、 これは三千年前まで人間たちが使っていた文字だと断言した。 そして彼は、いくつかの文字の列について、 それが何を意味しているのかということを ギラムデリスに説明した。

ギラムデリスと船員たちは、 タギツナ号に大量の食糧を積み込み、さらにモセリヌルカを乗せて、 小型の壁を目差して出帆した。 そして、その百数十日後に船は壁に到着した。

モセリヌルカは、まず壁の裏側に刻まれた文章を解読し、 そののち、 円筒形の突起物のそれぞれに注記された短い説明を読んでいった。 そして彼は、壁面に書かれていたものをすべて現代語に翻訳して、 その結果をギラムデリスに示した。

壁面の裏側に刻まれた文章の内容は、次のようなものだった。 「ムサユデヌリは、円盤の形をした船になっていて、移動したり、 内部の海の水位を調節したりする機構を備えている。 そして、この壁に並べられている円筒形の突起物は、 この世界の機構を操作するためのものである。 それらの円筒に人間が指で触れると、 それに応じて世界の機構が作動する」

ギラムデリスは、 水面が大陸よりも低くなるまで水位を下げる円筒に触れた。 ムサユデヌリはその指示にしたがい、排水用水路の水門を開いて、 さらに自身の喫水を浅くしていった。 ムサユデヌリの内側の水は、 排水用水路を通って外側へ流出し始めた。

ギラムデリスは、 モセリヌルカとすべての船員たちとともにタギツナ号に乗り込んで、 円盤状の船のところへ帰還せよと船員たちに命じた。

五年後、大陸の最高峰の頂上が海面の上に姿を現わした。 そしてそのさらに五年後に、ムサユデヌリの内側の海は、 洪水が始まる前の水位に戻った。 人々は円盤状の船から降りて、大陸の上に町や村を再建した。

それから七百年が過ぎたとき、ザルクゴツナという探検家が、 クロトナコレツの奥地で、 古代の文字が刻まれたひとつの石碑を発見した。 彼は、その石碑の拓本を作って帰還し、 その拓本を文字の研究者に託した。

石碑に刻まれた文章は、 ムサユデヌリが建造された理由についての説明だった。

ムサユデヌリが建造されるよりも以前、人間たちは、 無限に広がる大地の上で暮らしていた。 しかし、あるとき人間たちは、禁忌を犯し、神の逆鱗に触れた。 神は、人間たちに対する罰として、無限の大地を無限の海で覆った。 その洪水は、ほとんどすべての人間に死をもたらした。 生き残ったのは神によって選ばれた一握りの人々だけだった。 神は洪水に先立ってムサユデヌリを建造して、 自分が選んだ人々をそれに乗せたのである。

神は、ムサユデヌリの建造と同時に、 無限の海を取り除くという機能を持つ施設をも建設した。 その施設は、垂直に立てられた無限の高さを持つ円柱だった。 その円柱は、 ムサユデヌリを東へ移動させれば 五百三十二年後に到達する位置にあった。

人間たちは、リゴレグ号という名前の一隻の船を建造した。 その船の船長に任命されたハベナトルギは、 船員たちとともにリゴレグ号に乗り込んで、 巨大な壁の上にある小型の壁を目差した。

小型の壁の前に立ったハベナトルギは、 円筒形の突起物のうちのひとつに指で触れた。 その円筒に触れることは、 ムサユデヌリを東へ進ませるという操作を意味していた。 ハベナトルギは、その操作ののち、 リゴレグ号で大陸へ帰還した。

ムサユデヌリが東への移動を開始して四百年が過ぎたころから、 ムサユデヌリの人間たちは、水平線と天頂とをつなぐ一本の直線を 東の空に見ることができるようになった。 ムサユデヌリがその直線に接近するにつれて、 それは少しずつ太さを増していった。

人間たちは、 ツクヨマ号とギミテガ号という二隻の船を建造した。 そして、キロゾヌイズをツクヨマ号の船長に、 ダカルサウデをギミテガ号の船長に任命した。

ムサユデヌリの移動が開始されてから五百三十二年目の年に、 ツクヨマ号は壁の最東端に向かって出帆し、 ギミテガ号は ムサユデヌリを操作するための小型の壁ヘ向かって出帆した。

最東端の壁の上へ登ったキロゾヌイズは、 円柱に対するムサユデヌリの位置を確認しながら、 小型の壁の前にいるダカルサウデに合図を送った。 ダカルサウデは、 その合図にしたがってムサユデヌリを操作した。 そして、ムサユデヌリは円柱に接岸して停止した。

円柱の外壁には無数の扉が螺旋状に並んでいた。 それらの扉は、 人間が接近すると自動的に開く仕組みになっていた。 キロゾヌイズは、 モニスビレドという文字の研究者と数名の船員を伴って 円柱へ乗り移った。

円柱の内部は空洞で、 外壁の内面に沿って階段が螺旋状に取り付けられていた。 その壁面には、一定の間隔を置いて同一の語句が刻まれていた。 モニスビレドはその語句を読んで、 「無限の海を取り除くことを望む者は、この円柱の底へ行くべし」 という意味だと言った。

キロゾヌイズとその一行は螺旋階段を降っていった。 四十日後、円柱の底に到達した一行は、床の中央に、 人間の腰ほどの高さを持つ一本の円柱が立っているのを見た。 その円柱の上面には青白い光を放つ円筒形の突起物があり、 その突起物のそばには短い文字の列が刻印されていた。 モニスビレドはそれを、 「無限の海の除去」と訳した。

キロゾヌイズは円筒形の突起物に指先で触れた。 次の瞬間、無限の海は消滅した。 キロゾヌイズとその一行は、 円柱の底にある扉から外へ出た。 彼らの周囲には無限の大地が広がっていた。 そして、彼らの頭上にはムサユデヌリが浮かんでいた。

ダカルサウデは、壁の外側の海が消滅したことを見届けたのち、 「大地への降下」と注記された円筒形の突起物に指で触れた。 ムサユデヌリは降下を開始し、その三日後に大地に着地した。

無限の海の消滅から五千数百年が過ぎたとき、 人間たちはふたたび禁忌を犯し、神の逆鱗に触れた。 神は、人間たちに対する罰として、無限の大地を消滅させた。 ほとんどすべての人間たちは、 無限に遠い奈落の底に向かって落下していった。 落下を免れたのは、神によって選ばれた少数の人間だけだった。

神は、空中を浮遊する円盤状の世界を建造して、 それにルミドゴモキという名前を与えた。 そして、自分が選んだ人間たちをその世界に乗せた。

さらに神は、無限の大地が消滅した理由と、 それを復活させる方法に関する文章を刻んだ石碑を作り、 それをルミドゴモキの中央に置いた。 そして、人間による石碑の発見を困難なものにするために、 酷寒の雪原と灼熱の砂漠を石碑の周囲に作った。

第二十三話――神と神学と神学者

グビタナンガという国は神によって統治されていた。

神は、国民に命令を発するために、人間の肉体を必要とした。 毎年、神は依代として一人の人間を選び、 立春の日に降臨して依代に憑依し、 冬至の日に依代から離れて天上へ還っていった。

グビタナンガの首都の中央には巨大な神殿があり、 多数の神官が奉職していた。 神が憑依した依代は、神殿の奥にある一角で生活し、 三日に一度、玉座に登って命令を発した。 ただし、依代は、自分の足で玉座に登るわけではない。 神は、 自分が憑依している依代の足を動かすことができないのである。 そのため、依代を移動させるためには、 神官が担ぐ輿を必要とした。

毎年、立春を過ぎたころ、神官たちは、 神が憑依した依代を探し出すために 東奔西走しなければならなかった。 その季節になると、 自分の家族や知人に神が憑依したという通報が 全国各地から神殿に送られてきた。 神官たちは、それらの依代たちひとりひとりと面談して、 本物の神が憑依しているのは誰なのかということを 判定しなければならないのだった。

コグナスモトスは神に仕える神官の一人であり、 主として神学の研究に従事していた。 彼は、 神学の発展が数百年前から停滞したままであることに 心を痛めていた。 彼は焦燥に駆られ、 先人たちの書物に注釈を付けることのみで事足れりとする神官たちを 痛烈に批判した。 しかし、その批判を真摯に受け止めた神官は皆無だった。 コグナスモトスによる批判は、彼の意図に反して、 彼に敵対する勢力を神殿の内部に育てる結果となった。

コグナスモトスは、 公職の一環として学問所で神学を講じていたが、あるとき、 彼の講義の内容には神に対して不敬な部分がある と讒言する者があり、 彼はすべての公職から放逐された。

コグナスモトスは公職に復帰したいと願ったが、 彼の味方になる者は誰一人としていなかった。 そこで彼は、 神を利用することによって自らの復権を図ろうと考えた。

コグナスモトスが立てた計画は、 翌年の立春の日から冬至の日まで、 自分が指示したとおりに依代を演じてくれる人物を必要とした。 彼は、役者を志望しているベクナザムスという若者に、 依代を演じてもらえないかと誘いかけた。 ベクナザムスは、日々の糧にも事欠くほど困窮を極めていたので、 計画に協力してもらう見返りとしてそれに見合う報酬を支払う という条件をコグナスモトスが提示すると、 一も二もなくその話に飛び付いた。

契約が成立した翌日から、一対一での秘密の講義が開始された。 神が憑依した依代はどのようなことをどのようにしゃべり、 どのように振る舞うのか、 コグナスモトスはベクナザムスに、事細かに教え込んだ。

ベクナザムスの演技は、ほぼ完璧と言ってよいものだった。 それは本物よりも本物らしく見えるものであり、 依代の真贋の判定を専門とする神官さえも 確実に欺くことができるものだった。

翌年の立春の日、神は、 大工として働いているノガルマスという壮年の男性に憑依した。 彼の異変を知った家族たちは大いに喜んだ。 依代とその家族には 多額の恩賞が与えられることになっていたからである。

ノガルマスの妻、ネウシャスラは、 夫に神が憑依したことを神殿に報告した。 すると、ほどなくして三人の神官が現われ、 ノガルマスに憑依した神にさまざまな質問を投げかけた。 神は、淀むことなくそれらの質問に答えていった。 神官たちは、その場では結論を出さず、 判定の結果は追って知らせると言い残して去っていった。

依代ではないかと見られる人々と 全国各地で面談をした神官たちは、 神殿に集まって、 本物の神が憑依しているのは誰なのかということについて協議した。 そして、ベクナザムスが本物の依代であると判定した。 神官たちは、 ベクナザムスを神殿へ遷御させるための馬車を彼のもとへ派遣し、 贋の依代と判定された人々の家族に向けて、 そのことを告げる通知を送った。

ネウシャスラのもとにも神殿からの通知が届いた。 彼女は判定の結果に関して神殿に不服を申し立てた。 しかし、神官たちは、 そのような申し立てにはまったく耳を貸さなかった。

神が憑依するまで、ノガルマスの妻、息子たち、娘たち、 そして年老いた両親は、 ノガルマスが大工の仕事で得た収入で暮らしていた。 しかし、神が憑依したノガルマスは、足が動かず、 また人格も置き換わっているため、 彼に大工の仕事をさせることはできなかった。 冬至までのあいだ、家族が糊口をしのぐためには、 ネウシャスラが働きに出る以外に方法がなかった。

「苦労をかけてすまない」と神はネウシャスラに言った。 「神官といえども人間である以上は間違いを犯すこともある。 私は、数十年に一回ぐらいの割合で、 贋物と判定されてしまうようだ。 今は、君とその家族たちに何もしてあげることができないが、 来年は、君たちの名誉を回復して、 可能な限りの幸福を君たちに与えることを約束しよう」

依代として神殿で生活することになったベクナザムスは、 コグナスモトスから教えられたとおりに、 本物の神ならば発するに違いないと思われる命令を 次々と発していった。 ベクナザムスはコグナスモトスから、 「立春から立秋までの半年は、 私の名前をけっして口にしてはならない」 と厳命されていたので、 神官たちとの会話では、 コグナスモトスに関する話題を避けることに注意を払った。

立秋から十日ほどが過ぎたある日、神官たちはベクナザムスに、 神殿の公文書保管係に一名の欠員ができたことを告げた。 ベクナザムスは、そこで初めてコグナスモトスの名前を口にした。 コグナスモトスは、 公文書保管係の下級神官として公職に復帰した。

ベクナザムスは、 コグナスモトスが得意とする仕事は何かということを 事細かに教え込まれていた。 彼は、コグナスモトスが公職に復帰したのち、 その人物にはけっして言及することがなかったが、 その人物に活躍の機会を提供する命令をしばしば発した。 コグナスモトスは、 自分に与えられた活躍の機会を最大限に生かして、 神殿の中での権力の階段を着実に昇っていった。

冬至の日の朝、ベクナザムスは、 自分の前に現われた神官たちに向かって、 「ここはいったいどこなんですか」と尋ねた。 そして彼は、ここがどこかということと、 自分がなぜここにいるのかということを神官から聞かされて、 驚いた表情を浮かべた。

コグナスモトスは、腹心の神官たちとともに、 演技に堪能な男を選定して、 翌年の依代を演じさせるための周到な訓練をその男に施した。

翌年、神は、 自分が憑依した依代が 昨年に引き続いて贋物と判定されたことを知って、 神殿に何らかの異変が生じているのではないかと考えた。 そこで神は、その翌年の立春の日、 神殿の奥で依代の世話をする役目の神官に憑依した。 その神官は贋物の依代と判定され、自宅での謹慎を命ぜられた。

依代となった神官の同僚たちは、しばしば彼の自宅を訪問し、 神と言葉を交した。 彼らは神に、 コグナスモトスとその派閥が神殿の内部に張り巡らせている 陰謀について語った。

かつて神学研究に関してコグナスモトスから無能だと批判され、 彼の放逐に手を貸した神官たちは、翌年、 神殿が公式に認めた依代に対して叛旗を翻した。 叛乱者たちは、自分たちが真の依代とみなした人物とともに 神殿の一角を占拠した。

叛乱に加担していない大多数の神官たちは、 初めのうちは中立を保っていたが、 しだいに、神殿が公式に認めた依代ではなく、 叛乱者たちが擁立している依代の命令に したがうようになっていった。

夏至の日の朝、最高位の神官たちは、 現在の公式の依代は贋物であり、 叛乱者たちが擁立している依代こそが本物であると宣言し、 依代を交代させよと神官たちに命じた。 叛乱者たちは、嬉々としてその命令にしたがった。

晴れて本物と認定された依代は、 輿から玉座に移されるや否や、 自分を擁立していた叛乱者たちを 神殿から追放せよという命令を発した。 叛乱者たちは、その時点でようやく、 自分たちが擁立していた依代もまた、 コグナスモトスとその派閥によって訓練された 贋物だったということに気付いた。

神は、 コグナスモトスの陰謀を封ずるために、翌年の立春の日に、 コグナスモトスを依代として選んだ。

コグナスモトスは、それ以前から、 自分が依代として選ばれるという事態になったときは どうすればよいかということを腹心の神官たちに言い含めてあった。 彼らは、毒を盛った料理を食べさせてコグナスモトスを殺し、 彼は病気のために死亡したと発表した。

コグナスモトスという求心力を失った彼の派閥は、 一気に崩壊へ向かった。 かつてその派閥によって追放されていた神官たちは、 神殿に復帰して、コグナスモトスの残党を神殿から一掃した。

翌年の立春の日に神が憑依した依代は、 神官たちによって本物と判定され、神殿へ運ばれた。 神は、神官たちが担ぐ輿から玉座へ降ろされるや否や、 かつてコグナスモトスに敵対していた神官たちを ふたたび神殿から追放し、 コグナスモトスの残党を神殿に復帰せしめよと命じた。

ピルムゲラスという神官は、 コグナスモトスに敵対する勢力による叛乱が発生したときに 表立った行動を取らなかったため、 追放を免れていた。 しかし、コグナスモトスに対する彼の敵愾心は、 人一倍強いものだった。 彼は、 かつてコグナスモトスに敵対していた神官たちを 神がふたたび神殿から追放した理由を説明するために、 ひとつの仮説を立てた。 それは、神が憑依している依代が死亡すると、神は消滅し、 依代自身の霊魂が新しい神となる、という仮説だった。

ピルムゲラスは、その仮説を検証するために、 疾病や暗殺などで依代が死亡した過去の事例のいくつかについて、 その前後での神の言動を比較してみた。 その結果、依代が死亡したときは、かならずと言っていいほど、 翌年の神の政策に微妙な変化が見られることが明らかになった。

さらにピルムゲラスは、 コグナスモトスが学問所で講じていた神学が どのような内容だったのかということを調べてみた。 その内容は、コグナスモトスもまた、 依代が死亡した場合に神の交代が起こることに気付いていた、 ということを裏付けるものだった。

ピルムゲラスは、追放された神官たちを市内の某所に呼び集め、 自分が立てた仮説と、 その仮説の裏付けとなる事実を彼らに報告した。 その報告を聞いた神官たちは、それをめぐるさまざまな意見を述べ、 そして激しく議論した。 その議論はやがて、ひとつの結論に向かって収束していった。 それは、コグナスモトスを神の座から引きずり下ろすために、 彼が憑依している依代を殺害しなければならない という結論だった。

依代の殺害という重大な使命を完遂することができるのは ピルムゲラスを措いてほかにはいない、 という点に異論を唱える者は、 追放された神官たちの中には一人もいなかった。 ピルムゲラスはそれを固辞したが、神官たちは粘り強く彼を説得し、 彼は渋々ながらその使命を受諾した。

依代が奉祀されている神殿の奥の一角は、 当直の神官たちによって厳重に警備されていた。 ピルムゲラスは、 警備の網をくぐり抜けるための綿密な計画を立てた。 そして夏至の日の深夜、彼はその計画を実行に移した。

ピルムゲラスは、誰にも見咎められることなく、 神殿の最奥にある依代の寝所に侵入した。 そして、依代の胸を刺し貫くための短剣を懐中から取り出した。 するとそのとき、不意に依代の目が開いた。

神は、ピルムゲラスの顔を見詰めて、 「この依代を殺すつもりだな」と言った。

ピルムゲラスはその質問には答えず、逆に、 「あなたはコグナスモトスですね」と尋ねた。

「そうだとも言えるし、 そうでないとも言える」と神は答えた。

ピルムゲラスはその言葉の意味を質した。

すると神は、「コグナスモトスは、 神が憑依している依代が死亡した場合、古い神は消滅して、 依代自身の霊魂が新しい神になると考えていたらしい」 と言った。

「それは私が立てた仮説と同じです」 とピルムゲラスは言った。 「だからこそ、私はこの依代を殺そうとしているのです」

「その仮説は修正が必要だ」と神は言った。 「私にも、常にそうなるという確信はないのだが、 依代が死亡した場合、依代自身の霊魂は、 それまでの神を排除して新しい神となるのではなく、 神の中に取り込まれて神の一部分となるらしい」

「コグナスモトスがあなたの一部分にすぎないのだとすると、 あなたはなぜ、彼に敵対する勢力を神殿から追放したのですか」

「私も、以前は、コグナスモトスが悪であり、 彼に敵対する勢力が正義であると考えていた。 しかし、今は、その考えは間違っていたと思っている。 コグナスモトスは、現在の神学はいまだ発展途上のものであって、 神学の研究に携わる神官には、 それをさらに発展させる責務があると考えていた。 私も、彼の考えは正しいと思う。 しかし、神学の研究者たちのうちで、彼の考えに共鳴した者は、 誰一人としていなかった。 彼らは、神学を発展させることではなく、 神学をめぐる瑣末な議論を繰り返すことが自分たちの責務だと 信じていたのだ。 コグナスモトスは研究者たちを激しく批判した。 その結果、彼は多くの神官たちの反感を買い、 ついにはすべての公職から放逐されるという憂き目を 見ることになったのだ」

ピルムゲラスは、短剣を懐中に戻し、依代の寝所をあとにした。 そして、その翌日、 神が話した言葉を追放された神官たちに伝えた。

「そんなものは、 自分の霊魂が消滅させられることを防ぐために コグナスモトスが考え出した言い逃れに決まっている」

神官の一人が言ったその発言に対して、 その場にいた神官たちの大多数が賛意を示した。

数日後の深夜、追放された神官たちは、 手に手に武器を持って参集し、徒党を組んで神殿になだれ込んだ。 そして、警備に当たっていた神官を次々と斃しながら、 依代の寝所を目差した。

神は、寝所の外から聞こえてくる騒々しい物音で目を覚ました。 その物音は、しだいに寝所に近づいてくるようだった。 危険を察知した神は、ここから脱出しなければならないと考えた。 しかし、神は、 自分が憑依している依代の足を動かすことができなかった。 依代は、 寝所の扉を破って乱入した神官たちによって 膾のごとく切り刻まれた。

依代を殺害した神官たちは、神殿を掌握し、 コグナスモトスの派閥に属する神官たちを追放した。 そして、依代は病気のために死亡したと発表した。

翌年、神は、 自分が憑依した依代が輿から玉座に移されるや否や、 前年の依代を殺害した神官たちを処刑し、 追放されている神官たちを神殿に復帰せしめよという命令を発した。 そして神は、その処置が遂行されたことを確認したのち、 ピルムゲラスを玉座の前に召し出すようにと命じた。

御前に進み出たピルムゲラスに向かって神は言った。 「私は、神殿の付属機関として、 神学のさらなる発展を目的とする研究機関を設置することにした。 そして、貴殿を、その研究機関の初代の責任者に任命したい。 引き受けてもらえるだろうか」

ピルムゲラスは答えた。 「謹んで拝命いたしたく存じます」

ピルムゲラスは、そののち四半世紀に渡ってその才能を発揮し、 神学の上に顕著な業績を残した。 また、彼は後進の育成にも力を尽くしたので、 彼の死後も神学の発展は停まる所を知らなかった。

第二十四話――幻の古代王朝

数百年に及ぶ群雄割拠の時代を終局に導き、 セネムジーラの地を統一した武将ワミカサクネは、 ミゾルハバラスという王朝を樹立し、その初代の国王となった。 ワミカサクネは晩年に家訓を定め、 当家の子孫はこれを堅く守るべしと言い残して世を去った。

家訓の条項のひとつは、 王位は長男が継承しなければならないと定めていた。 しかし、第二十四代国王のセラガヨルドは、 その条項に背く決断を下さなければならないと考えた。 セラガヨルドには三人の王子がいたが、長男のミガロキネスは、 国王にふさわしい人徳を備えているとは言い難かった。 長男に王位を譲ることは 王朝を減亡に導く暴挙であると思われた。

宰相のモデナザームも国王の考えを支持した。 宰相は三男のテムザシルスを推挙し、国王も、 王位は三男に譲るのが妥当であろうと考えた。

ミガロキネスは譲位に関する国王の意向を察知して怒り狂った。 彼の怒りの矛先はテムザシルスに向けられた。 三男は、長男が放った刺客によって葬り去られた。

ミガロキネスはさらに、国王を幽閉し、自分への譲位を迫った。 しかし国王は、いかに苛酷な拷問を加えられようとも、 長男に王位を譲るという詔書の上に自らの名を記すことを 拒み続けた。

国王セラガヨルドの意志が堅いことを知ったミガロキネスは、 国王を弑逆し、第二十五代の国王を僭称した。

僭王となったミガロキネスは、多数の人民を徴用し、 彼らを酷使することによって ネドルザカブという土地に巨大な都を建設し、 その地に遷都した。 そして彼は、 苛斂誅求によって得た租税を湯水のごとく使って 豪奢の限りを尽くした。 民衆は毎年のごとく叛乱を起こしたが、 そのつど国軍によって鎮圧された。

先王が弑逆されたのちも 引き続き宰相を務めていたモデナザームは、 このままでは早晩、王朝は滅亡するに違いないと考えた。 そこで宰相は、 先王の次男であるボナトミルゼを正統の国王として擁立し、 ミガロキネスに対して叛旗を翻した。

宰相モデナザームは、叛乱の準備の段階で、 国軍の司令官であるゾキムクナドとのあいだに、 ミガロキネスを誅戮するために互いに協力の手を差し伸べるという 密約を交していた。 しかし、モデナザームが決起したとき、 ゾキムクナドは麾下の精鋭を率いて宰相の前に立ちはだかり、 叛乱を鎮圧して宰相を含む首謀者たちを虜囚とした。

縄を打たれ、将軍の前に引き出された宰相は、 「なぜ寝返ったのだ」と彼に尋ねた。

するとゾキムクナドはこう答えた。 「寝返ったのではない。 身共は、昔も今も国王の忠実なる臣下だ。 お主が、我らの策略に乗せられて叛乱を企てたにすぎぬ」

僣王ミガロキネスは、 宰相の一族郎党を赤子に至るまで捕えさせ、一人一人、 宰相の目の前で処刑していった。 しかし、その最後に宰相を処刑したのちも、 僭王の瞋恚の炎は一向に鎮まる気配がなかった。

ミガロキネスは、粘土板に刻まれた文字を見るたびに、 モデナザームに対する憎悪が再燃するのを感じた。 なぜなら、モデナザームは、 文字というものを発明したとされる伝説上の人物に 源を発する家系の出身者だったからである。

僣王は、一年間の猶予ののち文字の使用を全面的に禁止する、 という法津を発布した。 そして、全国の行政官に、猶予期間が終わればただちに、 公有私有を問わず、文字が刻まれた粘土板をことごとく破壊せよ、 という命令を通達した。

官庁、学校、図書館、商家などを中心として、 国の中は大騒ぎとなった。 人々は、語部として使うことのできる、 記憶力に秀でた人材を確保するために東奔西走した。 しかし、粘土板の数の多さに比べると、 人材の数は微々たるものだった。 人々は大量の粘土板の中から価値の高いものだけを選び出して、 ようやく確保した語部にそれを記憶させた。

猶予期間の一年は瞬くうちに過ぎ去った。 行政官たちは、 まず自分たちの官庁にある粘土板を徹底的に破壊した。 そして次に民間の施設を虱潰しに捜索した。 行政官たちは発見した粘土板を一箇所に集めて破壊し、 巨大な瓦礫の山を築いた。

僣王ミガロキネスは、そののちも文字の使用を禁止し続けた。 文字が使えないというのはきわめて不便な制約ではあったが、 語部として使うことのできる人材を安定して供給するための 教育機関を整備するなど、 人々はしだいにその制約を克服する手段を会得していった。

宰相による叛乱が鎮圧されたのちも、 民衆たちは何度も何度も叛乱を繰り返した。 叛乱は、そのつど国軍によって鎮圧されたが、 国軍の士気がしだいに低下しつつあるということは 誰の目にも明らかだった。 やがて、 叛乱を鎮圧するために派遣された国軍が潰走するという事態が 頻繁に発生するようになった。

ミガロキネスが僭王となってから十二年が過ぎたとき、 民衆は王都を攻略し、僭王を処刑した。 ミゾルハバラス王朝は六百四十年に及ぶ歴史に終止符を打った。

民衆による叛乱の指導者たちの中で中心的な存在だった グドラニゼルは、 ルべクナモゾという新しい王朝を樹立して、 その王朝の初代の国王となった。 彼は、人民が嘗めた辛酸の象微であるネドルザカブの都を嫌悪し、 ナミカサヌスという土地に質素な都を建設して、 その地へ遷都した。

さらにグドラニゼルは、 僣王ミガロキネスによって施行されていた文字の禁止令を廃止した。 官庁、学校、図書館、商家などは、 先を争って大量の粘土板を発注した。

ヌンクスミモという古都の一角に、中央図書館と呼ばれる、 千四百年の歴史を誇る図書館があった。 その図書館は数百万枚に及ぶ粘土板を所蔵していたが、 それらの粘土板は、 僣王ミガロキネスの命令を帯びた行政官たちによって ことごとく破壊されてしまっていた。

僣王が処刑され、禁止令が解かれたという知らせが届いたとき、 中央図書館もまた、大量の粘土板を発注した。 そして、それが納品されるや否や、 語部たちが諳じている失われた蔵書の内容をそれに刻み、 そしてそれを焼成する、という作業を開始した。

こうして、 中央図書館の書庫にふたたび粘土板が積み重ねられていった。 中央図書館の館長であるテムドシウスは、 焼成が終わった粘土板が図書館に運び込まれてくるたびに、 それを机の上に置かせ、 いとおしむかのようにひとつひとつの文字を読んでいった。

ある日、中央図書館の館長は、 セネムジーラの黎明期の歴史が刻まれた粘土板を読んでいて、 事実に相違する記述がその中に混入していることに気付いた。 それは次のような記述だった。

「ワミカサクネ暦の紀元前二千七百年ごろ、 東から侵入した異民族がセヌラミカ王朝を滅ぼし、 クナタヨデマという王朝を樹立した。 クナタヨデマ王朝は、 三百年に渡ってセネムジーラを支配し続けたのち、 廷臣たちの叛乱によって滅亡した」

クナタヨデマという王朝の名前は、 テムドシウスにとって初めて目にするものだった。 彼の記憶では、 異民族の侵入によってセヌラミカ王朝が滅亡したのは 紀元前二千四百年ごろのはずだった。

テムドシウスは、 語部の記憶に混乱が生じているのだろうと考えた。 彼は、別の都市にある別の図書館へ使者を送り、 ワミカサクネ暦紀元前二千七百年から紀元前二千四百年までの セネムジーラの歴史について調べさせた。

戻ってきた使者の報告を聞いて、テムドシウスは耳を疑った。 別の図書館で閲覧した粘土板にも、 紀元前二千七百年から紀元前二千四百年まで セネムジーラを統治した王朝の名前として、 クナタヨデマという名前が刻まれていた、 と使者は告げたのである。 テムドシウスは、さらに別のいくつかの図書館にも使者を送ったが、 結果はすべて同じだった。

テムドシウスは、 セネムジーラの黎明期の歴史に造詣が深い ハビタヤテヌスという学者のもとを訪れ、 実在しない古代王朝が 語部たちの記憶の中に出現していることを伝えた。

「私もクナタヨデマという名前は初耳です」 とハビタヤテヌスは言った。 「しかし、 語部たちが一斉に同じ王朝の存在を主張しているのには 何か理由があるはずです。 語部たちに対する調査をしてみましょう」

ハビタヤテヌスは、数名の歴史学者に協力を依頼して、 語部たちに対して、 クナタヨデマ王朝についてどのようなことを知っているのか という調査を実施した。 その結果は驚くべきものだった。

クナタヨデマ王朝についての語部たちの記憶は、 際限がないのではないかと思われるほどだった。 彼らは、歴代の国王の名前はもとより、王妃の名前や出身地、 重臣たちの経歴、彼らを悩ませた数々の大事件、絶讃を博した舞台、 一世を風靡した歌姫のことなど、 あたかもその時代をともに歩んできたかのように生き生きと語った。 しかも、おのおのの語部の記憶には、 いささかの齟齬もないのだった。

歴史学者たちは、 語部たちから聞き取ったクナタヨデマ王朝の歴史や文物などを 粘土板に刻んでいった。 粘土板は日を追って増え続け、 やがて書庫の一室を占領するほどの数になった。

語部たちの記憶の中に忽然と姿を現わした クナタヨデマ王朝の話は、 考古学者たちの耳にも達するところとなった。

語部たちは、 クナタヨデマ王朝の都があったミゼリバスという場所についても 詳細に語っていた。 王朝の滅亡から三千年を経た都の故地は、 無人の原野となっていた。 考古学者たちは大規模な発掘調査を開始した。 しかし、掘れども掘れども、 王朝の実在を証明する遺構は出土しなかった。

ルべクナモゾ王朝の第四代の国王となったトリエトサクムは、 歴史書を読むことを好んだ。 彼は、 クナタヨデマ王朝の初代の国王であるブリガデルスは 為政者の鑑とすべき人物であると考えた。 そして自分を、 国家の統治に関する彼の理想を継承する存在だと位置付けた。

トリエトサクムは、 都の位置に関しても ブリガデルスの判断はきわめて道理にかなっていたと考えた。 トリエトサクムは、ミゼリバス、 すなわちクナタヨデマ王朝の都が置かれたとされる場所に、 ブリガデルス時代の様式を模した王宮と城壁を築き、 その地へ遷都した。

ミゼリバスは殷賑を極めた。 王宮には、 諸侯が国王に献上した各地の特産物が山のように積まれた。 都に移住した貴顕たちは、 城壁の内側を整然と区分けする街路に沿って豪壮な邸宅を築いた。 城壁の外側にも、庶民の住居が立ち並び、 そこかしこにいかがわしい歓楽街が形成された。 連日、大通りや広場には市が立ち、 ありとあらゆるものが売られ、そして買われていった。

トリエトサクムから王位を譲られたボゾンミヌスも、 遷都することなく、 ミゼリバスをさらに発展させることに全力を傾注した。 その後も、 ルべクナモゾ王朝の歴代の国王はミゼリバスを都として継承し、 それは、異民族の侵入によって王朝が滅亡するまで続いた。

異民族の首領の第三子であるラミタセムスは、 ルべクナモゾ王朝を倒したのち、 セネムジーラの地にベリネドルムという王朝を樹立し、 ミゼリバスから東へ三百里ほど離れた位置に王宮と城壁を建設して、 その地へ遷都した。

遷都ののち、ミゼリバスはふたたび無人の地となった。 建物や城壁は廃墟となり、やがて、 その上に土砂が厚く推積した。

遷都から七百五十年が過ぎたとき、 ミゼリバスの遺構を覆っていた地層は 考古学者たちによって取り除かれた。 発掘の当初、 その遺構がルべクナモゾ王朝の都だということを疑う考古学者は 皆無だった。 しかし、出土した粘土板の解読が進むにつれて、 それはクナタヨデマ王朝の都の遺構なのではないか という説が提示され、 その説は瞬くうちに学界を席捲した。

ミゼリバスから出土した粘土板の記述は、 細部に至るまでクナタヨデマ王朝の歴史と一致していた。 歴史学者たちは、 ミゼリバスの遺構がクナタヨデマ王朝の都だとするならば、 ルべクナモゾ王朝のトリエトサクム王は、 それとは別の場所に都を築き、 その地にミゼリバスという名前を与えたに違いないと考えた。 しかし、トリエトサクムの都の位置は、 歴史の闇の中に閉ざされていた。

それから三百年が過ぎたとき、 ネドルザカブで遺跡を調査していた考古学者たちは、 大規模な都市の遺構と多数の粘土板を発掘した。 それらの粘土板に刻まれていた叙述に登場する人物や事件は、 ルべクナモゾ王朝の歴史に記されているものと完全に一致していた。 考古学者たちは、 ルべクナモゾ王朝のトリエトサクム王が都を置いたとされる ミゼリバスというのはネドルザカブのことである、 という結論を出した。

考古学者たちがそのような結論を出したことによって、 歴史学者たちは、 ミゾルハバラス王朝の末期に僣王ミガロキネスが都を置いたとされる ネドルザカブと呼ばれる土地はどこのことなのか、 という問題に直面した。 歴史学者の一人は、 ミガロキネスという人物が 王位を纂奪してネドルザカブを都とする王国に君臨した という歴史書の記述は虚構の産物であるという学説を提唱した。

ミガロキネスは実在の人物ではないという学説は、 年月を経るにしたがって歴史学者のあいだに浸透していき、 やがて定説となった。 歴史学者たちは、歴史書の改訂に際して、 ミガロキネスに関する記述をそこから削除することを忘れなかった。 ミガロキネスという名前がすべての歴史書から削除されてから 百年が過ぎたころには、 その名前は、あらゆる人々の記憶からも失われていた。

第二十五話――王女と求婚者

クナテゴニアという国は ムジクテヌスという国王によって統治されていた。

ムジクテヌスには四人の王子がいた。 そして五人目の子供として王女を授かった。 セルテニカと名付けられたその王女は、 国王と王妃によって大切に育てられ、美しい淑女となった。

数知れぬ男たちがセルテニカに求婚した。 ムジクテヌスは、 王女との結婚を許す条件として求婚者たちにひとつの難題を課した。 それは、クナテゴニアの辺境にある底なし沼に棲息している、 神聖文字が甲羅に記された亀を捕獲して、 それを生きたまま王宮へ持ち帰るという課題だった。 求婚者たちは 自分に課せられた難題を解決しようと果敢に挑戦した。 しかし、 それに成功する者は誰一人として現われず、 底なし沼で命を落とす者も少なくなかった。

ある日の舞踏会でセルテニカは、 クナテゴニアの宮廷に初めて姿を見せた一人の貴公子に目を留め、 激しく心をときめかせた。 彼女はその貴公子の素性を女官に尋ねた。 すると女官は、「かのお方は、 クナテゴニアの隣国たるサイラスミカの第三王子、 タクドシウス殿下でいらっしゃいます」と答えた。

タクドシウスのほうも、 隣国の美しい王女に一目で心を奪われた。 彼はクナテゴニアに駐在している大使をそばに呼び、 セルテニカに対する求婚の意志を ムジクテヌスに伝えるように命じた。

クナテゴニアの国王は、たとえ隣国の王子であろうと、 王女との結婚を許す条件に変わりはない、と大使に告げ、 大使はそれを王子に伝えた。

大使の報告を聞いたタクドシウスは、勇躍、 単騎にて底なし沼へ向かった。 その途の半ばを過ぎようとしたとき、 彼は一人の青年と一人の老人に出会った。

青年と見えたのは男装したセルテニカだった。 彼女は傍らの老人を、 沼の生物について研究している モデクゼムスという学者だと紹介した。

老学者は王子に言った。 「神聖文字が甲羅に記された亀は、 私もまだ見たことはございませんが、 棲んでいるであろう場所のおおよその見当は付いております。 タクドシウス殿下とセルテニカ殿下のお二人に お手伝いいただけるならば、 おそらく容易に捕獲できるものと存じます」

老学者の言葉通り、三人が力を合わせた結果、 彼らは神聖文字が甲羅に記された亀の捕獲に成功した。 そして王女と王子は、亀が死なないように注意深く世話をしながら、 それをクナテゴニアの王宮へ運んだ。

ムジクテヌスは亀の甲羅を念入りに検分したのち、 満面に喜色を浮かべた。 そして、「これを捕獲したのは誰じゃ」と尋ねた。

タクドシウスが御前に進み出た。 「私でございます。 どうか姫君との結婚をお許しくださいますように」

「これはタクドシウス殿下。 約定に相違があろうはずなかろう。 わが娘、必ずや幸せにしてくだされ」

国王は、王女の輿入れの準備を典礼長サムルスミナに命じ、 亀の神聖文字の解読を祭司長ゴルトデルスに命じた。

セルテニカと女官を乗せた馬車が サイラスミカへ向けて出発したのは、 その四箇月後のことだった。 馬車の前後には百戦錬磨の武人たちが馬を連ねて 王女を護衛した。

クナテゴニアとサイラスミカとの国境の周辺には、 デノスドルスと呼ばれる荒野が広がっていた。 そこは、 王国による統治を受けない蛮族たちが支配する土地だった。

蛮族たちの頭目であるドルクガジムは、 サイラスミカの王家に嫁ぐこととなったクナテゴニアの王女が 馬車でデノスドルスを越えようとしていることを察知した。 彼は、王女は金銀財宝を携えているに違いないと考え、 馬車を襲撃する計画を立てた。

王女とその一行が砂塵を巻き上げつつ荒野を疾駆していたとき、 突如として、 地から涌き出したかのごとく無数の人影が馬車の行手に出現した。 彼らは手に手に武器を持ち、 瞬時にして馬車と武人たちを包囲する人垣を作った。

襲撃者たちは一斉に攻撃を開始した。 弓を手にする者は矢を放ち、槍を手にする者はそれを投げた。 一騎当千の武人たちは王女を守るために応戦した。 しかし、武人たちがどれほど屍の山を築こうとも、 それを上回る数の襲撃者が新たに出現し、 馬車に向かって押し寄せてきた。 やがて疲労の極みに達した武人たちは、 襲撃者たちが持つ野蛮な武器によって次々と斃されていった。

襲撃者たちは、武人たちを一人残らず始末したのち、 王女と女官の首を刎ね、 馬車に積まれていた豪華絢爛たる装身具の詰まった箱を 馬の背に載せ、 意気揚々と引き揚げた。

サイラスミカの第三王子は、 到着する予定の日が過ぎても姿を見せない婚約者の身の上を案じて、 騎馬の一隊を率いてデノスドルスへ向かった。 彼がそこで見たものは酸鼻を極める光景だった。 彼は拳を大地に撃ち付けて慟哭した。

娘の死を知らされたムジクテヌスの悲嘆も 並大抵ではなかった。 国王は王女の葬儀が終わったのちも政務を大臣たちに任せ、 王宮の奥の間に閉じ籠って日々を送った。

ムジクテヌスが政務に復帰したのは、 王女の葬儀から七箇月後のことだった。 玉座に威儀を正した国王は、 デノスドルスに跳梁跋扈する蛮族どもを掃討するため、 その地へ大軍を差し向けよ、と命じた。 そしてほどなくして、 その地に住む人間を一人残らず殲滅したという報告が 戦地からもたらされたが、 その報告を聞いたのちも、 国王の心は重く閉ざされたままだった。

タクドシウスによって底なし沼で捕獲された 亀の甲羅に記されている神聖文字を解読せよ、 と命ぜられていた祭司長ゴルトデルスは、解読を終えたのち、 その結果を携えて王宮に参上した。

祭司長が拝謁を願い出ていると待従長から告げられた国王は、 その日の公務をすべて翌日以降に延期し、 祭司長を執務室に呼び入れた。

「あの亀の甲羅には何が書かれてあったのだ」と、 ムジクテヌスは単刀直入に尋ねた。

ゴルトデルスは答えた。 「そこに記されていたものは恐るべき秘法でございました。 それを実行することによりまして、 過去の歴史を修正することができるのでございます」

「時間を巻き戻すことができるということか」

「そのとおりでございます。 その秘法によりまして、過去のいかなる時点であろうと、 その時点での世界の複製を作ることができるのです。 ただし、複製の原本となりました世界は、 秘法の実行が終了すると同時に消滅するのですが」

「複製の世界は、 原本とは異なった歴史を歩むことができるのか」

「そのとおりでございます」

「だが、望んだとおりに歴史が修正されるためには、 どのように修正したいのかということが 複製の世界に伝わらなければならないのではないか」

「その点につきましても問題はございません。 その秘法を実行いたしました者は、原本とともに消滅することなく、 時間を遡って複製の世界へ移動することができるのでございます。 ですから、 歴史を修正する使命をその者に託せばよいのでございます」

「それでは、祭司長ゴルトデルスよ、汝に命じよう。 亀の甲羅に記された秘法を用いて、 わが娘セルテニカが天寿を全うし得るように歴史を修正せよ」

祭司長は王宮から退出すると、ただちに祭壇を築き、 秘法を実行した。 彼は、 セルテニカとタクドシウスが恋に落ちた時点での世界の複製を作り、 その複製の世界へ移動した。 そして秘法の実行は完了し、原本の世界は跡形もなく消滅した。

原本のゴルトデルスは複製のゴルトデルスを訪ねた。 複製の祭司長は、自分自身の突然の来訪に、 驚きを隠すことができなかった。 しかし彼は、原本の祭司長による説明を聞き、 なんとか事態を把握した。

二人の祭司長は国王に拝謁を願い出た。 ムジクテヌスは二人のゴルトデルスを執務室に呼び入れ、 用件を尋ねた。 原本の祭司長は、まず、自分は未来から来たのだと語り、次に、 セルテニカを待ち受けている恐るべき運命について説明した。 そして最後に、 自分はその運命を修正する使命を 未来の国王から託されてここへ来たのだ、 と奏上した。

「汝の言は信じがたい」とムジクテヌスは言った。 「だが、 汝の語る未来が真実となる公算がたとえわずかでもあるのならば、 その悲劇を招き寄せる原因は取り除いておかねばなるまい」

国王はデノスドルスへ国軍を派遣した。 兵士たちはその地に住む蛮族を一人残らず虜囚とし、 彼らを縄で数珠つなぎにして本国へ連行した。 蛮族たちは王族や地主たちに配分され、 奴隷として使役されることとなった。

原本の歴史のとおり、 セルテニカとタクドシウスは底なし沼で亀を捕獲し、 王子は王女との結婚の許しを国王から得た。 王女を乗せた馬車は重装備の兵団に守られてデノスドルスを越え、 何事もなくサイラスミカに到着した。

原本のゴルトデルスは、 自分が歴史の修正に成功したことを知って大いに安堵した。 彼は国王から領地を拝領し、その地に隠遁した。 しかし、彼の悠々自適の生活は数年で終わりを告げた。 奴隷として使役されていたデノスドルスの蛮族たちが、 ドルクガジムを首謀者として叛乱を起こしたためである。

蛮族たちの叛乱は周到に計画されたものだった。 異変の報告を受けた国王はただちに治安の維持を国軍に命じたが、 そのときにはすでに、 国軍の指揮系統は 蛮族たちの工作によって完全に麻痺させられていた。

叛乱が始まってから半日も経たないうちに、 王宮は蛮族たちによって制圧された。 ドルクガジムは新しい国家の樹立を宣言し、 クナテゴニアの国王と王妃を公衆の面前で処刑した。

原本のゴルトデルスは、 自分にはこの歴史を修正する義務があると考えた。 彼は祭壇を築き、世界の複製を作る秘法を実行した。 しかし、その秘法は何の効果も発揮しなかった。 世界の複製は作られず、原本の世界が消滅することもなかった。

原本の世界と複製の世界とでは 世界の複製を作る秘法が異なっているに違いない と原本のゴルトデルスは考えた。 そこで彼は複製のゴルトデルスを訪ね、 亀の甲羅にはどのような秘法が記されていたのかと尋ねた。

祭司長は一枚の羊皮紙を金庫から取り出し、 それを自分の原本に手渡した。 そこには、 亀の甲羅に記された神聖文字を解読した結果が綴られていた。 原本のゴルトデルスは、その羊皮紙に綴られた文字を読んだ。 そこに書かれていたのは、世界の複製を作る秘法だったが、 彼が推測したとおり、 原本の世界と複製の世界とでは、 実行しなければならない秘法が異なっているのだった。

原本のゴルトデルスは言った。 「この秘法を実行しなければならぬ。 そして、 蛮族たちの叛乱が発生しない歴史を作るのだ」

二人は祭壇を築いた。 そして世界の複製を作る秘法を開始した。 しかし、その秘法の実行は途中で中断を余儀なくされた。 蛮族の小隊が現われて彼らを捕縛したためである。

神聖文字が甲羅に記された亀と、 それを解読した結果が綴られた羊皮紙は、 ドルクガジムに献上された。

蛮族たちの頭目は、 自分たちがクナテゴニアの虜囚とされた忌わしき歴史を 修正しようと考えた。 彼は、祭司長とその複製が築いた祭壇を利用して、 世界の複製を作る秘法を実行した。

ドルクガジムが作った世界の複製は、 祭司長によって世界の複製が作られた直後のものだった。 蛮族たちの頭目は、原本の祭司長を殺害し、 クナテゴニアによって蛮族たちが虜囚とされることを 未然に防いだ。

ドルクガジムは、それだけでは安心しなかった。 神聖文字が甲羅に記された亀がクナテゴニアの祭司長の手に渡れば、 それによって歴史が改変され、 自分たちに不利益がもたらされるかもしれない、 と考えたのである。

セルテニカとタクドシウスが亀を捕獲するよりも先に 自分が亀を捕獲しなければならない、 とドルクガジムは考えた。 そして彼は底なし沼へ向かった。

しかし、 神聖文字が甲羅に記された亀が底なし沼のどこに棲息しているのか、 ドルクガジムにはまったくわからなかった。 また、外部から来た不案内な者にとって、 底なし沼はあまりにも危険な場所だと彼は判断した。 そこで彼は、 底なし沼について詳しく知っている人間を 探すことが先決だと考えた。

ドルクガジムは沼の周辺を何日も歩き回った。 そして彼はモデクゼムスと出会い、 その老学者の助けを借りつつ亀の探索を開始した。

セルテニカがモデクゼムスを訪ねてきたのは、 ドルクガジムが亀の探索を開始した四日後のことだった。 彼女はその日から亀を探索する仲間に加わった。 そして、その三日後にはタクドシウスもそれに加わった。

亀の探索は何日も続いた。 セルテニカは、 自分の心が少しずつドルクガジムに傾きつつあることに気付いた。 ドルクガジムも、 その娘が持っている気丈さと気品に魅了されていった。

タクドシウスは、 自分に対するセルテニカの愛情が 徐々に冷めつつあることに気付いた。 彼は王女に別れを告げ、サイラスミカへの帰国の途に就いた。

探索の開始から二十日が過ぎても、 神聖文字が甲羅に刻まれた亀が ドルクガジムの前に姿を現わすことはなかった。 三十日が過ぎたとき、彼は探索を断念した。 しかし彼はセルテニカとの結婚を望んだ。

そこでドルクガジムは一計を案じた。 彼は甲羅に何の文字も刻まれていない一匹の亀を捕獲し、 それを携えて王都へ向かった。

王都に着いたドルクガジムは、 文字に関して造詣の深い学者のもとを訪ね、その学者の協力を得て、 神聖文字を亀の甲羅に刻んだ。 そして蛮族たちの頭目は、捏造した亀を国王に献上し、 セルテニカとの結婚を願い出た。

献上された亀の甲羅を念入りに検分したムジクテヌスは、 「これを捕獲したのは誰じゃ」と尋ねた。

「ドルクガジムと申す者でございます」 と答えたのはセルテニカだった。 ドルクガジムは、 身分が低いために参内を許されなかったのである。 ムジクテヌスは、 ドルクガジムを宮中に呼び入れよと王宮警護の武官に命じた。

国王は、苦虫を噛みつぶしたような表情で、 玉座の前で平伏している男を凝視した。

「王女セルテニカと汝との結婚を許可する」 国王は苦々しげにそう言い、即座に退席した。

ドルクガジムは爵位と領地を拝領し、セルテニカとともに、 領地に建てられた瀟洒な邸宅で暮らすこととなった。

祭司長ゴルトデルスは、 亀の甲羅に記されている神聖文字を解読するために 三年の歳月を費した。 彼は、解読を終えたのち、 その結果を国王に報告するために王宮に参上した。

「あの亀の甲羅には何が書かれてあったのだ」 とムジクテヌスは尋ねた。

ゴルトデルスは答えた。 「そこに書かれていたものは次のような神勅でございました。 『ムジクテヌスの娘たるセルテニカの夫となりし者を クナテゴニアの国王となすべし。 その者こそ クナテゴニアを永遠に繁栄せしむる礎を築く者なり』」

翌年、ムジクテヌスは王位をドルクガジムに譲った。 ドルクガジムは国王として政務に一身を捧げ、 在位四十年にして王太子に王位を譲り、 その十八年後に薨去した。

ドルクガジムはその在位中、 教育機関の創設と産業の振興に力を尽くした。 クナテゴニアのその後の繁栄は彼の政策が結実したものであると 後世の歴史家は書き記している。